第20話

 夜も更けて寝静まった頃、クラトスは修道院を散歩する。疲れているはずなのに、アイネイの言葉が胸に詰まって寝付けなかった。


「あいつ——」


 前と同じベンチ。そこにアレクがうつむいて座っていた。


「眠れないのか?」


 クラトスは一人分の間を開けて彼の隣に座る。


「先生? はい。頑張って寝ようとしたんですけど」


 フッとアレクは笑う。視線は下に向いたままだ。涙の両頬を伝った跡が見えた。


「お父さん、死んじゃいました。一人ぼっちになっちゃった」


「母親はいないのか?」


 彼は首を縦に振る。


「小さいときに病気で」


「そうか」


 きっと彼を慰めた方がいいのは分かっている。しかし、なんて言ってやればいいんだ。ありきたりな言葉でいいのだろうか。それともまた違う言葉の方がいいのか。グルグルと頭の中で回っていた。


「ずっと不安だったんです。僕なんかが修道院でついていけるのか。学級の皆は凄い人ばかりだし。だって王子様がいて、貴族のお偉いさんたちもいるのに。田舎から出てきた僕はお門違いだって思っていたんですけど」


 クラトスは静かに聞いていた。続けてアレクは言う。


「お前は強い——って先生が言ってくれたおかげで、最初は元気づける為に言ってくれたんだろうって思ったけど、それでも少し自信がわいてきたんです。生まれも才能もないかもしれない。でも、気持ちで頑張ろうって。そうすればどうにかなるって。だけど......」


 アレクは押し黙まる。ジッと彼を見つめた。まばたきを何度か繰り返してまた口を開く。


「ダメそうかも。やっぱり無理なんですよ。僕は弱い」


「そんなことはない」


 すると、彼はドンと勢いよく立ち上がってクラトスを見下ろす。苦しい顔の中に怒りが込められてるのが分かった。


「無理なものは無理なんだ! 先生には分からないですよ。どんなに頑張ってもあの三人には追い付けない。それどころか他の皆にだって追いつけない。やっぱり才能ってあるんです。生まれた時から決まっていたんだ。あんな田舎な村に生まれたくなかった。そしたら、お父さんは殺されなかった。病気にかかったお母さんだって治せて今もきっと生きていたはずだ」


 力強く手を握り、目に涙を浮かていた」


「それは違う」


「違くない!」


「甘えるな!」


 クラトスは声を荒げた。彼はハッとした表情でクラトスを見る。


「生まれた場所が悪かった? ふざけるな!」


 アレクは何も答えなかった。


「確かにお前の村は田舎で貧乏だろう。けど、それがなんだ。村中かき集めた金を払って、今こうやって貴族。いや、王子と同じ学級にいる。同じ場所に立っているんだ。お前が言っているのはただ、逃げたいだけの言い訳だ。アレクの言う通り、確かに努力だけじゃ追いつけないかもしれない」


 だが——クラトスは続ける。


「お前はあの中にいる誰よりも優しい。人の痛みが分かる奴だと俺は思っている。個性であり才能だ。簡単にはできない。父ちゃんを亡くして辛いだろ? 悲しいだろ? 今のその気持ちを忘れるな。ここに留めておけ」


 彼はアレクの胸を小突いた。


「それを知って人は強くなる。だが、俺にはその感情がない」


「だけど先生、すごく強いじゃないですか」


「だから人よりも何倍も努力してる。誰にも負けないくらい。だが、痛みを知って努力した人間にはどうしても勝つ事はできない」


 クラトスは目を伏せ、再びアレクを見つめなおした。


「アレク。お前は俺には持ってない物を持っている。きっと俺よりも強くなる」


「先生......」


「だから......その......何て言えばいいか分からないが......」


うーん、クラトスが頬を掻く。


「そう後ろ向きになるな」 


 そしたらアレクはプッと吹き出した。


「何が面白い?」


 クラトスは怪訝な顔になる。


「いやだって、急にたじたじになるから」


 ははは、と彼は笑った。急に自分の顔が熱くなっていくのを感じる。


「笑うな!」


「すみません。もう面白くて」


 笑乱れた、息を整えクラトスに顔を向ける。さっきまでと違って清々しい顔つきになっていた。


「でも......ありがとうございます。おかげで元気が出ました」


 あぁ──クラトスは首を縦に振った。


「時間はたくさんある。ゆっくり考えてみるといい」


「はい」


「じゃあ、俺は部屋へ戻るな。お前もあまり遅くなるなよ」


「はい。おやすみなさい」


「おやすみ」


 クラトスは自室に向かって再び薄暗い石畳の道を歩いた。

 教師らしくなった——アイネイの言葉の意味はまだ分からない。しかし、なぜだか心の中にあった曇りが少し晴れた気がした。

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