最初に越えるべき壁

「何よ、その言葉って」

「簡単なことです。私は言いました、あなたの全ての心の悩みを解決すると。しかしそのためには自分でなんとかしたい、と思っていることが必須です。つまり誰かに言われてきたとか、誰かに何かしてもらおう、とかそういう思いでは解決しません。それができなければやるだけ無駄、今すぐ帰ってもらった方がいいです。時間のためにも」


 三浦は思った。どうせ時間なんて持て余してるくせに、と。


「いいわ。私は私の意思でここにきた。このもやもやをなんとかしたいと思ってる。これでいいのね」

「私がこれから話すことはかなりプライペートに踏み込んだものもあります。もちろん誰にも口外しませんし、誰に聞かれることもありません。しかしその質問をあなたが正しく答えてもらわないと、私も正しい解決策を伝えられません。いいですか」

「ものによるわね」

「結構です。嘘さえなければ。言いにくいものは言えませんと正直におっしゃってください」

「ええ。簡単よ。こんなんで私が怒ると思ったの?」


 心山むねやまは桜崎の目を見つめた。


「いいえ、これではありません。さっきから気になっていたんですけど、あんたずいぶん偉そうだな」


 突然、心山むねやまの声色が変わった。桜崎はぐっと喉元を締め付けられたように引き攣った表情を浮かべた。


「なんですって」

「自分がだめでこうなったってのに、全然反省の色が見えない。私含めあんたの部下や、一般人もみんなあんたを馬鹿にしてるよ」


 突然桜崎の顔が真っ赤になった。そして手が震え、髪の毛が逆立った。そして全力で立ち上がった。


「なんでっ! なんで会ったばかりのあんたなんかにそんなこと言われなきゃいけないのよ! 私のこと何も知らないくせに! もういいわ、帰るよ」


 そう言って桜崎はショルダーバッグを背負うと出口へ向かった。その背中に心山むねやまは大きな声をかけた。


「桜崎さん、一言だけ言っておきます。あなたの悩みは必ず全て解決する。そしてそのためにあなたは必ず帰ってくる、誓ってもいい」


 達川は桜崎に遅れまいと必死で桜崎のあとを追いかけた。桜崎は自動ドアが開くのがもどかしく、一つドアを思いっきり蹴飛ばしてから外に出た。


 静寂が訪れた。

 数秒して自動ドアが何も知らなかったように、ぎーと閉まる。床のマットがこすれる音がした。


「あーあ、行っちゃいましたね。本当に帰ってくるんですか?」

「さーね。全部自分次第よ」


 三浦は待合のソファに沈みこんだ。


「せんせー、なんであんなこと言っちゃったんですか。せっかくのお客さんだったのに」

「なんでって……君はまさか私が本心で言ったとは思ってないだろうね」


 へ? と三浦は口をぽかんとさせた。


「君はあの人がマスコミの話をしていたときの顔覚えてる?」

「ええ、ゆでだこみたいでした」

「そう、あの時こそ心を覗くチャンスだったんだ。人間の奥がもろに顔を出している瞬間だ。一瞬ただ怒っているようにしか見えないが、実は桜崎さん、何に対して怒っているかいくつかヒントを出していたんだ」

「ヒント?」

「そう、怒るっていっても人それぞれ。自分の評価が落とされたことに対して怒る人、みじめな気分にさせられたことに対して怒る人。不平等だと感じて怒る人、大切なものをけなされて怒る人」

「まあ、そんなとこですかね」

「桜崎さんはこう言ってた『なんであんなやつにやられて、私の大事なポジションを失うことになるのか、納得が行かないわ』って。これが何を意味するかわかる?」


 三浦は顎に手をあて、考える仕草をした。


「うーん、まああんなやつって言うってことは、部下のせいで起きたことが気に食わなかった、とか?」

「そう。桜崎さんは見下している存在に自分が傷つけられたのが許せなかったんだ。だからもしきっと自分が尊敬している人に同じことをされてもあそこまで激昂しなかったかもしれない。あの人の中で『自分より下のひとは上の人に迷惑を掛けてはいけない』という強い鉄の鎖のような信念が支配しているんだよ」


 三浦は頷いた。


「なるほど、でもそれってある意味普通じゃないですか」

「たしかに大事な考えだよ。でも桜崎さんはそれが凄まじく強すぎた。自分で制御できないくらいにね。だからそこを治療できれば問題は解決。それを確認するためにあの言葉を言ったんだよ」

「あの言葉?」

「そう、私のような無名の人間やおそらく見下している存在があなたを馬鹿にしている、という言葉にどれだけ反応するか。見事に爆発してくれたね」


 三浦は心山むねやまを見つめた。この人、あの短期間でそこまで考えていたのか。ただのぼけっとしている人ではないのかもしれない、そんなことを考えていた。しかし……


「でもきっともう来ませんよあの人。めちゃくちゃ怒ってましたから」

「そうだね、もっと別のやり方があったかな」


 はははは、と心山むねやまは頭を掻いた。


 桜崎から再び連絡があったのはその二日後のことだった。

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