忘れられない味

 誰にでも、忘れられない味の一つや二つはあるとおもいます。


 ぼくにもあります。

 それがもう二度と口にできないものともなれば、望郷の想いにも似た切望が生まれたりもします。


 ▽


 欲しいものがたくさんあります。


 やりたいこともたくさんあるし、こうだったらいいのに、ああだったらいいのにと思うことも多いです。


 つまり、めっちゃ欲深いザ・俗物なのですが、反面「欲しい」とか「食べたい」とか「こうしたい」みたいな気持ちに振り回されるのは大嫌いです。


 そもそも、欲求とは幸せになるための感情のはずです。

 もし「手に入らなくて苦しい」などと感じるようであれば、それはたぶん何かがズレてるんじゃないかと思っています。


 最低限の衣食住と、日々を楽しめるちょっとした何かさえあればひとまず満足ですし、そのうえ「もし手に入ったら嬉しいもの」がたくさんあるというのは、幸せなことだと思います。


 だから、いろいろ思ったようにはいきませんし、欲しいものもなかなか手に入らないぼくですが、「もし想いが叶ったらうれしいね」といった感じで、いま足りない状態を楽しめる人間でいたい。


 そんなことを思いつつ、日々をたのしく生きています。


 ▽


 ……などと言いながら、ぼくにはどうしても忘れられない味があります。

 もう手に入らないのに、なんとしてももう一度味わいたいと思う味です。


 もう口にできないという事実が苦しいです。

 渇望であり、切望です。


 困ります。

 これではぼくの人生哲学に反するではありませんか。


 何かというと、それはたこ焼きです。


 ▽


 家から小一時間ほど歩いたあたりに、ものすごく古ぼけた商店街があります。

 もとは神社の境内だった土地だそうで、歩いていると突然とても立派な神社が現れてびっくりします。

 最近は時代の流れもあって、さすがにシャッターが閉まっているお店も増えてきましたが、それでもなかなか賑わっていて、かなり頑張っている方だと思います。

 実際、そぞろ歩くだけでもそれなりに楽しい商店街です。


 そこに、老舗のたこ焼き屋さんがありました。

 1坪ほどのめちゃくちゃ狭いお店です。

 創業58年という話ですから、ぼくが生まれるよりずっと昔から存在していたことになります。


 商店街には他にもたくさんたこ焼き屋さんがあって、ほとんど激戦区みたいな感じなのですが、そのお店はそんなことどこ吹く風、いつもひっきりなしにお客さんがいる人気のお店でした。


 そのたこ焼き屋さんは、大阪で一番古いとも言われる、とある飲食店のお向かいにぽつんとあって、地域柄とてもシンプルなたこ焼きを提供してくれていました。

 具材はタコだけ。

 地ソースと、好みでゆず七味をふりかけていただきます。

 どちらかというと、明石焼きにもちょっと似た感じの、プレーンなたこ焼きです。

 このあたりは兵庫との県境で、古いたこ焼き屋さんはだいたいこんな感じです。

 お値段もかなりお安くて、ボリュームも満点です。


 対して、ミナミのほうに行きますと、具材を贅沢に使ったゴージャスなたこ焼きが好まれる傾向にあります。

 大きなぶつ切りのタコとか、紅しょうがやネギ、店によっては桜エビが入ったりもします。

 たっぷりの具材を引き立てるため、生地はあまり主張しないものが多いです。


 あるいは表面がスナック菓子みたいにカリッカリで、中がとろりとやわらかいたこ焼き、生地自体にしっかり味のついた変わりたこ焼き、トッピングにこだわったたこ焼きなど、関西に住んでいると面白いたこ焼きには事欠きません。


 どれもぜんぶものすごく美味しいです。


 ですが、ぼくのお気に入りだった老舗のたこ焼きやさんは、時代に逆行するかのように、かたくなに「具材はタコ、薬味は天かすのみ」のスタイルを貫いておりまして、固定ファンが非常に多いお店でもありました。

 経木の船に盛ってくれて、緑色の薄紙にくるんでくれるオールドスタイルです。

 非常に狭いお店ですが、店内で食べることもできます(定員1〜2名です)。

 そこでおばちゃんとおしゃべりしながら食べていると、さまざまなお客が訪れます。


 群馬から大阪に来たついでに、わざわざ足を伸ばして買いに来る人。

 日本に帰ってきたら必ず買いに来るというスチュワーデスさん。

 近所のおばあさんが、毎日ちょっとずつ食べるために買い溜めにきたりもします。

 みんな、おばちゃんと仲良くおしゃべりするので、個人情報ダダ漏れです。


 別にタコが特別に大きいわけでもなし、なんなら特徴がないのが特徴といってもいいそのお店のたこ焼きが、なぜそんなに人気なのかというと、生地がやたらと美味しいのです。

 というか、他のお店にはない、そのお店だけの特有の風味があります。


 その香りが人を狂わせます。


 だから、ゴージャスで美味しいたこ焼きをどれだけ食べても、このお店のたこ焼きとはまた別というか、これが本当のオンリーワンというやつか、と納得する味なのです。


 ソースが地ソースなのも良いです。

 関西には小規模なソース会社がたくさんあって、それぞれ個性があります。

 もちろん定番の「オタフク」とか「カゴメ」「ブルドック」みたいなソースも美味しいのですが、地ソースには地ソースなりの面白さがあります。


 そんなわけで、そのたこ焼き屋さんはひっきりなしにお客さんが訪れる人気店なのでした。


 ▽


 そのお店が、お店を畳むことになりました。

 老舗ですので、たこ焼きを焼く人もそれなりにお年ですし、そろそろ限界だということで「あと2ヶ月で店を閉めます」と宣言されるに至りました。


 ぼくにしてみれば、子供のころから慣れ親しんだ弩定番のたこ焼きが食べられなくなるということで非常にショックでしたし、同じ想いの人もかなり多かったようです。

 実際、閉店宣言が浸透し始めると長蛇の列ができまして、最終日などは商店街の外まで人が並ぶ始末です。

 YouTube にもファンによる最終日の様子の動画がアップされておりまして、なんだか悲しくて最後まで見ることができませんでした。


 ぼくはおばちゃんの負担を考えて最終日は避けて数週間前に突撃し、作るところを一部始終見せてもらったりして、おばちゃんとたこ焼きとの別れを惜しみました。


 おばちゃんもサービスしてくれまして、形の悪いやつをサービスしてくれたり、瓶の飲み物(7up とか、スコールとか、冷やしあめとか、バャリースオレンジの瓶が置いてあります)を奢ってくれたりして、寂しいながらも楽しく過ごさせてもらいました。


 そして最終日を迎えます。

 我が心のたこ焼きを、永遠に失う日がやってきました。


 ▽


 それからというものの、あの生地の香りの秘密が知りたくて、あの味が食べたくて食べたくて、どうにも耐えられなくなりました。


 他のお店のたこ焼きを食べても「美味しいたこ焼き欲」は満たされても、「たこ焼き欲」が1mmも満たされません。


 あんな弩シンプルな、タコと生地だけのたこ焼きなのに!


 そんなわけで、スイッチが入ります。


 ▽


 粉と卵と水の割合は、作るところを見せてもらったことでだいたいわかっています。

 粉の種類も、天かすのブランドも、地ソースのブランドもです。


 ただ、味付けがなんなのかだけがわかりません。

 ちゃんと一から出汁を取っている様子はなく、水道水をホースでジャーと入れていましたので、出汁的な味が何で付けられているのかがまるでわからないのです。


 いわゆる「ほんだし」などの粉末カツオだしの味ではありません。

 かといって、うま味調味料たっぷりの味ではありませんし(どちらかというと粉の旨味がはっきりわかるくらいの薄味です)、一番近いのは昆布茶ですが、似て非なるものでしかありません。


 さあ、そこから狂気の探究が始まります。

 いつものやつです。


 ネットを漁り、知人の料理人たちにもヘルプ要請を出し(みんなそのお店が無くなったと聞いてショックを受けていました)、本屋で専門書を片っ端から立ち読みし、インスピレーションを高めるために明石まで足を伸ばし、死に物狂いでたこ焼きを作りました。


 味付けだけでなく、使う油、焼き方、型などの問題もあります。

 入れ物である経木の船の香りも重要なファクターです。

 お店の型は銅製でしたが、わざわざ明石まで足を運んだのに気に入ったものが手に入らず(あるいは馬鹿みたいに高い)、かわりに鉄製の直火用のでっかい型を購入しました。

 有名な「炎たこ」というテフロン加工の型も持っていますが、この探究のためにはちょっと不向きだったのです。


 たこ焼きらしい味をつけられるものは大抵試しました。

 といっても、相手は老舗です。

 ぼくが子供のころから味が変わっていない点から、特に変わったものは使っていないはずです。

 また、寝かせるタイプの生地ではなく、どんどん作ってどんどん消費するタイプであることから、取り扱いが簡単なものであることも間違いないです。


 お店がなくなる前に聞けばよかったじゃん、と周りには言われましたが、それは名店に対して失礼であると考え、涙を飲んで我慢をしたのです。


 毎日毎日、狂ったようにたこ焼きを焼きました。

 最初のうちは喜んで食べてくれた家族も、そのうち「いい加減にしろ」と言い始めます。

 ですが、「似て非なるもの」しか作れていない現状、止めるわけにいきません。

 質感、そっくり。

 食べた感じ、そっくり。

 味の濃さ、旨味のまったり感、そっくり。

 ソースは多少違いますが、そもそもソースをつけずに食べることも多かったのでこれは問題なし。


 なのに、あの香りだけがない!


 しまいにはホームパーティなどで出すと、味にうるさい姉妹に、お世辞混じりに「今まで食べたたこ焼きの中でも一番うまい」などと評価されるに至りました。


 でも、違うんです。

 そうじゃないんです。

 美味しいだけでいいなら、これより美味しい店なんて何百軒だって存在してるはずです。

 より旨いたこ焼きではなく、ぼくはただ、あの店の、あの味、あの香りのために探究しているのです。


 もはや、最終手段としてお高い銅の型を試してみるしかない……と思い詰めたところで、ドクターストップがかかりました。


 ▽


 奥さんの体重が激増して、定期検診に引っかかりました。

 お医者さまとのヒアリングで「なんでこんなに増えてるの」と驚かれたので、たこ焼きの話をすると「絶対それじゃん」ということになりました。


 ものすごく後悔しました。


 全部ぼくのせいです。

 ひとを幸せにするためのたこ焼きで、不幸を生み出してしまいました。

 本末転倒です。


 その日から、ホームパーティで求められないかぎり、たこ焼きを焼くことはやめています。


 ▽


 お店が現役のころ、ぼくはとあるイベントでノベルゲームの原作を書くことになりました。

 残念ながら途中で頓挫しまして、ゲームとして発売されることはなかったのですが、原稿を小説として公開しまして、それなりに楽しんで読んでくれた人もいたので満足です。


 そのゲームの舞台に選んだのは、このお店を中心とした、商店街でした。

 当時、たこ焼き屋さんのすぐ近くに銭湯がありまして、なんと薪でお湯を沸かすというこれまた老舗でした。

 それぞれ許可を取りまして、銭湯、花屋さん、お弁当屋さんの3人の娘(もちろん人物は創作です)を主役に、たこ焼き屋と神社を舞台として、物語を進行させました。


 なんと、関東のほうからわざわざモデルになった商店街を見に来られた人もおられたようで、とてもいい思い出です。


 今は、その銭湯もお弁当屋さんも無くなってしまいました。

 花屋さんは残っていますが、代が変わってしまったようです。


 最後に残っていたたこ焼き屋さんも閉店したことで、なにか一つの時代が終わってしまったような気持ちです。

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