6 ゆでガエルはわかるよな?

 本山が壁に叩きつけられてエレベータが揺れた。そのまま床に滑り落ちるのを目にして國木はついに自分をおさえられなくなった。当初の既定路線のまま、自分の店をつづけていたらこうはならなかっただろう。生き残るためには(比喩的な意味じゃなく)、あの環境に適応しなければならなかった。意識してそうなったんだから、意識すればもとに戻れると勝手に思っていた。どうやらそんな単純なことじゃなかった。國木は膝で本山の腹を蹴り上げた。本山の身体が浮き上がり……ぐへつ、と水っぽいうめき声をあげて、床に落ちた。またエレベータが揺れた。

「おいやめろ!」

 ふりかえると目のまえに銃口があった……そうだった、國木はどうしようもないばかだから(もしおやじがまだ生きていて、こんなばかが自分の跡を継いだんだと知ったら、破門くらいじゃすまされないだろう)、同じくらいばかなふたりのために、ごていねいにも一丁ずつ用意して、同じ紙袋に入れて持ってきていたんだった。こっちのもすべての薬室に実弾をこめていて、あつかいもかんたんな昔ながらのリボルバーだから、しろうとでも迷わずに使えるはずだった。

「怒んなよ」

 あきれたように田辺がいった。「いいから落ち着けって。ありゃ敵だったんだよ。だからやっただけのことじゃんか」

 その口ぶりが國木は気に入らなかった。それとこの銃口とが。「敵ってなんだよ、おまえ、こいつがなにやったかわかってんのかよ?」

 本山が、うめき声をあげて立ちあがろうとしていた。本山も銃を持っている。老夫婦が乗っているあいだこそ、持った手を背中側にまわして年齢なりの良識もあることを証明していただけだった。

 こともなげに田辺がうなずいた。「わかってんよ」

 本山も(せっかく止まりかけていた鼻血を、また床まで垂らしながら)うなずいた。「おまえこそわかってねーよな?」

 國木はにらみつけた。「あぁ?」

 じっさいわからないことだらけだった。

 國木が転職してからも、このふたりだけは連絡を絶やさないでいてくれた(本山なんて、親友だからなー、とまるで少年マンガの主人公気取りだった)。おかげで國木は、本山が有名家電メーカーの営業部長だったのが、ついこのあいだ、会社のもうしいれに応じて早期退職したのを知っている(だってさあ、退職金が倍だってんだぜ?)。なにしろふだんから家族のことや趣味のことをさしおいて、会社のことばっかり何時間でもしゃべりつづけていられるほどの仕事好きだったから、さぞ落ちこんでいるだろうと連絡してみたら、そんなこともなく、人生のセカンドシーズンってやつ? を楽しむつもりだと笑っていた。

 田辺はやっと親の介護から解放されて(よさげなホームが見つかったからさ、ひと財産つぎこんでほうりこんでやったんだ)、ひとり息子も社会人になって家を出たし、ついでに二十五年になる結婚生活にもひと段落つけた(いっとくけどさ、いうほどかんたんじゃなかったんだからな)。おかげで家族を養うためだけに、働きたくもないブラック企業で働きつづける義理はなくなった。こっちのセカンドシーズンは、大胆に路線変更して海外にでも移住してやろうかなんて考えていたはずだった。

 だからわからない、このふたりがとんでもないばかだということのほかは。

「おまえらまさか逃げれるとか思ってんじゃねえだろうな?」

 ふたりともあきれたように頭をふるばかりだった。「だって敵だぜ? 殺らなきゃ殺られるんだぜ? もうさ、世の中がさ、そういうことになっちゃってんだよね」

 國木は言葉に詰まった。むかしからの親友じゃなく、言葉のつうじない外国人でも相手にしているみたいだった。

 本山がやっと立ち上がった。拳銃を持ったほうの手の袖で鼻血をぬぐった。

「もちろん味方もいるぜ。ざっと七割くらいかな、アプリのダッシュボード機能でわかるんだ。弁護士とかテレビに出てる有名人なんかも味方だからさ、いざってときは助けになる」

 それもまた、アプリの判定だった。そんなあやふやなものなんて、國木だったらぜったい信用する気はなかった。

 ふたりの考えはちがうらしい。

 田辺がつづけた。「おまえはどっちだ? アプリじゃ判定できなかった」

「おまえさ、ほんとにスマホ持ってんの?」

 本山が笑った。気に障る笑いかただった。「いやさ、ちゃんと使えてるのってことなんだけど」

 たしかに國木はスマホを、電話をかけるいがいのことにはめったに使わない。若いやつらにいろいろいわれても、そんなおもちゃに時間をかける気になれなかった。

 半笑いで田辺が決めつけた「だからおまえはだめなんだよ、おまえだから信じてやったけどさ、どうせ狭い世界に閉じこもってさ、時代がとっくにアップデートしたのも関心ないんだろ」

「おれの会社にもそういうやついたぜ、若いやつだったけど、」

 本山が自慢げに引き継いだ。「おれさ、いつもいってたの、そいつに。もっとアンテナ高くしないとゆでガエルになっちゃうぞーって。変化をおそれるなーって。ぜんっぜんつたわんねーの」

「ゆでガエルはわかるよな?」

 それは質問じゃなかった。笑いながら田辺がもういっぽうの手でスマホを國木に向けた。


【つづく】

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