治療開始
桜崎はふっと息を吐いた。
「まいったわ。そこまで言われたらやるしかないね、あなたの言葉、信じてみるよ」
*
診察室で心山と桜崎は向かい合った。桜崎の表情は幾分かこわばっているようにも見えた。
「ではこれから治療に入ります。やることは簡単です、言葉を唱えるだけです」
「言葉……へえ、おまじないってことね」
「馬鹿にしてはいけません。昔から言葉は言霊といってとても強い力を持つとされてきました。それは今でも変わりません。では早速行きましょう、最初の言葉はこれです」
紙にかかれた言葉を桜崎は見た。
『馬鹿にされてもいい』
「これを、読めばいいの?」
「そうです」
桜崎は一つ咳払いをした。
「馬鹿に……されてもいい」
心山はにこやかに尋ねた。
「どうですか? 気分は」
「なんか、すごく気分が悪いわ」
「もやもやする……?」
「うん、そんな感じね」
心山はにこにこして頷いた。
「何が楽しいの」
「いや、それは効いている証拠です」
「効いてる?」
「ええ、心がぞわぞわっとするということは、あなたがそのことばに対して強い思いを持っているということです。なぜなら全く関係ない言葉で私たちはぞわぞあわしないですから」
「まあ、そうね」
「では次行きましょう」
心山は二枚目の紙を取り出した。
『部下から馬鹿にされてもいい』
「これは……ちょっと読みたくない」
「そうですか、わかりました。ではこんなのはどうでしょう?」
心山は斜め上を見上げると、自分の喉を細かくチョップし始めた。
「ワレワレワ、の要領で行きます。ブカカラバカニサレテモイイ。はいどうぞ」
「は? 何それ、ブカカラ……いや、だめだわ」
「これでもだめですか。では分割払いにしましょう」
「分割?」
「ええ、ブカカラバ のあとに カニサレテモイイ」
「何それ」
「いいからやってみてください」
桜崎は罰が悪そうにため息をついてから小さく頷いた。
「ブカカラバ」
「バ?」
「カニサレテモイイ」
ふうと桜崎は全身の力を抜いた。
「お疲れ様です」
「なんか、ものすごい嫌な気分」
「ですよね、でもそれは核心に近づいているということです。より心を込めて、そして内容が具体的であればあるほど、心はゾワゾワっとします。それができればクリアですが、難しい場合はこうやって、極力関係ないようにアレンジして、少しずつ核心に近づけるようにするといいです。これは宿題ですね」
「あ、そう。で、次の治療は?」
「いや、これだけですけど」
「これだけ? これだけで私のもやもやが治って新しい世界とかなんちゃらって言ってたのが来るっていうの?」
心山は大きく頷いた。目を丸くして、まるで少年のようににこやかに。
「信じられないかもしれませんが、まずはやってみてください。何枚か文章を渡します。余裕があるときでいいですので、それを口に出して唱えてください。難しければ分割にしたり、宇宙人語にアレンジしたりしながら余裕ができたらより具体的な文章にもチャレンジしてください。くれぐれも無理はしないでください、あまりに頑張りすぎるとこの練習自体が嫌になってしまいますので」
疑いの表情を浮かべながら、次の予約をとり、桜崎は去っていった。
三浦が心山を見た。
「桜崎さん、何か前に進んでいきそうですね」
「さあね、問題はここからだよ」
そう言って奥へ帰る心山の背中を見て、三浦は首を傾げた。
治療を辞めたいと桜崎から申し出があったのは次の予約日の前日だった。
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