第22話
鍛錬を終え、火照った体を夜風で冷ましながら自室へ戻る。
「あら、フルートじゃない」
向こうから歩いてきたベルが手を上げた。
「夜に散歩か?」
「そんなところ。あなたも?」
「僕はちょっと鍛錬にね。体を動かしたくなって」
「へぇ。熱心ね」
「そんなんじゃない。たまたまだ」
そう——ベルはベンチをちらりと見た。
「せっかくだし少し話さない?」
「それは構わないが」
ベンチに座って彼女は隣を手で軽く叩き、フルートにも腰を下ろすよう促した。それにならって座る。
「どう? もう慣れた?」
「ぼちぼちと言った所だ」
「そう」
熱を帯びた体はもうすっかり冷え、落ち着きを取り戻す。空気を大きく吸って夜空に向かって吐いた。
「この前の課外授業、お互い大変だったわね」
「そうだな。初めてにしては中々だった」
「本当よね」
ベルは苦笑した。
「ねぇ、フルートって死んだ人、見たことある?」
「死んだ人? まぁ、葬儀とかで何度か」
「そうじゃなくて。道端とか、ちゃんと棺に安置されたものじゃない人」
「それは見たことないな」
「そうよね。私も見たことなかった。けど、あの時初めて見た」
「アレクの父親の事か?」
ベルは首を縦に振った。
「すごく苦しそうな顔だったわ。アレクには申し訳ないけど、怖かった。人ってあんな顔に、そしてあんなあっさり死んじゃうんだって」
はぁ、とため息をついて彼女は続けた。
「小さい頃からお父様から戦いの修行をずっと受けてきた。だから私は強い。女と言えど男に負けやしないって思ってたけど全然そんな事なかった」
微風が吹いてベルの銀色の長い髪が揺れる。湯上がりの髪のいい香りがフルートの鼻腔を突いた。
「凄い怖かったの。ガリガリの人達だったけど、もし負けたら? 模擬戦とは違う。次はないかもしれないって考えたら体が動かなかった」
「それで、そいつらはどうなったんだ?」
「先生一人で戦ってくれたわ。あたし達は外に出てろって言うから外で待ってたけど、多分全員、殺したと思う。先生は何も言わなかったけど」
「そうだったのか......それは辛かったな」
風揺れる自分の髪の毛先を摘んで指を頼りげなく巻いてはほどいて、巻いてはほどいてを繰り返している。
「私、この先やっていけるかな」
「どうした急に」
「だって、もしまたあんな場面に出くわしたらどうしよう。先生が守ってくれるとは限らないでしょ?」
「それはそうだが。しかし考えてみてくれ。僕は王子、君は公爵のご令嬢、修道院が窮地に立つような事は立たせるような事は考えにくい。もし死なせでもしたら大問題だ」
「うん」
「そう思わないか?」
フルートの投げかけに、何も答えず顔を下に向けたままだ。
「分かんない」
「え?」
「ほかの皆はどうなるの? もし戦争が始まったとしたら、きっと戦地に行かないとといけなくなっちゃう。平等だなんて偉そうなこと言って、いざという時は自分ん家に頼って雲隠れなんて、そんなこと許されると思う?」
「何を言っている。当たり前じゃないか。君の言いたい事は分かるが、あいつらとは違う。一人の命の重さが違うんだよ」
「私達は死んだらまずいけど、平民や貧困の人たちは死んでも構わないってこと?」
「あぁ。代わりはいくらいても、僕らの代わりになれるものはいない」
「......そう」
髪に絡めていた指をほどいて、だらしなく膝の上に置いた。
「そうよね。あんたは違うもんね」
「なに?」
「あんたは将来、この国の王になる人。フルートが死んだらエルヴァル王国は陥没してしまう。皆とは違う。私とイグニールともね。聞いた私が悪かったわ」
よいしょ、と彼女は立ち上がって彼を見下ろした。
「今さっきあんな弱気なこと言ったけど撤回するわ。私は戦う。ご令嬢なんかじゃなく、一人の戦士として」
「そんなの無理だ。君も死んだらニコラ家はどうなる? 潰れてもいいのか?」
「死なないように強くなるのよ。先生みたいにもっと」
髪を後ろになびかせ、冷たい視線が彼を襲った。
「気付かせてくれてありがとう。そして見損なったわ」
そのまま彼女は暗がり中を歩いて去って行った。嫌な静けさがフルートを包む。
「クソ!」
ベンチに腕を思い切り叩き落とす。手のひらの外側がじんわりと痛む。
「僕は......もう分からないよ」
髪をむしゃくしゃにし、頭を抱えてそのまま深く頷いた。
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