第10話 不抜け!不抜け!!
ラムセス二世は、受け身を忘れて背中をしたたかに打ちつけたネベンカルと、絞首攻撃からやっと逃れて咽ているカエムワセトを高みから眺めつつ、小さくため息をついた。
魔物戦を経験した第四王子。少しはマシな顔つきになったと思っていたが、まだまだだったようだ。
ネベンカルは背中の痛みに一瞬動きを止めたが、すぐに腰の剣を抜いて、四つ這いで咳こんでいる兄に斬りかかった。
カエムワセトはそれを、横に転げてすんでのところでかわす。
そして自身も剣を抜いて応戦しようとしたところ、次の一撃を受けた所でカエムワセトの剣はボキリと折れた。
あっけなく壊された刃に、カエムワセトは驚愕する。
観客席は再び大きくどよめいた。
ラムセス二世も「ほお」と興味深げに第六王子の剣に見入った。そして、ファラオすら容易に手にする事の出来ない大陸の宝を少々の悪知恵とともに息子に与えたであろう実妹に声をかける。
「子供に買い与える
「息子には教育も持ち物も最高のものを、というのが私の信条ですので」
反則技を責めず、冗談の様な言い回しで甘やかしぶりを指摘してきた兄に、ヘヌトミラーは涼しい顔で返した。
この時代、鉄器はまだ普及しておらず、エジプトの武器は青銅が主流であった。製鉄技術はヒッタイトの専売特許であり、鉄は金銀より遥かに高価だったのである。
「ネベンカル。剣をすり替えたのか?」
カエムワセトは弟に非難の眼差しを向けた。
与えられた剣は、模擬戦開始前にひび割れなどがないか、きちんと確認している。その上で折られたのだから、素材自体が違うということはすぐに分った。
「与えられた武器のみを使え、というルールはなかったはずですが?」
逆ねじを食らわされたカエムワセトは、口をつぐむ。
確かに、武器を替えるな、という決まりはなかった。あくまで槍一本と剣ひと振りを使え、と言われたのみである。その証拠に、審判役のアメンヘルケプシェフは待ったをかけていない。
小ずるい手を使った弟は掌でくるりと鉄剣を回すと、丸腰になったカエムワセトを容赦なく攻撃してきた。
流石に武芸に秀でているだけあって、ネベンカルの動きは鋭く小回りが利いていて、剣の斬り返しも早い。
カエムワセトは何度か攻撃を避けた後、突きの一手が来た時に体を回転させて避けながら足払いをかけ、倒れかけた隙に剣を奪った。
カエムワセトは武器を使った攻撃よりも、体術に長けていたのである。
対戦相手の意外な一面を知ったネベンカルは尻もちをついた姿勢で、奪った剣の切っ先を向けて来た兄を仰ぎ見た。
だが攻撃する気が全くない闘志に欠けたその瞳を目にした瞬間、一度は引っ込みかけた反抗心が再びせり上がって来るのを感じる。
「もういいだろう」
平和主義の兄からの停戦交渉を、ネベンカルは「ご冗談」と笑って突っぱねた。
くるりと後方に回転し、折れた銅剣の刃を拾う。
まだやるのか、とカエムワセトはうんざりした様子で肩を落とし、ため息をついた。
その様子を目にした瞬間、ネベンカルの頭の中で何かがブツっと切れる音がする。
「不抜けるのも大概にしてください!」
ネベンカルは声を荒げた。対戦相手であるカエムワセトがてんで闘う気を起こさないので、逆上したのである。
「戦場で剣をとられたらあんたは諦めるんですか! この不抜け!」
ネベンカルは続けざまに兄を罵った。
息子の叫びを聞いたラムセス二世は、待ってましたとばかりに、にやりと笑った。
――そうだネベンカル。もっと攻めてやれ。お前にはこれを期待していた。
声にはしなかったが、心のうちで第四王子に足りない闘争心を有り余るほど持つ息子を、大いに応援する。
だが、第四王子のついでにその血気盛んな忠臣の神経までも刺激してしまうのは嬉しくないオマケだった。
「罰を受けても良い! 一発殴らせろ!!」
乱入寸前で部下に止めらているファラオの遠縁にあたる第四王子親衛隊長ライラは、今日も素晴らしいカエムワセト至上主義ぶりを観客達に披露している。
一方、『不抜け』を連発された第四王子は第四王子で、精神的に少々ダメージを負いながらも、己の
「ここは戦場じゃない」
「僕には戦場と同じだ」
カエムワセトはあくまでこれはファラオのお遊びだと主張する。だがネベンカルも一歩も譲らなかった。
そして兄の闘志に火をつけるべく、ネベンカルは強力な一手を打ってでる。
「いいんですか? 兄上が負ければ、アーデスとライラは僕のものですよ」
カエムワセトの纏う空気に、鋭さが帯びた。
腹心を景品扱いされたカエムワセトは、これに関しては少々腹を立てていたのだ。
「分った」
やっと腹を決めたカエムワセトは、「兄上。これをお願いします」と審判役のアメンヘルケプシェフに鉄剣を預けた。
アメンヘルケプシェフは剣を受け取りながら、訝しげに「どうする気だ?」と弟に訊ねる。
「仕切り直します」
カエムワセトはそう答えると、ネベンカルの正面に戻り「アーデス! ウセル!」と双方の手綱持ちの名を呼んだ。
そして、「槍を」と手を出す。
カエムワセトとネベンカルの槍は、どちらも将の手を離れて戦車内に転がっていた。
アーデスが言われるまま「そらよ!」と主に槍を投げてよこした。
回転音を上げて飛んできた槍を、カエムワセトは片手で捕まえる。
続けて、中隊長ウセルもネベンカルに槍を投げた。
ネベンカルも槍を掴む。
「とことん甘いですね、あんた」
折れた剣先で闘おうとしていたネベンカルは、観客達にとっては粋な計らいに思える兄の温情に対し、嫌悪感を顕わにした。
「経験値は私の方が上だ。ハンデだよ」
カエムワセトがニッと笑う。
滅多に見せない第四王子の強気な笑顔に、ネベンカルは目の前の男がやっとやる気になった事を悟った。
歓喜のあまり、武者ぶるいが起こる。
これで邪魔な兄を思いきりぶっ殺してやれる。ついでに、不抜けを賢者にまで押し上げた忠臣二人は自分のものだ。
「後悔しても知らないよ!」
湧きあがる興奮を抑えられず、ネベンカルは間合いも隙もお構いなしに槍を回転させながら斬りかかった。
カエムワセトは守備に徹しながら、隙をついて攻撃をしかけた。
突いた槍先がネベンカルの右肩をかすめ、かすかな手ごたえと共に出血させた。だが、カエムワセトも同じく左上腕を負傷した。
「また同時!?」
「じゃあ引き分けっすか?」
ジェトとカカルが身を乗り出す。
「そこまで!」
皇太子が右手を上げ、試合の終了を告げた。だが、ラメセスがそれを阻止する。
「いや。もう少しやらせろ」
負傷したら終了のはずである。
カエムワセトは信じられない面もちで実兄を仰ぎ見て、ネベンカルは歓喜の笑みに顔をゆがませた。
「どちらかが相手の動きを封じろ。それで終わりとする」
椅子から立ち上がった第二王子ラメセスは、腰に手を当てて眼下の弟二人に命じた。
その堂々たる立ち姿はまさに『鬼の大将軍ラメセス』である。
アーデスが「あーあ」と残念そうな声を出して天を仰いだ。
ラメセスは昔から、勝ち負けをはっきりさせなければ気が済まない質である。
「お前そういうとこ変わってねえな」
ラ厶セス二世も友人に言うような口調で、息子の性分を笑った。実際、二人の歳の差は十五程度なので、歳の離れた友人と言っても不自然ではない。
別の状況にあれば弟のカエムワセトも、変わらない兄の性格を好ましく思えたのかもしれない。だがこの状況では、全く笑う気になれなかった。
戦闘続行に嘆くカエムワセトと、歓喜するネベンカル。この時点で、両者の間に圧倒的な
一度戦意を大きく低下させてしまったカエムワセトは、ネベンカルの攻撃に圧される一方となる。
「あああ~もう駄目っス~!」
負けを覚悟したカカルが、両手で顔を覆う。
だが幸いなことに、カエムワセトの槍先がネベンカルに叩き割られた。途端、カエムワセトの動きが格段に良くなる。
刃を失いただの棒となった槍を素早く回転させたカエムワセトは、ネベンカルの手から槍を叩き落とした。そして続けざまに入り身とともにネベンカルの額を突き、相手がひるんだ所で、片腕で腰を抱えて仰向けに倒した。最後は首と片腕を抱え込んだ抱え込み技で動きを封じる。
「そこまで!」
アメンヘルケプシェフが右手を高々と上げて、試合終了を告げた。
観客席が歓声で湧きおこり、ライラは脱力してその場に座り込む。
カエムワセトは弟の頭と腕を解放すると、先に立ちあがって弟に手を伸ばした。
上体を起こしたネベンカルはその手を悔しげに見たが、キッと眦を吊り上げると、兄の優しさを乱暴に振り払った。
無言で立ち上がり、互いの健闘を讃えるそぶりもみせずその場から立ち去る。
「なんで切っ先折られてからの方が強いんだよ」
去り際に、ちくしょう、といわんばかりの表情で、彼は兄に呟きを残した。
アメンヘルケプシェフから鉄剣を返してもらい、ネベンカルは母親に迎え入れられた。
ヘヌトミラーが勝負に負けた息子の肩を抱きながら、カエムワセトに鋭い眼差しを向けて来る。
勝負に勝ったというのに悪いことをしてしまったような気になったカエムワセトは、顔を引きつらせ叔母から視線を逸らせた。
「よーし。二人ともよくやった! お陰でいい歓迎会となった」
ラムセス二世が立ち上がり、拍手で息子二人の健闘を称えた。
「さて。カエムワセトよ。勝利の褒美は何としよう?」
腕を組んだファラオは、期待を込めた眼差しで幸勝した息子を見おろす。
そう。カエムワセトにとって、この勝利は運が良かっただけなのだ。
しかもこの模擬戦で、カエムワセトは罵詈雑言を頂戴し、危うく命と家族同然の忠臣を奪われかけた。
いくら温厚な人間でも、ここまで被害をこうむれば腹を立てない者はいない。
「では、申し上げます」
カエムワセトは父王を仰ぎ見て、心に決めた答えを口にする。
「もう二度と、こういったお戯れはなさらぬよう!」
温厚で定評がある第四王子は、語気荒く、散々振り回してくれた父王を睨みつけた。
本来ならば、最後に『お願い致します』くらいは付けるべきなのであろう。しかしかなり立腹していたカエムワセトはそれだけ言うと踵を返し、さっさと練兵場から退場した。
「ま、しゃあねえよな」
「ですね」
手綱持ちの二人は、ふざけ過ぎて温厚な息子を怒らせてしまった馬鹿な父親を遠くから眺めながら、
「俺らはああならないように気をつけような」
「私達はああならないよう気をつけましょう」
と、お互い未来の自分に戒めを課した。
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