5 つぎに撃つのは自分のこめかみってことになりかねない

 まずいことになった。

 依然としてレストラン街の通路にひとけはなかったし、レストランのスタッフも、厨房や店内でランチタイムの準備に忙しくしていた。なにしろ國木が本山を追ってここを駆け抜けてからまだ何分も過ぎていない……そのたった数分間で、あらゆることが、根底から、もとに戻らないくらい完全にひっくり返ってしまった。いまだに信じられなかった。

 ふたりのあとから、國木はできるだけ平然とエレベータホールに向かおうとした。そんなことができるわけがなかった。ふたりとも、すでにマスクは脱いでいたものの、ちょっとふつうじゃないくらいはしゃいでいた。かんだかい声で叫んだり、いたずらに飛び跳ねたり、まるで小学生が、小学生にしか価値のわからないレアもののおもちゃを手に入れたときみたいに興奮していた(ある意味でそのたとえは思ったいじょうに的確だった、ふたりがいまも握りしめたまま、隠すことなくふりまわしているレアもののおもちゃのことをを考えれば)。本山なんて、興奮のあまりかたほうの鼻孔からかなりの量の血が出ていて、胸もとにまで飛び散っているのに気づいてもいなかった。

 はじめてひとを殺してしまったら、だれだって平然としてはいられない。そのくらいは國木にもわかる。それでも……こんなのは経験がない、こんな……お祭り騒ぎは。

 おれやったよな! やったよな! やったんだよな! なんて笑いながら、エレベータを待つあいだも、かたときも静止しなかった。

 エレベータホールの天井には、エレベータのドアに向かいあう位置に監視カメラがあって、右から左、左から右へとスイングしながらこっちのようすを録画していた。ここだけじゃない、こんなのはショッピングセンターのどのフロアにも、ほとんど数メートルおきに設置されている。そればかりか駅の構内、駅前の商店街、民家の軒先にも。

 それがどんなことを意味しているのか理解できるくらいにふたりが落ち着いたら、國木のつぎの仕事は、このふたりのおとなが泣きじゃくり、うろたえるのをなだめることになる。ゴム製のマスクをかぶっていたとしたってなんの意味もない。駅の改札から直通のエントランスをとおってショッピングセンターに入り、エレベータで屋上へ、そこのベンチで落ち合い、敵とやらを追って階段を駆け降りるまで、すべての監視カメラの映像をつなぎあわせれば、判明するのは顔だけじゃない。ここにくるのに使った駅や路線だってつきとめられるし、住所も氏名もぜんぶばれる。なにも膨大な人員を投入し、何年もかかる大規模で運まかせのローラー作戦なんかする必要もない。数人の担当者が、ごくふつうの日常業務でパソコンを操作すれば、ほんの数時間でできる。はやければきょうの夕方にも指名手配されるだろう。

 リボルバーも取り返さなければならなかった。そうしないとつぎに本山が撃つのは自分のこめかみってことになりかねない。かといって逮捕されたらされたで、出所後のめんどうは、やっぱり國木が見なくちゃならないのか、本業として。心底うんざりした。

 エレベータが到着しドアが開いた。若い母親がベビーカーを押しながら降りてきたのをやり過ごし、國木はふたりをなかに押しこむと(ありがたいことにほかの客はいなかった)、一階を押し、〈閉〉のボタンを八つ当たりのように強く何度も押しつづけた。

 ドアが閉まり、エレベータが下降しはめた。

 ほかのフロアで停まらないことを祈るばかりだった。そう都合よくはいかなかった。つぎのフロアで白髪頭の老夫婦が乗ってきた。夫のほうはだいぶ機嫌をそこねているらしく、サービスがなってないだの、客をなんだと思ってるんだなどとぶつくさいいつづけ、妻のほうはその相手をしたくないからか、スマホに顔を向けたまま、ほかの客――いかにもな柄の開襟シャツを着て、憮然と黙りこんでいるのがひとり、ふたりは子どもみたいなにやにや笑いを浮かべて、そのうちのかたほうはポロシャツの胸もとに、かなりの量の、ひとめでそれとわかる血のしみが散っている――には目もくれなかった。

 田辺がめだたないように老夫婦にスマホのカメラを向けて、画面をのぞきこんでいたかと思うと、声には出さず、これ見よがしに口だけを、敵じゃなーい! と動かすのを目にして、國木は持てるかぎりの自制心を総動員しなければならなかった。

 つぎのフロアで老夫妻は降りた。國木は、さりげない気遣いで〈開〉のボタンを押していてやった。老夫妻はこっちに目もくれなかった。それでよかった、夫のほうは、気遣いを見せない相手をいつまでもおぼえておくタイプにちがいない。

 ふたたび三人だけになった。エレベータが下降しはじめた。

 本山も田辺も、だいぶ落ち着いたように見えた。しかしまだ頬がゆるみっぱなしで、これからのことを冷静に話しあえるとは思えない。國木は本山に近づくと、その横っ面に、いきなり裏拳を打ちこんだ。


【つづく】

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