続・かけごと
先日「親切なお兄さんに一生かけごとはしないと誓った」という話をしました。
これはその続編です。
ぼくはあのあと、たった一度だけ約束を破ってかけごとをしたことがあります。
でも、違反にはふれていません。
というのもこれは留学中、ドイツでのできことだからです。
▽
留学などというと、裕福なうちの生まれだと誤解されそうですが、ぼくの家はごくごく平均的な中流階級ど真ん中です。
この留学も、両親はぼくが大学に行くために必死に溜めてくれていたお金を放出して、かなり無理をして実現してくれました。
ありがたいことです。
でも、そんなだから、バカンス中に自由に使えるお金はほとんどありません。
たぶん同期でいちばん貧乏だったと思います。
お金持ちの友人たちがクレジットカードで気軽にお金を使っている姿を横目に、ぼくはいつもお腹を空かせていました。
ホテルに泊まるお金も足りず、しょっちゅう野宿していました。
バックパッカーに混じって駅で雑魚寝していて、お巡りさんに追い払われたのも一度や二度ではありません。
そんなぼくですが、わりと何度も足を運んだのはドイツのフランクフルトでした。
理由は、そこの安ホテルの支配人の息子と仲良くなったからです。
日本文化、とくにカラテが好きなその青年、ここでは本名をもじって「バニーくん」と呼びましょう。
▽
何度か泊まったそのホテルの地下には、ビリヤード場がありました。
バニーくんはそこの店長です。
日がなビリヤード場のある地下で、たまに自分でも球を突いたりしながら、ビールなんか飲んで過ごしていました。
そんな彼と意気投合して仲良くなったぼくは、そこで無料でビリヤードを楽しませてもらっていました。
今はどうか知りませんが、当時のドイツの青年たちはけっこう性格が荒かったことを覚えています。
ビリヤードも、手球を的球をじっくりと観察してから突く、なんて概念はなくて、自分の番が回ってきたらツカツカと歩いて行き、ほとんど狙いもせずにパカーンと突くのです。
ほとんど力比べです。
力が強ければ強いほど、球が(偶然)ポケットする確率が上がるというわけです。
親父譲りの「最低限の力で突く」ぼくとは合わないスタイルです。
バニーくんと一緒にしばらく遊んでいると、数人の客がゲームを終えて帰り支度をはじめます。
一応そこの店主でもあるバニーくんは、ぼくとの勝負を置いて、台賃を徴収しに行ってしまいます。
するとその時、近くで座っていた青年たち3人が近寄ってきたのです。
今でもはっきり覚えてます。
白人がふたりに黒人がひとりの3人組です。
白人ふたりは痩せていて、黒人さんは筋骨隆々です。
しかも3人ともゴテゴテとタトゥーが入っていました。
超こわい。
3人とも背が高く、170センチちょいしかないやせぎす東洋人のぼくは、めちゃめちゃビビりまくりました。
何やら話しかけられましたが、日本人らしくエヘヘと愛想笑いするくらしかできません。
「おい、俺たちともやろうぜ」
多分、そんなことを言っているっぽいです。
でも、ぼくは残念ながら、ドイツ語はグーテンモルゲンとブルストとプロージットくらいしか知りません。
あとはえーとえーと、バームクーヘンとか……とあわあわしているうちに、勝負が始まってしまいました。
助けて、とバニーくんに目を向けますと、さっと目を逸らされました。
ビールなんて飲んでないで、アジアからの友人を助けてくれよと思いましたが、兎にも角にも勝負は始まってしまいました。
当時のドイツのビリヤードは、おのおのポケットに紙幣を突っ込んで、そこに入れば総取り、入らなければ次の人のターンという感じで、いわゆるビリヤードのルールでは進行しません。
ぼくは「これは勝ったらあかんやつや」とばかり考えていました。
でも、手を抜いて打つと「おい、もっと真面目にやれよ」みたいなことを言われます。
勝つだけでなく、負けるわけにもいきません。
もうまる1日以上何も食ってませんし、なけなしのお金を奪われると空腹で倒れかねません。
しかたなく、勝ちも負けもしない程度に頑張ります。
連中は、はっきり言ってめちゃめちゃ下手でした。
ネクスト(手球のコントロール)を1ミリも考えないような連中でした。
「これで外したら、手抜きが確実にバレる」みたいな球が何度も巡ってきます。
しかたなく札束に向かって力いっぱい球を突きます。
あわよくば、ぐうぜん紙幣に邪魔されて球が弾かれて「Oh My !」みたいなことをやりたかったのですが、そんな時に限ってスパーン! と球は気持ち良くポケットに飲み込まれて行きます。
じわじわ勝ってしまう自分。
イライラし始めるドイツのチンピラたち。
心の師匠たるお兄さんに誓った「一生かけごとはしない」という約束を破ることにもなりますし、同時に「おい、俺らの金を持っていったんだ、わかってんだろうな」と裏に連れて行かれてボコられたりするかもしれないという想像で、怖くて怖くて仕方ありませんでした。
ぼくは「なんとか場を和ませよう」と、球を突くたびにドイツ語の語彙を披露することを思いつきました。
「グーテンモルゲン!」とか「バームクーヘン!」とか叫びながら突くのです。
あとはドイツ出身のアーティスト名や地名とかも列挙しました。
これが思ったより馬鹿ウケしまして、みんなゲラゲラ笑ってくれました。
でも、しばらくするとさすがに「なんだこの東洋人、偶然にしては勝ち過ぎだろ」といった空気が流れ始めます。
俺たちをカモにするつもりじゃねぇだろうな、とチンピラたちの目がどんどん剣呑な感じに変化して行きます。
冗談が通じなくなってきます。
しまいには「おい、もしかしてお前、ハスラーじゃねぇだろうな」みたいなことを言いだします。
そんなわけあるか。
お前らはちょっとでいいから狙うってことを覚えろ。
▽
ところで、この日バニーくんを訪ねていったのは、この日がドイツ最終日だったからです。
この日はユーレイル・パス(ヨーロッパ中の国営交通機関が使える格安チケット)ではなく、普通の切符でやってきていました。
フランクフルトから、本拠地であるリヨン郊外まで帰ろうとすると、どうしてもこの日のうちにフランクフルトを出てパリへ向かう必要があります。
でないと、ほとんど一文無しのまま、フランクフルトに放り出されてしまいます。
しかし、勝ち逃げが許される空気ではありません。
ジリジリと時間が過ぎて行き、このままでは間に合わん、となって、ぼくはとうとう泣きを入れました。
バニーくんを呼びつけて、翻訳してもらいながら、列車のチケットを見せて説明しました。
ぼくは製菓製パンの勉強のために日本から来た学生です。
実は、今日中にパリへ向かわないと、学校に帰れなくなります。
あなた方に釣られてポケットに突っ込んだ紙幣は、ぼくの全財産です。
勝ったお分の金はいりませんから、すぐにも帰りたいのです。
そう言うと、みんな顔を見合わせます。
バニーくんの翻訳で、こんなことを言われました。
「おい、ならなんでこんな時間にここにいるんだ?」
「駅はすぐそこだから、急げば間に合うと思って」
「車でもあるのか?」
「いいえ?」
「そこにあるのはマイン駅だぞ?」
「ええ、Main(中央)駅ですよね?」
「違う、MAIN はマイン川のことだ。そのチケットでパリに行くならもう一つの駅に行かないとだめだ」
「えっ」
「もう間に合わんのじゃないか」
「えっ」
「明日じゃだめなのか」
「チケットの有効期限があるから、だめです」
「でももう間に合わんぞ」
「えっ」
お兄さんたちは慌てて、ビリヤード台のポケットからお金を抜き取り、ぼくの服のポケットに突っ込みました。
「急げ! 送ってやるから!」
「マジですか!」
引っ張られるようにして、ぼくはチンピラ(だと思っていたタトゥー3人組)の車に押し込められ(明らかに改造して作ったオープンカーです)、猛スピードでもう一つの駅まで運んでもらいました。
運ばれながら、拙い英語で会話もしました。
最初から英語で会話すりゃよかったとも思いましたが、ぼくも相手も超カタコトですので、まぁ結果はあまり変わらなかったでしょう。
「あの、このお金、受け取るわけにはいかなくて……」
「お前が勝って手に入れた金だろうが」
「いえあの、駅まで送ってもらってるし、それにかけごとは、えーと、マイ・ポリシーで、えーと……」
「ああ?!」
「なんでもないです」
あっという間に駅につきました。
「またフランクフルトに来いよ!」
「わかりました、必ず行きます」
「元気でな!」
「今度は◯◯公ぬきでやろうぜ!(本当に言った)」
こうしてぼくは、なんとか最終列車に間に合うよう、正しい駅に到着することができました。
ぼくは大きく手を振りながら「また来るね!」と言いました。
▽
その後、もう一度だけフランクフルトに行ったのですが、残念ながらその日はバニーくんもチンピラ3人組もおらず、結局二度と会うことはありませんでした。
これが、たった一度だけぼくが約束を破ってかけごとをした経験です。
ぶっちゃけノーカンだろと思っています。
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