小さい頃の影響
「いや、なんとなく……。見当違いでしたか?」
桜崎は答えなかった。ただただ色の無い表情で、遠くをぼんやりと眺めていた。
「桜崎さん、知ってます? 人の心って火のないところに煙は立たずって」
ボタボタ、と屋根に落ちる雨音が鈍い音を立てた。
「たとえどんな小さい心の反応も、必ず原因がある。そしてそれは小さい頃に経験したものがほとんどなんです。怒り、喜び、嫉妬、ねたみ……全てです」
「小さい頃、私たちは人との関わりの中でさまざまな影響を受けます。それはいいことばかりではありません。時には今考えればどうってことないことでも、幼い私たちには目の前が真っ暗になる程の衝撃を受けることもあります。例えば……
私、小学生の頃、頭に鳥のフンが落ちてきたんです。今であれば『ついてないな』で済んだところ、あの時友人が私を馬鹿にして、しばらく鳥のフンがついたやつだ、と言い続けたんです。あれは辛かったな……」
桜崎は何も言わなかった。雨の勢いは変わらず、いやより強くなっていたようにさえ思える。
「もっと小さい頃、きっと私たちはたくさん経験してるんです、辛いことも、悔しいことも。でも時間が経つと忘れてしまうんです。しかしやっかいなことにその時の悔しさ、辛さ、これだけは心の奥底に深く刻まれます。そしてある日、それに似た経験をしたとき、突然その記憶が蘇る。はるか昔、自分だけ遊びに入れてもらえなかったこと、自分だけ他と違っていて馬鹿にされたこと、一生懸命やったのに認めてもらえなかったこと、その時の感情が今目の前にあるものを対象にぶつけられます。本当は頑張ったのに認めてもらえなかった辛い記憶が、社会人になって、上司に認められなかったり、他人に評価されなかった時にその辛い記憶だけが甦るんです。つまり、本当ははるか昔に終わったことに対して、私たちは怒ったり、妬んだり、悲しんだりしているわけです。そしてその影響を与える対象の多くは……」
「親です」
桜崎の目が見開かれた。
「桜崎さん、あなたのアンケートを見ていると、痛いほど幼い頃のあなたの叫び声が聞こえてきました。私を見て、ほら私こんなに頑張ったんだよ、どうして認めてくれないの、ねえ、って」
桜崎は足元の石を蹴飛ばした。じゃりっと音がして、そのまま水溜りに飛び込んだ。それからふん、と口で笑った。
「私の父はね、絶対私を認めなかった。どれだけやっても、まだ足りない、まだ足りないって。今考えるとそうやって私を伸ばしてくれてたんだと思うんだけど、私はそれが辛かった。そして、私の家で父は絶対だった。何をやっても間違ったことを言っても絶対に逆らえない。それが普通だと思ってた。政務官になったときね、これでやっと認められる、って思ったの。だって父はずっと政務官になったら一人前だって言ってたから。でもね、それが決まったとき、父は脳梗塞で倒れた。そのまま父は亡くなった。もうだいぶ前の話よ」
「桜崎さん、これだけは忘れないでください。あなたは悪くない、あなたは過去に、決して抵抗できない弱い、幼い時期に、勝手に他人から他人の考え、価値観を押し付けられてきたんです。でもね、同時にこれも忘れないでください。あなたはいつだって、何にだって変われる。なりたい自分になれる。そのノウハウを私たちは持っている。あと少しなんです、もうちょっと進むことができれば、きっとあなたはいつもと同じ風景もきらきら輝いて見えるはずです。歩くのが怖かった道も歩けるようになります、笑えなかったところで笑えるようになります、穏やかな、本来のあなたらしさをもっと出せる人生が待っています。それを一緒に見届けてみませんか」
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