2 敵を教えてくれるアプリ
田辺がピクニックテーブルにスマホを向けた……美人妻さんは、まだ不機嫌そうに夫から顔をそむけていた。子どもが駆け寄って、たぶんタイムテーブルの読みかたを訊こうとするのをじゃけんにあしらった。
若い夫のときと同じように、スマホの画面にグリーンの枠線があらわれて彼女を囲んだ。國木はふたりといっしょに画面を見つめた……点滅はしなかった。赤くもならなかった。枠線をタップしてフキダシを呼び出しても、アカウント名の羅列(夫のにくらべれば数は多くなかった)の下の確率は12%で、赤くもなければ太字で強調されてもいなかった。
「敵じゃない」
本山が嘆息した。田辺もくりかえした。「敵じゃなーい!」
「ガキは? あの子はどうだ?」
さっそく田辺がスマホを向けた。「敵じゃない。敵じゃなーい!」
すぐに肘を、あのころの流儀で強めに本山のわき腹に打ちこんでいた。「ってか、あんなガキんちょ、検索できるわけねーだろ!」
ふたりで顔を見あわせて、へんな声をたてて笑った。あのころ、いちばん盛り上がったときみたいに。
といっても同じなのはそこまでで、本山は髪の生えぎわが頭頂部に向かって大幅に撤退し、ポロシャツなんかじゃ隠せないほどあからさまに下腹もふくらんでいる。田辺も似たようなもので、ここ何年かの話題といえば、もっぱら高騰するいっぽうの血糖値と尿酸値とコレステロール値のことばかりで、その戦いには終わりがないばかりか、どうやら勝ち目もないらしい。
國木だって同じようなものだった。いや、あのふたりのは、いってみれば既定路線の範囲でしかない。國木はちがう。調理学校を出て父親の店を手伝い、自分の店を持つまでになった。既定路線の範囲だったのはそこまでで、ある日、店におやじがやってきて、ぜんぶ変わった。じつの父親のことじゃない、それとはべつの親だった。当時の國木と同じくらいの年齢のを何人も引きつれて、縄張りに新しくオープンした店を、ちょっとのぞきにきただけだった(と、本人はいっていた)。それが初対面だった。そしてそれだけで終わらなかった。
なにがどうなるとそうなっちゃうのか、本山や田辺に訊かれても、当時から國木はうまく説明できなかった。たぶん目だった。おやじの目には、相手の本質を見抜く鋭さが――見抜かれた本人が自分の本質に否応なく向きあわずにいられなくなる圧みたいなものが――あった。目があったしゅんかん、國木にはわかった。あまりに明白だった。
その後は順調だった。ある意味で、それもまた既定路線だった。おかげで、それまでのたいていの人間関係を(家族でさえも)手放すことになった。本山と田辺はそんなことを気にかけもしなかった。だからこのふたりは親友だった。
スマホをのぞいたまま國木は田辺に訊いた。「これがなんだってんだよ?」
本山がわざとそっけなく答えた。「アプリだよ」
さらに本山がとぼけた「そう。それも便利なアプリだよ」
たしかに、あのころはこうやってしつこくはぐらかされるのがおもしろくてしかたがなかった。それもおたがいに年齢なりの経験を積んで、コレステロールだの目のかすみだのが気になってくるようになるとむずかしくなる。
田辺が教えてくれた(本山はもうすこしつづけたがっていた)。「こいつはさ、敵を教えてくれるアプリなんだ」
【つづく】
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