敵
片瀬二郎
1 敵:確率82%
田辺がスマホの画面を見せた。
「ほれ」
國木はそれをのぞきこんだ。
カメラがオンになっていて、目のまえの光景が小さな液晶画面に映っていた。田辺の手が興奮ぎみに動くので、國木はなにを見せられているのかわからないまま小刻みにスマホを追いかけなければならなかった。
三十年? いや四十年ぶりにしては、驚くほど変わりばえのしない景色だった。
もちろんいろいろと変化はあった。たとえば奥の観覧車は、当時は錆の浮いたさえない緑色だったのが、いまははなやかなピンクに塗りなおされて、ゴンドラも近未来的なカプセル型になっていた。あれなら駅前のたいして見栄えのしない街並みを見おろすだけのために、すきま風をがまんしなくちゃならないこともなさそうだった。ちびっ子たちに大人気だったミニトレインは撤去され、粗末な野外ステージになっていた。ステージを囲んでヒーローショーののぼりが風にはためいていた。高齢の清掃スタッフがほうきとちりとりでごみをかたづけているわきで、四歳か五歳くらいの小さな子どもが、口を開けっぱなしのままヒーローショーのタイムテーブルを凝視して、さいしょの回がはじまるまでまだあと一時間も待たなければならない現実を、どうにかできないものかと思案していた。たぶんその父親の若い男が、近くの自動販売機コーナーで、紙コップを片手に息子そっくりに口を開けっぱなしにして熱心にスマホをいじっていた。母親はそばのピクニックテーブルに肘をつき、高く結い上げた明るい栗色の髪にはそぐわない浮かない顔で、わきの鉄柵の向こうの景色に目を向けていた。かつて國木たちは、あの鉄柵を両手でつかみ、わけもなく空に向かって大声で助けを呼んでいた。あの当時の年齢ならではのくだらない遊びだった。かといって、國木のその後を考えると、皮肉な予行演習だったといえなくもない。
とつぜん画面の右から中学生ぐらいのグループがあらわれて(動きがはやすぎるからか、画面のなかに見えたのは、髪の毛の黒と服装の鮮やかな色使い、肌の色が混ざりあった抽象的な残像だけだった)、向こうのゲームコーナーに駆けこんだ。國木たちが入り浸っていたころですら、あそこには時代遅れのゲームしかなかった。ビニールの色あせた日よけには、驚いたことにイ ベーダ ゲ ムのロゴが、まだかろうじて残っていた。
日曜日の朝、ショッピングセンターの屋上の風景として、大騒ぎするようなところはどこにもなかった。なつかしさで胸がいっぱいになるなんてことはいうまでもなく。
國木は田辺をふりかえった。「これがなんだよ?」
「まあまあ、あわてなさんなって」
横から本山が手を出して、ひとさし指と中指で画面の一部を拡大した。自販機にもたれかかる若い父親だった。そこに明るいグリーンの枠線があらわれて、父親を囲むと、すぐに赤に変わって点滅しはじめた。
「おっと!」
本山の上機嫌の歓声は、ほとんどあのころと変わらなかった。小学生のころ、放課後になるとこの同じベンチに集まり、その日に発売される週刊少年マンガを、曜日ごとに担当を決めて六階の書店で買ってきて、三人で顔をくっつけるようにして読みふけったものだった。本山は圧倒的に強い主人公が、裏切り者や卑怯な悪者を容赦なくやっつけるマンガが大好きだった。
田辺がひとさし指で赤く点滅する枠線を長押しした。枠線の一部が拡張してフキダシになり、細かい文字がすきまなく並んだ(これを読むために、スマホを持っている田辺が腕を伸ばしぎみにし、残りのふたりも目をすがめて、さらに上体をそらさなければならなかった)。
SNSのアカウント名だった。いくつも並んでいた。國木が聞いたことがあるSNSも、知らないのもあった。同じSNSに複数のアカウント名があったりした。たぶん、このぜんぶがあの若い父親のだった。リストの下に、ひときわ大きく、不吉な赤地に黒抜きのフォントでこう出ていた。
敵:確率82%
本山がまばたきをくりかえし、スマホの画面と若い父親の姿とを見くらべながらつぶやいた。
「こりゃまたびっくらこんだ」
声からすると、あのころみたいにふざけているんじゃなくて、どうやら本気で驚いていた。
田辺の声もかすれていた。「ああ。こいつ、ほんとにてきめんだな」
國木はわからなかった。「なにがだよ?」
まるであのころ、ぼけとツッコミにわかれて際限なくふざけあっていたときみたいに、ふたりが同時にいきおいよく國木に向きなおった。「だから敵だよ!」
敵だった。あの若い父親は。
本山がすぐさまべつの方向を指さした。「あっちの女は? あいつら夫婦だろ?」
「よっしゃ、美人妻さんの身元調査だ」
【つづく】
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