かけごと
まずはじめに、ぼくは「誰かに迷惑をかけることなく、その人が幸せなら、どんな生き方をしようと自由」だと思っています。
だから、これからするお話は、あくまでぼくの個人的な物語であり、これを読んだかたがどんなにギャンブル好きであっても、それを批判するつもりはありません。
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わが家には家訓らしい家訓などないのですが、それでもほんのいくつか厳格なルールがあります。
ふだん、子どもたちに何も強制しないぼくですが、これに関しては完全にぼくの個人的なわがままで、いわば親の強権で子どもたちに意見を押し付けている格好です。
そのうちの一つが「かけごとはするな。やるならぼくが死んでからにしろ」というものです。
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法律に違反しないかぎり、何をするもしないも子どもたちの自由であることは重々承知しています。
じっさいのところ、おとなになってひとり立ちしたあとなら好きにしてくれればいいのですが(止める手立てもありませんし)、それでも子どもたちは「あなたがそれほどまでに嫌がるなら、自分も一生かけごとはせずに生きていこうと思う」と言ってくれています。
ありがたい話です。
こんなに素直に親のことをきくだなんて、こいつら本当にぼくの遺伝子を受け継いでいるのでしょうか。
「ひょっとしてこれ、じつはぼくと血が繋がってないんじゃないの?」
と奥さんに言ってみたら、ニッコリ笑って
「ごめんね?」
と言われました。
……マジかよ。
まぁ、じつのところ、子どもたちは素直さ以外はむしろ mini me というか、遺伝子コエーと言わざるを得ないほどにはぼくにそっくりなのですが、それはさておき、子どもが素直だろうと素直でなかろうと、何かを禁止するならばその理由を述べておく必要があります。
これは、ぼくが子どもたちに何度も話したエピソード・トークです。
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ぼくがかけごとを避けているのには、いくつか理由があります。
いちばんわかりやすいのは、世間一般に言われている「かけごとの怖さ」というやつです。
幸い、ぼくの身近にはかけごとで身を持ち崩した人はいないのですが、かけごとは一度はまってしまったら医学的にやめられないことを知って、真面目に怖いと思いました。
もう一つは、かけごとで儲かるということはその儲けよりも多くの人が損をしているという事実です。
海外のカジノみたいに勝ったり負けたりを楽しむものならば、めくじらを立てる必要もないのかもしれないのですが、「勝って得した」「負けて損した」といったタイプのかけごとの場合、自分がうれしければうれしいほど誰かが損をしているわけです。
たとえばそれで飲食をすれば「他人の不幸でできた血肉」と一緒に生きていくことになります。
あくまで個人的な意見として、自分の血肉は誰かの喜びや救いでできていてほしい。
そうした理由で、ぼくは拾ったお金も1円たりともポケットに入れません。
まぁ、理想論というか、わがままみたいなものです。
ただの偽善と言い換えても、大きく間違いではないと思います。
でも、ぼくがかけごとをしない一番の理由は、とある人に「一生かけごとはしない」と、約束したからです。
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高校生のとき、ビリヤードが流行りました。
みんな、ちゃんとしたテクニックなんて関係なく、どちらかというと「とにかく強く球を突いて、運良く球がポケットすればいい」という感じでした。
間違ったジャンプボールを競い合い、ラシャを破って弁償させられた、なんて話がいくらでもありました。
ところが運の良いことに、ぼくには玉突き(ビリヤードではなく「玉突き」)が得意な親父がいました。
親父は玉突きがとても上手く、若い頃はもっぱら四つ玉を楽しんでいたそうです。
「ポケットゲームは簡単すぎてつまらない」なんていう人でした。
親父の手ほどきをうけて、ぼくはすぐにビリヤードが得意になりました。
とにかく正確に適切な強さ(弱さ)で突くことや、球筋の見かた、回転のコントロールなどを教わりまして、すぐに友人が相手では物足りなくなりました。
そうすると、学生が集まるような軽いノリのお店ではなく、老舗のお店なんかに顔を出し始めます。
そこで、20歳くらいの左利きの男性と出逢います。
そのお兄さんは、何かを確かめるように、ひたすら一人で球を突いていました。
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お兄さんは、お店が満員で台が開かず、小説本を読みながら何時間も待っているぼくに声をかけてくれました。
「俺はまだ当分やってると思うので、これ以上待たせるのも悪い。よかったら一緒にやってみるか?」
そう誘われて、ぼくはすぐに「やる」とこたえ、いそいそと台に向かいます。
勝負が始まります。
ぼくは年齢のわりにはまぁまぁやるほうだと自負しておりましたが、相手もぼくと同じくらいの実力でした。
その時、ぼくは生まれて初めてかけごとをしました。
といっても「負けた方が台賃を払う」といった他愛もないものです。
かけの対象は、ぼくが参加したタイミングから、終わるまでの間――3時間と仮定して、勝っても負けても、1800円とかそんなものです。
厳密に言えば法律違反にあたりますが、お巡りさんが袖を捲って出てくるほどのことでもありません。
今はどうか知りませんが、当時は「台賃の支払いをかける」のは、賭博とは見做されないという空気でした。
▽
それから数時間、接戦を楽しみまして、ぼくはなんとか勝利を収めました。
ローテーションという点差がつきやすいゲームなのに、2時間以上突いてほんの数点しか差がつきませんでした。
本当にギリギリの勝利です。
やった。
勝った。
1800円浮いた。
妙に興奮したことをはっきり覚えています。
一緒に突いてくれたお兄さんも、「いやぁ、負けちゃったか。じゃあ台賃は俺が払っておくから、君はもうお帰り」と言ってくれました。
たいへん気持ちのいい人物でした。
なのに、ぼくは途轍もなくアホなことを口にしてしまいました。
「よかったら、1点500円で、最後にもうひと勝負しませんか」
先ほどの興奮が忘れられず、もういちど味わいたくなったのです。
1800円という大金が浮いたことで、気が大きくなっていたんだと思います。
また、仮に多少負けても、1800円 + 台賃よりは安く済むだろうという打算もありました。
たぶん脳内麻薬で、もともとアホな脳みそが、ますますアホになっていたのだと思います。
「いいよ」
お兄さんが言いました。
「じゃあ、3回勝負。泣いても笑っても、それ以上はなし。それでいい?」
▽
ボロ負けしました。
お兄さんは、スッと目つきが変わったかと思うと、キューを右に持ち替えました。
左利きだと思っていたお兄さんの、本当の利き手は右だったのです。
しかも、先の左手の勝負でも、これ以上ないくらい、とことん手を抜いてくれていたのです。
最初はブレイク権を譲られまして、3ボールほど落としまして、相手のターンになってから、お兄さんは一度もミスすることなく、全部落とし切りました。
仮に、1から15まで全部落とせば、120点。
1点500円だから6万円。
それが3ゲームです。
18万円弱の負けが確定しました。
ぼくは途中で何とか止めようとしたのですが、お兄さんは一言も返事しないまま、淡々とボールを落とし続けます。
その時の恐怖たるや――!
その数ヶ月後にくだらない本作りに14万円を散財したぼくですが、あれは曲がりなりにも学校の課題です。
これは完全に趣味で、しかも法律に触れるかけごとです。
それまでの人生で感じたことのない恐怖を思う存分味わいました。
「これで18万円だね」
お兄さんは言いました。
「払える?」
▽
ぼくは必死に謝りました。
支払い能力がないこと、両親が厳しいことなどを捲し立て、何とか手持ちのお金だけで許してもらおうとしました。
電車賃まで全部支払って、家まで歩いて帰るから許してほしいと懇願しました。
するとお兄さんが言いました。
「条件付きだけれど、これからいうことを絶対に守れるならば許してあげてもいい」
おバカなぼくは二つ返事で「なんでも言うことをきく」と誓いました。
これでもし「ホテルで一晩付き合えよ」とか言われてたらどうするんだと、今になって思います。
でも、お兄さんが出した条件は、意外なものでした。
「一生、かけごとはしないと誓うなら、このまま帰っていい」
ぼくはキョトンとしました。
そのうちに、お兄さんの意図するところが理解できまして、ボロボロと泣きました。
ただお金を払いたくない一心で懇願していた自分がひどくみっともなく思えて、恥ずかしくなりました。
ぼくは「はい、誓います。かけごとはこりごりです。絶対に二度としません」と誓いました。
▽
この日から、ぼくは自分の意志でかけごとに手を出したことは、ただの一度もありません。
……とはいえ、実はその後、どうしようもない理由でかけごとをしたことがなくもないのですが、命のかかった場面(だと当人は思っていた)でのことなので、それは例外としたいと思います。
その辺の話も、話して聞かせると面白がってくれた人がおおかったので、また書いてみたいと思います。
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