第15話 踊り子テティーシェリとの思い出
初めはその呪術めいた踊りばかりに目を奪われていたが、カエムワセトはその踊り子にだんだんと既視感を覚えはじめた。
その踊り子の醸し出している雰囲気が、足の運びが、かつて経験したいつかの記憶と重なる。
舞い散る花弁。輝き散る水滴。その中心で舞い回る黒く細長い手足。ただそれがどこで経験したものなのか、まだはっきりと思い出せないでいた。
最後の演目を終えたタ・ウィは、大きな拍手を浴びながら、再び座長を中央にファラオの御前に並んで跪いた。
「いやまことに見事な演技であった。余は満足である」
ラメセス二世は自分の首に抱きつくビントアナトをまた少し横にどけると、再び国王然とした口調で、一座の名演を褒めた。
後で褒美を与える故取りに来るように、と座長に命じる。
座長は「身に余る光栄です」と深くお辞儀をすると、後ろの団員に目配せする。
座長の目配せを合図に、座長と団員が踊り子のテティーシェリだけを残し、後ろに下がった。
皆がその行動の意味するところが分らず不思議そうに見守る中、テティーシェリがカエムワセトに数歩、歩み寄る。
テティーシェリの姿と微笑みを正面からとらえた事で、カエムワセトは、断片的であやふやだった記憶をやっと確固たるものにできた。
『今はさようなら。生きてまた会えたら、そのときはかならず――』
黒い肌をした子供が泣きながら、カエムワセトの手を取り別れを告げる。
『あなたにおれいをするからね』
「あ、君は――」
幼い頃、メンフィスで知り合ったヌビア商人の子供の姿が記憶に蘇った。その子供は口減らしとして、家族のもとを離れ、旅芸人の一座に買われて行ったのだ。
「カカァカカッ、カエムワセト様! おおぅお久しゅうございます!」
年月を経て看板踊り子として成長を遂げたテティーシェリは、ひどく緊張している様子で、上ずり少々どもりながら、カエムワセトに再会の挨拶をした。
「こら踊り子! 許し無く殿下に口上を述べるとは、無礼であるぞ」
すかさずラムセス二世の執事がテティーシェリの不作法を叱責する。
カエムワセトは「構わない」と、自分の役目を全うしようとしている執事に軽く手を上げて制すると、約十年ぶりに再会した友人に笑いかけた。
「テティーシェリ。また会えて嬉しいよ」
「知り合いだったのか? カエムワセト」
ビントアナトに頬にキスされながら、ラムセス二世がカエムワセトに問う。
もう今日は姉の奇行は視界に入っても認識しない事に決めたカエムワセトは、いつも通り穏やかに父王に頷いた。
「はい。メンフィスに居た頃に。つかの間の交流だったのですが」
そしてまた、もじもじしながら自分の前で立っているテティーシェリに向き直る。
「そういえば、昔から芸事に秀でていたね。昔の踊りも素晴らしかったけど、こんな凄い踊りは私も始めて見たよ」
記憶の中のテティーシェリは、ナイル川の浅瀬で麻の花を散らしながら、水を蹴って踊っていた。
当時のその体は少し栄養失調気味ではあったが、艶のある黒い肌と長い四肢が躍動するたびに舞い上がる花弁の青と、虹色の光を帯びた雫は、言葉で表現できないほど美しかった。
その頃の踊りにはまだ呪術めいたものは存在しなかったと、カエムワセトは記憶している。おそらく、一座の踊り子として勤しむ中で開花させた才能なのだろう。
カエムワセトから称賛の言葉を貰ったテティーシェリは、身を縮めて恐縮しながら「あありがとうごございます!」と、やはりどもった礼を述べた。そして、胸の前で手を組むと、カエムワセトの方に少し身を乗り出す。
「わわ、わぁたくし、殿下におおぉお願いがございます!」
隣に座るラメセスが、ふ、と小さく笑う。
色々と承知済みであるらしい兄に、カエムワセトは説明を求める視線を送ったが、ラメセスは知らん顔でビールを口に運んだ。
仕方なく兄からの説明を諦めたカエムワセトは、テティーシェリに向き直り、「何だろう?」と発言を促す。
テティーシェリはごくりと唾を飲み込むと、ギュッと目をつぶった。更に身を縮ませ、これまでで最大の上ずりとどもりとともに、一気にまくしたてる。
「どどどどどうぅかわわわぁ私めぇを殿下におおぉお仕えさせて下さいましぃっ!」
会場中でどよめきが起こる。
思ってもみなかったこの展開を面白がる声が殆どであった。
ただネベンカルだけは悔しげに、握った拳を震わせ、己が一目惚れした相手をあっさり攫って行った兄を物凄い形相で睨みつけていた。
「これでめでたく、弟からも恨みを買ったな」
ラメセスは給仕におかわりのビールを注がせながら、絶句している弟の肩をぽんと叩いた。
★
大胆な踊り子の噂は、あっという間に武器庫で残業中である腹心達の耳にも届いた。
テティーシェリの話はまるで伝言ゲームのように警備兵から警備兵へと伝わり、それはまず倉庫の外で選別作業をしていたアーデスに伝わる。
「カエムワセトの嫁が決まっただぁ!?」
外から聞こえてきた絶叫に、ライラが手を滑らせて立て懸ける寸前だった槍を倒す。
「ぎゃあ! 危ねえだろ!」
危うく爪先を槍先で潰されかけたジェトが、飛びのいてライラに抗議した。
「ご、ごめん」
ライラは慌てて槍を拾うと立て懸け直し、続いて剣の束を抱え上げ、箱に戻そうとする。
「で、どこの姫さんだ? 大神官の姪か?」
だが、外から聞こえてくるアーデスのぼそぼそとした話し声に気を取られているライラの動作は、心ここにあらずの状態で非常に緩慢且つ危うげだった。
「おいライラ、大丈夫か?」
心配した記録役のジェトが、パピルスと葦ペンを手にライラの顔を覗き込む。次の瞬間、アーデスの「踊り子ぉ!?」という素っ頓狂な叫び声が武器庫に響き渡る。
「いでぇーっ!!!」
剣の束を足の上に落とされたジェトは、悲鳴を上げた。
「ライラさん、今日はどうしたんすか?」
剣を取り落とした姿勢のまま茫然と固まっているライラを前に、カカルはおろおろした。
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