夏のアルバイト
1
第23話
——またあの夢だ。
深いうめき声と共に目を開ける。
あの日のこと。何回も、何回も嫌というほど夢に出てきた。
自分が汗でビッショリに濡れていることに気付く。ため息をつきながら体を起こすまとわりつく湿った肌着を脱ぎ捨てた。気分を変え、クラトスは目を覚ます様に窓を開ける。
朝の涼しい風が入りクラトスを包む。花壇には向日葵が太陽に向かって見上げるようにして咲いている。体の筋を伸ばし再びベッドで横になる。
今は夏休みで皆んなそれぞれ実家に帰省している。クラトスには帰る場所なんてないからそのまま修道院に居座る。休みの間は食堂はやっていない。職員も皆帰省しているからだ。残っているのは恐らく守衛ぐらいだろうか。休みに入ってから修道院の中では誰とも会っていない。
町へ食材でも買い出しに行くか──綺麗な肌着に着直して扉を開けた。
いつも活気に溢れいている修道院も今はコツ、コツと壁に反射する自分の足音と、聞くだけで汗が出てくる蝉の鳴き声だけだ。
せっかく着替えたのに、また汗をかいたら損した気分になるな。かと言ってあのビチョビチョに濡れた肌着を着続けるのもな──大きく息を吐いて頭をかいた。
すると教室の方から声がする。人の声が聞こえるのは何故か違和感を感じた。
クラトスはゆっくりと扉を開ける。
「何やってんだお前ら......」
げっ、と嫌そうな顔したイグニールと、同じ金獅子学級のファムヴールがいた。
「別になんでもいいだろ」
イグニールが顔を背ける。
「忘れ物を思い出して教室へ取りに行ったら、イグニール様と会ったんですの」
「そういうことだ。じゃあな」
クラトスに目を合わせないようそそくさと出ていこうとするイグニールの手を掴んだ。
「待て」
「なんだよ。離せ」
掴まれた腕を勢いよく離した。
「どこへ行く?」
「はぁ? どこって自分の部屋に決まってるだろ」
「それはそうだが、お前たち二人は家に帰らないのか?」
すると、二人はさっきと同じように顔を歪めた。
「わたくしは......帰りませんわ」
「俺もだ。悪いか?」
「誰も悪いとは言ってないだろう。何で帰らないんだ?」
「......色々あんだよ」
イグニールの横でファムヴールが大きく首を縦に振った。
「そうか。詳しくは聞かないが、あまり羽目を外しすぎるなよ。ファムヴールはともかく......」
「俺を見んな。皆帰省してたらしたいこともできねぇだろ」
「し、したいこと?」
きょとんとした表情で彼女はイグニールに顔を向ける。
「あ? なんだ? 興味あんのか?」
不敵な笑みを浮かべる彼に、ファムヴールは顔を真っ赤にして手をぶんぶんと振った。
「そ、そそそんなの興味なんてありません!」
叫びに近い声だったので男二人はすこしたじろぐ。
「うるさ......。真に受けんなよ」
「す、すみません」
肩と首をギュッとすぼめる。
分かりやすいヤツだな——言いかけたが胸の内にとどめた。
「まぁ、ゆっくり過ごすといい。邪魔したな」
軽く手を上げ扉に手をかけようとた瞬間、先に扉が開いた。金属が鳴る音と香水の匂いがクラトスの鼻腔を付く。
「随分と賑やかな声が聞こえたので来てみたら。しばらくですね、クラトスさん」
アテナが微笑む。頭の髪飾りが光に反射して目に刺さる。今度この人を見る時は顔より下を向こうと決めた。
「そうですね」
彼は軽く会釈した。
「それに、イグニールとファムヴールもいたのですね」
「はい。わたくしの事を存じ上げていただいて光栄ですわ」
彼女はスカートを軽く広げて膝を曲げた。
「それで、何故あなたがこんなところに?」
イグニールが訝し気な表情で見つめる。
「気分転換にちょっと散歩に。もう誰もいないと思っていたものですから、つい立ち寄ったんです。二人はおうちには帰らなくて?」
「えぇ。帰っても別に......向こうも帰ってきてほしいと思ってないですし」
うつむいた彼を横目にアテナはファムヴールに顔を向ける。彼女もイグニールと同じですと言うように頷いた。
しばし見つめ、何か思いついたようで手をポンと叩いた。
「それならちょうどいいわ。貴方達にお願いしたいことがあるのですけど」
きょとんとする二人に続ける。
「古い知り合いが宿屋を営んでいましてね。休みの間手伝いに行ってほしいんですけど、よろしいですか?」
二人の顔は引きつっている。断りくても修道院長、直々お願いされてはさすがに断れまい。
「......分かりました」
「これも課外授業の一環だな。頑張ってくるんだ」
腕を組んだクラトスは何度も頷いた。
「何を言ってるんです? 貴方もですよ?」
「は?」
「そりゃそうですよ。生徒のいくところに教師は付き物ですよ」
「しかし——」
「ね?」
微笑を浮かべたまま、アテナはジッとクラトスの顔を見つめる。それに負けじと何も言わず見つめ返す。
長いにらめっこの末、クラトスが大きくため息をついた。
「分かりました」
「はい」
ゆっくりと彼女は頷いた。
こうしてクラトスの夏が始まった。
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