監督派のブレークスルー
みなさんこんにちは。カイエです。
突然なんなんだこのタイトルと思われたかたもおられるでしょう。
説明させてください。
この「監督派」というのは、「ちよろず」を読んでいただいているかたならお馴染み、伊草いずくさまの提唱されている、小説書きの書き方のちがいを伊草さんなりにざっくり分類したもので、言うなれば「キャラクターが勝手に生まれて喋る」タイプのことです。
じゃあその反対の人はといえば「設計派」、つまり「キャラクターを設計し、コントロールする」タイプです。
くわしくは伊草さんのエッセイをお読みください。
仮説:自動生成と交通誘導 - 無菌室四畳半、日当たり良好。
https://kakuyomu.jp/works/16817330652957001952/episodes/16817330653604144518
補:設計派と監督派(リネーム回③) - 無菌室四畳半、日当たり良好。
https://kakuyomu.jp/works/16817330652957001952/episodes/16817330654037767513
カイエは自分の中になかった概念をいろいろ発見させていただきまして、「なるほどふむふむ」とか、「これは自分的にはこう」とか、意見交換なんかをさせていただいております。
そんなやりとりのなか、ぼくことカイエは、監督派」ということになるようです。
情熱にまかせてドバーッと書くタイプなので「監督」という理知的な印象には当てはまるのかは疑問ですが、「監督派」とは「キャラクターが自動的に動くタイプ」とほぼ同義なので、この区分でいえば間違いなく「監督派」ということになりそうです。
▽
ぼくは、ほかの方の考え、思いなんかをあまりつっこんで考えるタイプではありません。
言い換えると、ひとさまのことを自分の勝手な想像で「きっとこう」みたいなふうには思わないように細心の注意を払っています。
というのも、度量の狭い自分ていどが理解できることなんて高が知れているわけです。
だれかを理解したつもりでも、それは自分の想像の範囲でしかありません。
だから、きっとそれは100%混じり気なしの誤解しかないだろうという確信があるわけです。
人と人は分かり合えない。
想像のおよぶ範囲で、理解したような気になるくらいが限界だし、それは相手を 1% でも理解できたことにはならない。
だからこそ、尊重し合うことが大切なのだ――というのが、ぼくの人間関係哲学における基本となっています。
だから、ひとさまの考えをご自身の口から聞かせてもらうのはとても楽しいです。
本来ならわかり得ないようなことを、本人の口から教えてもらうというのは、特別な体験だと思います。
それはいつも新鮮で、SF 的に言えば自分の中にない概念を脳に注入されるような快感があります。
に、してもですよ。
今回のこちらには本当にびっくりしました。
設計派のブレークスルー - 無菌室四畳半、日当たり良好。
https://kakuyomu.jp/works/16817330652957001952/episodes/16817330657126964129
テーマ!
テーマについての考え方が独特!
というか、ぼくは「小説とはテーマである」というくらいには、これありきで文章を書いてきており、そのためには「いかにテーマが明確であるか」は最重要ファクターだと思い込んでおりました。
あえて「答えの出ないこと」をテーマにする。
マジかー、そんなことが可能なのかー、とパラダイムシフトにくらくらしました。
▽
まぁ、極論を言えば「愛ってなんだ」みたいなタイプの「答えが出ないテーマ」は十分にありえます。
ただ、筆者なりに答え(伊草さん風に言えば「ためらわないこと」など)はあるものだと思っていたし、仮に答えは出なくとも「愛とは何か探求すること」そのものがテーマだったりするもんだと思っていたんですよ。
そこを、意図的に、答えを出さずに、文章を書く。
手に余る、答えの出ていないテーマを、答えを出さずに、文章を書く。
意図的に。
曰く、「自分ごときの手に余らない、最初から最後までオチが見えてる話なんて書いても、つまらないものしか出来上がらなくないですか……?」とのことで……いやいやいや。
エッセイによるとそれが(伊草さん的には)ネックになっていたとのことですが、それ以前に、これって凄まじいことだと思うんですよ。
人間にそんなことができるとは、想像したこともなかった。
なぜって、日本語には主語はなくてもいいけれど、テーマがないというのはあり得ない、と思っていたから。
英語でいえば、主語を定めずに小説を書くような……ええいまどろっこしい! どう説明したらいいんだろう、これ!
▽
それでいて、伊草さんの小説や文章は、とても面白いです。
みずみずしさ、スピード感、カタルシス、かとおもえば一人の人間の小さなこだわりなんかにフォーカスが当たったりして、人を惹きつける、どんどん読めちゃう魅力があります。
伊草さんご自身は「キャラづくりが苦手(意訳)」みたいなことをおっしゃっていますが、読者としちゃそんなこと全然わかりません。
伊草さんの代表作「識域のホロウライト」でいえば、佑や由祈、悠乃にしても、とても明確なイメージが湧くし、なんなら口調なんかもイメージできます。
だから「一体なにが不満なの」と思わなくもないのですが、自分の文章に不満がない物書きなんて(プロアマ問わず)いないでしょうし、それはまぁいいです。
問題はキャラ作りじゃなく、テーマの作り方。
テーマに答えを出さないままに書いていたという事実。
脳の使ってないところの扉がバシバシ開く音がします。
だって、今の今まで物語のテーマっていうのは、いわば旅の目的地みたいなものだと思っていたから。
あるいは「あてどもない旅」というテーマでもいいんですが、それすら曖昧に足を踏み出す勇気よ。
▽
でも、もしかすると今はそういうこともあるのかもしれません。
自分が知らなかっただけで、あるいはテーマそのものもなく何となく書いたりする人もいるのかもしれません。
ぼくはじぶんの小説を特に個性的なものだとは思っていませんし、じぶんの書き方が普通であるとも、あるいは独特なものであるとも思っていません。
だから、ぼくが普遍的だと思っていたものがそうでなくともおかしくはありません。
▽
いま、じぶんのワンパターンな書き方を拡張すべく、非常に自分らしくない書き方で小説を連載しています。
ぶっちゃけ自分でもどうなんだコレと思いながら更新していますし、一度書いたものを何回も書き直す面倒臭さもあるのですが、とても楽しいです。
今回、じぶんの視野の狭さと想像力のなさをさらに実感したので、テーマの作り方もちょっと模索してみたいと思います。
ここは逆張りで、一度でいいので「手に余る、答えの出ていないテーマ」で書いてみたい。
まだ見ぬ、予想もつかない風景を探しに行きたい。
ぼくの旅スキルだと、旅というよりはただの徘徊になってしまいそうですが、それでも本文が予測を超えていくのか、あるいは路上で野垂れ死ぬか、それはまぁいいでしょう。
またあたらしい視野が手に入りそうです。
本当に、人生って退屈してる暇もない。
▽
伊草さんのエッセイは「地球の歩き方」みたいな面白さがあります。
ぼくはいつも、名も知らぬ言葉も通じない外国へ夢を馳せるような気持ちで読んでいます。
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