3 だって敵だぜ?
「敵ってなんだよ」
めんどうくさそうに本山が教えた。「だから敵は敵だって。あいいれないやつ、共存できないやつ、同じところにいっしょにいたくないやつだよ。あたりまえじゃん」
それをアプリが判定する。インストールすると(さいしょの起動でほかのSNSアプリやカメラや電話帳、買い物の履歴やらへのアクセス許可をしつこくもとめてくるので、ひとつずつ承認してやると)、アプリはまずそのスマホにキャッシュされているSNSの閲覧履歴や投稿内容、フォロワーの傾向までたどって、持ち主の趣味や嗜好、どんなトピックに関心があるかを――いってみれば思想の傾向を(と、田辺はこの言葉を使った)――独自のAIアルゴリズムで判定する。ここまでで準備完了で、つぎにスマホのカメラでだれかを撮影すると、その顔を検索して個人を特定し、そこからそいつのSNSのアカウントを探りだし、同じ独自のAIアルゴリズムで、こんどはそいつの思想の傾向を判定する。両者を比較しアンマッチなら、つまりそいつは敵になる。どのくらい敵かはパーセントであらわされる。
「へー。そうなんだ」
そう返してみても、ぜんぜんわかっていなかった。
國木みたいな世界の住人にとって、敵とは、なんらかの対立関係にある相手のことだった。金銭や利権の奪いあいかもしれないし、威信や名誉にかかわる確執かもしれないし、もっと根深い恨みや憎しみのこともある。おやじが逝って(癌だった。息を引き取ったのは総合病院のICUのベッドだった)、事務所と事業をひきついだばかりのころは、國木にもざっと百人ばかりは思いあたる敵がいた。廃業を考えているいま、それもほとんどいなくなった。
「つまり気に入らないやつってことか?」
先週のこと、とつぜんふたりで連絡してきて、出てきたのがこの言葉だった。気に入らないやつがいる、そいつに思い知らせてやりたいんだ、と田辺がいつものように単刀直入に切りだした。だから、なあ、ちょっと貸してくれればいいんだ、金は払うからさ、ちょっとでいいからさ、と本山は緊張ぎみの早口でくりかえした。
よくあるつまらないもめごとだと思った。ちょっときつめに脅してやれば、後腐れなく終わらせられるような。こっちの世界にいると、あっちの世界のそういう相談ごとがしょっちゅう持ちこまれる。それにこっちは廃業を決めて身軽だったから、親友の多少のむりなたのみを聞いてやるのも悪くないと思えた。
田辺はしろうとだからと強調した。しろうとだから、使いかたがむずかしいのはこまる。しろうとだから、持ち運びやすいのがいい。しろうとだから、もちろんそんなの使ったこともないし、はじめてでもそれなりにあたってくれないとこまる。
本山が引きあいに出したのは、かつてクラスで流行ったおもちゃだった。安っぽいプラスチックの成形品で、撃鉄のかたちのキャップをはずしてなかに銀玉を詰めて引き金を引けば、バネじかけで射出できる。休み時間になると学校のいたるところで銃撃戦がはじまるので、そのうち問題になって、学校に持ってくるのは全面的に禁止になった。
おまえだったらさ、そういうのかんたんに手に入れられるだろ、いやおもちゃじゃなくってさ? と本山は笑った。
じっさい、國木みたいな本業ともなると、そういうのを手に入れるのはかんたんなことだった。持ってくるのだってなんてこともない。なにも、かつてテレビの洋画劇場でよく見たスパイ映画みたいな凝ったやりかたで――駅のコインロッカーあたりにしまっておいて、キーだけをわたすような(それもまず國木がさりげなくキーを落とし、それをすぐさま本山たちが拾うような)――受け渡しをする必要もなかった。うまいことに昔ながらのシンプルなのが二丁、事務所の棚に置きっぱなしになっていたのでそれをてきとうに新聞紙でくるみ、有名な老舗和菓子屋の手提げ袋にほうりこんで持参して(そうすると、ほら、もう大切なひとのための特別な贈答品にしか見えない)、ごくふつうに手渡すだけのことだった。本業のやりかたなんてこんなものだった。本山はあからさまにがっかりしていた。
それが、まさか、よくわからないアプリが確率で判定した相手に使うつもりだったなんて(しかも、そこらへんにいただけのぜんぜん知らない相手だなんて)、思ってもいなかった。
いやな予感がした。
しかも、いま、その紙袋は本山が受け取って、大切な人からの大切ないただきものらしく膝に乗せている。さすがにこんなところでなかのものを取り出してたしかようとしないだけの常識は持ちあわせているらしいとはいえ。
慎重に國木は訊いた。「で、その敵をどうすんだ?」
するとふたりが声をそろえて笑いだした。「いやいや、ぶっ殺すに決まってんじゃーん!」
「だって敵だぜ?」
ぜんぜん冗談に聞こえなかった。いやな予感は増すばかりだった。
そのうちに若い父親が――本山と田辺が、82パーセントの確率で気に入らない敵が――スマホをポケットに押しこんで、紙コップは握り潰してゴミ箱にほうりこみ、家族になにやら声をかけてから(美人妻さんは鉄柵の外を眺めたままうなずいただけ、子どもは不思議そうに両親の顔を交互に見つめていた)、歩きだした。そのまま足早に、本山と田辺が、わざとらしい大声で天気の話なんかしているベンチのそばをとおり過ぎ、大きなガラス扉を押し開けてエレベータホールに入った。もっぱら本山と田辺が、両目をひんむくようにしてその後ろ姿を見送った。扉が閉じたとたん、聞きまちがいなんかじゃなく、本山がたしかにこうつぶやくのを國木は聞いた。
「チャーンス!」
片手に特別な贈答品の紙袋、もういっぽうの手で足もとのリュックをつかんで立ち上がると、敵を――家族を待たせて、どうせごくあたりまえの、たいしたことのない用事でもかたづけようとしているだけの(ほかにどんな理由が考えられる?)若い父親を――追いはじめた。
【つづく】
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