マリアージュ

 少し前、ひさしぶりに神保町に遊びに行ったら随分と様変わりしていました。


 おしゃれなお店が増えた気がします。

 ブックカフェなんてものがそこら中にあって、ひと昔なら「喫茶店にも本がある」ってだけだったのに、それがちゃんとしたジャンルとして成立していて驚きます。


 きっともうなくなっているか、建て替えちゃっただろうな、と思っていた神田古書センターが昔のままの佇まいだったことには感激しましたが、新しいお店も増えていて、世界の変化の速度に目を回しそうです。


 人生の歩みの遅いぼくなんかは時代の変化についていけません。

 一所懸命歩いているのに風景は後ろから前にどんどん流れていくようで、つい「ああっ! 待って、置いて行かないで!」と焦るような気持ちになったりもします。


 とうとう最近では、どうせ自分は自分のペースでしか歩けないのだから、周りは周りで勝手に先に行ってくれればいいと、なかば諦めがついてきました。


 こう見えて一所懸命に生きてるんですよ。


 ▽


「古書店とインスタントコーヒー」などでも書きましたが、当時のぼくは特に古書が好きなわけではなく、単にお金がないから古くて安い本を読んでいただけでした。


 図書館で借りればタダですが、ポケットに入れて雑に持ち歩きたい関係上、捨て値で売っている10円本を大量に買っていたというだけのことです。


 おとなになって、自分でお金が稼げるようになって、ようやく古い本の良さに気づいたような始末です。


 だから、今になって神保町をうろつくと、子どもの頃とは違った視点で、古本屋が魅力的に見えてきます。


 ▽


 たまたま立ち寄ったちょっとおしゃれな古雑誌やさんの2階に、カップコーヒーの自販機がありました。

 なんと、本を買えば一杯無料とのこと。

 しかも読書スペースまであります。

「なんて気の利いたサービスなんだ」と感動したぼくは、喜んでコーヒーを頂きました。


 古雑誌とカップコーヒー。


 どうですか。

 最高の組み合わせではないでしょうか。


 ふと、懐かしい気持ちになりました。

 つい、子供時代に迷惑を掛けまくった古本屋のオヤジさんのことや、本にまつわるマリアージュについて思いを馳せることとなりました。


 ▽


 マリアージュ。

 言わずもがな、フランス語で「結婚」の意味ですが、こと日本においては、ワインと食べ物の相性ピッタリな組み合わせのことを指すことが多いようです。


 今ではワインや食べ物に限らず、相性全般で使うこともあるようですが、今回は本との組み合わせについてのお話です。


 ▽


 最初に「本との組み合わせ」に夢中になったのは、小学生低学年の頃でした。


「アンクル・アップル」という絵本(検索したのですが、残念ながら見つかりませんでした)を読みながら、りんごジュースを飲み、クッキーを食べるというのに、異様なまでの相性の良さを見出したのです。


 本には、ピッタリのお供がある!

 うまくそれを見出すことができれば、本の魅力を何倍にも感じられる!


 と、まぁ言ってみれば当たり前のことを発見したぼくは、それからマリアージュ探しが趣味となりました。


 次に見つけたのは「オズ」シリーズとダージリンティの組み合わせです。

 ダージリンといっても、セカンドフラッシュがどーとかいうお高いやつではなく、誰も飲まずに放置されてた、お中元やお歳暮の定番のトワイニングのティーバッグセットに入ってたやつです(全部ぼくが飲みました)。


 マリアージュは飲み物に限らず、音楽なんかももちろん最上のお供となります。


 先ほどの「オズ」シリーズならば、坂本龍一さんの「PARADISE LOST」がピッタリだと感じました。


 眉村卓先生の「ぬばたまの」には高橋幸宏さんの「NEUROMANTIC」を合わせてみました。


 こうしてぼくは、本には対になる飲み物や音楽など、然るべきシチュエーションがあると確信するに至りました。


 だからこそ、本から得た印象と感動は、ぼくにとって究極のプライベートであり、故にそれを無作法に「みんなの前で公開せよ」などという読書感想課題を蛇蝎のごとく嫌っていたわけです。


 ぼくの作り上げた理想の箱庭に汚ねぇ土足でドカドカ上がり込んでくるんじゃねぇよ、と本気で思っていました。


 そして、これはだんだんとエスカレートしていくことになります(またか)。


 ▽


 アメリカ文学にハマったときには、コーヒーを自分で淹れることを思いつきました。


 家にあった安物のコーヒーメーカーでコーヒーを淹れ、ブラックで飲むと、大人になった気がしました。


 当時は子どもはコーヒーを飲んではいけないという風潮が強く、ゆえに「ブラックコーヒー = 大人」というイメージでした。


 実は苦すぎてまったく美味しいと感じてなどいないのですが、口に出して「……旨い」と呟いてみたりしました。


 そんな自分が、大人でかっこいいような気がしていました。


 そんなことを繰り返していると、そのうちに、だんだん苦味にも慣れて本当に美味しく感じるようになってきます。

 最初は無理をして大人ぶっていただけだったのですが、味覚だけはちゃんと大人になってくれたようで、しまいには「コーヒー、コーヒーが飲みたい……」と、何かの中毒患者のようにブラックコーヒーを求める体質になりました。


 そうなると、だんだん物足りなくなりまして、次はコーヒーを美味しく淹れることにハマります。


 ▽


 最初はサイフォンとか、ハンドドリップに凝ります。

 理由は、たまたま家に道具があったからです。


 当時はあまり情報がなく、古本屋でコーヒー抽出の専門書を読み漁りました。

 本屋のオヤジも慣れたもので、「カイエがまた妙なものにハマり始めた」と諦め顔でした。


 どんどんマニアックになっていきます。

 そのうちに、とうとう自分で焙煎をするに至ります。

 自作の焙煎機(穴を開けた粉ミルクの缶にハンドルをつけたもの)でガシャガシャと生豆を煎るわけです。

 ちなみにめっちゃ散らかります。


 大人になると、エスプレッソに手を出します。

 当時はエスプレッソなんて言葉は知られておらず、「泡立ちコーヒー」なんて言い方をしていましたが、ガチで上手く淹れられたエスプレッソは、家中をいい香りで充満させます。


 こうなると、もはや本とのマリアージュ探しというよりは、ただのコーヒーマニアです。

 それでもぼくは「このコーヒーにはこの本が合う」みたいな妙なこだわりで、本とのマリアージュを追い求めます。


 コーヒーだけでなく、紅茶にもばかみたいなこだわりを発揮します。

 茶葉だけでなく道具、水、タイミングなど全てにおいて研究しまくるわけです。

 温度計片手に一喜一憂しながら、それをお供に本を読みます。


 ぶっちゃけ、自分でもちょっと病的だと思います。

 なんだか、本のお供のはずが、人生のかなりの割合をそれらに費やしていました。


 ▽


 本末転倒とはことのことで、そのうちにぼくはアホらしくなりました。


 思えば、ぼくはもともと古本屋のオヤジさんの淹れたインスタントコーヒーが飲みたかっただけなのです。


 それが気づけば、やれ焙煎がどーとか、チャフがどーとか、グラインダーはどの形式がいいとか、抽出技術が何とか、やかましいことばかり言っています。


 道具にお金を費やし、研究に手間と時間を費やして、考えてみれば本を読む時間が削られているような気もします。


 やめだやめ!

 あほらしい!


 ある日ぼくは何もかも馬鹿らしくなって、コーヒーへの情熱を失いました。


 本のお供にはインスタントコーヒーで十分だし、音楽も読んでいる小説の邪魔にならないものであればそれで十分です。


 ▽


 一周回って「結局のところ、本にはインスタントコーヒーだよな」となってしばらく経ちます。

 もちろんお店などで美味しいコーヒーに当たると嬉しいし、たまに人から求められればしっかりとしたものを提供したりもします。


 そんな中、神保町の古雑誌やさんの2階スペースで飲んだカップコーヒーは、神保町という空間そのものとぴったりなマリアージュだと思いました。


 すごく美味しかったです。

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