第3話
沈黙が流れる。長いこと無言の末、クラトスがようやく口を開いた。
「今なんて?」
「貴方に教師をお任せしたいのです。と言いました」
「言ってる意味がよく分からないんだが......」
何を言っているんだコイツ?──彼女の言っていることが全く理解できない。
「先程も申し上げた通り、貴方の噂は常々聞いています。素晴らしい功績と、実力をお持ちの貴方に是非と思いまして」
はぁ、とクラトスはから返事をした。
「正直、自分が今どこにいるかのかさえも分かっていない。それに、俺はあんたたちの事だって何も知らないんだ。はい、やります——なんて言えるか」
「それもそうですね。先を急ぎすぎました」
アテナは苦笑する。
「では一つずつ話していきましょうか」
頭が揺れ、髪飾りが光に反射する。目に刺さるような眩しさで思わず目を瞑った。
「今、貴方がいるのはエルヴァル王国です。聞いたことはありますか?」
「あぁ」
故郷から東に遠く離れた国だ。確か、元は三つの国に分かれていた。それが十一年前に一つに統一されたと当時の噂で聞いたことがある。
「新たに建国され、それに伴い、ここ、メテオラ修道院が創設されました。平和を象徴とし、身分も出身も問わない学びの場として運営しています」
彼女は小さくため息をつく。
「身分も出身も問わない学びの場とは言っていますが......」
何か言いかけてようとしたが、それ以上口を開かなかった。
「なるほど。そこまでは分かった。だが、それで俺が教師やらなければいけない理由はないはずだ」
「えぇ、貴方の言う通りです」
アテナはゆっくりと頷いて微笑んだ。
「今年は厄介な生徒達が入学しましてねぇ。エルヴァル王国の人間では務まらないのです。どうしても萎縮してしまうのですよ」
「教師が萎縮? 生徒相手に?」
「はい。国王のご子息、フルート王子がご入学なさって......。それに加えて公爵家から二人。分かりやすく言いますと、旧二か国の元王家」
「実質的な王子に当たる人が二人で、合わせて三人に......そういう事だと?」
「はい」
アテナは目を伏せた。
こりゃあとんでもないことになりそうだ——クラトスは乾いた笑いが出た。こんな面倒事は断るのが一番いい。
「なるほど。力になりたいのは山々だが、断わらせてもらおう」
「そうですか。残念です」
彼女は大きく肩を落とした。しぐさ一つ一つが優雅で上品だ、しかし何故か違和感を感じる。演技というか、なにかを隠しているような。
「しかし、よろしいのですか?」
「何がだ?」
「ここで断ったらカヤ国からの追手に怯えた生活をまたする事になるのではなくて? 白き獣さん」
「......なんでその名前を?」
「この道を通っている者なら知らぬ人はいません。ねぇ、アイネイ?」
「え? えぇ、まぁ」
アイネイは曖昧な返事をして頬を掻いた。
奴らは自分のことをどれだけ知っているのだろうか。彼女の言う通り、彼は今、故郷であるカヤ国から脱してここまで歩いて来た。今頃、かつての仲間たちが自分を探しているのだろうか。捕まったからきっと殺されるに違いない。
「もしクラトスさんが教師をなさってくれるのなら、私達が必ずや貴方をお守りすると約束します」
怪訝な顔をするクラトスに彼女は続けた。
「修道院、いえ、エルヴァル王国が貴方をお守りします。それ程にあなたは貴重な人材であり、欲しているのです。分かっていただけますか?」
誰かに教える事も、ましてや人と会話をするのが大の苦手な彼に努められる自信はあるのかと言ったら皆無だ。
しかし、このまま、あのボロボロの空き家に帰り、時折どうしようもない恐怖と不安と戦う生活をするのはごめんだ。それならカヤ国から守ってくれる、ここで教師をした方が利口である。
断われないと分かってアテナは交渉していたのか。胸の内が見えない女だが、命の保証はされている以上、ここに住めば安全なのは間違いない。
「誰かに教えた事なんてないが、それでも良ければお引き受けよう」
クラトスはそう言うと、アテナはパァッ、と明るい表情になって、深々と頭を下げた。
こうなることを分かっていたくせに——心の中で苦笑する。
「そう言っていただけて嬉しいです。ちなみにクラトスさんは今おいくつで?」
「二十だ」
「なんだと!?」
隣で静かに聞いていたアイネイの驚いた声が執務室中に響き渡る。
我に返った彼は顔を赤らめて誤魔化すように咳払いをした。
「失礼。その......貴公がそんなに若いと思っていなかったもので......」
話し方に顔立ち、立ち振る舞いは二十の若者には見えない。それは本人も自負している。歳を明かすと彼のような反応されるのがいつもの事である。
フフッ、とアテナは笑った。
「彼等と同じ年の貴方ならきっと務まるかと。では次の授業から彼等にご指導の方よろしくお願いします。長旅で疲れたでしょう。さぁ、部屋でゆっくりと休んで下さい」
アテナはアイネイに部屋まで案内するよう指示をした。
彼は顎でドアをさす。クラトスはそれにならって執務室を後にした。
「しかし、貴公がなぁ」
上から見下ろすようにクラトスを見る。なんだか品定めさせられている気分になる。怪訝な顔でアイネイを見つめ返した。
「あぁ、いや。二十だなんて思ってなかったから。生徒と教師が同い年とはな。こりゃあ面白くなりそうだ」
ガハハと彼は笑った。先程とは打って変わって鋭い雰囲気が柔らかく親しみやすい雰囲気になっいた。
そういえばここへ連れてこられる道中もそんな感じだったなと思い出した。
「貴公の手助けになれるよう俺も最善を尽くそう」
「あぁ、頼りにしてる」
「まずはこの国に慣れるところからだな。カヤ国とは何もかも違うだろうからな」
すれ違う人達に手を上げる。アイネイに寄せる羨望の眼差し、それとクラトスを見る好奇心、怪訝な目が鬱陶しく感じた。
「随分と慕われているんだな」
「......そうだといいがな」
アイネイは苦笑を浮かべる。クラトスは疑問の表情になった。
「そのへんはまた後でだ。ほれ、ここが貴公の部屋だ」
コンコンとドアを軽く叩く。
「それじゃ、俺はこの辺で」
「あぁ」
ドアを開け中に入る。ベッドに机と椅子。簡易な部屋だが雨風しのげるだけありがたい。
乱暴にベッドに飛び込んで顔を沈めた。
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