メルヘンチックと言われたくなかった話
童話が好きです。
ムーミンシリーズの「冬」と「11月」はぼくのバイブルです。
幼少期には、ミヒャエル・エンデやリンドグレーン、マーク・トウェインなど偉大な有名作家たちに多大なる影響を受けました。
キャロリアンを標榜するのは烏滸がましいですが、ルイス・キャロルの作品は「アリス」以外もほとんど読みました。
オズシリーズもボーム作品だけでは飽き足らず、二次創作まで読み漁りました。
日本の童話作品も言うまでもなく大好きです。
佐藤さとる先生のコロボックル物語シリーズが大好きで、いつも目をこらしてコロボックルを探していました。
有川浩先生版はまだ未読ですが、近ぢか近所の図書館に借りにいこうと思っています。
コロボックル物語シリーズといえば、挿絵の村上勉さんの大ファンでもあります。
同じく佐藤さとる先生とのタッグである「おばあさんのひこうき」は初版本が家にあります(ボロボロですが)。
矢野顕子さんの 3rd アルバム「ト・キ・メ・キ」など、レコードジャケットを壁に飾りたいほど大好きです。
CD 持ってるけど買っちゃおうかな。
▽
でも、ぼくは子供のころ「メルヘンチック」と言われるのがすごく嫌でした。
ぼくが好きなのはメルヘンじゃない。
童話には、作者の仕組んだ秘密の鍵が隠されているのだ。
童話というベールを拭い去ると、そこには真実の世界が存在しているのだ。
……というようなことを考えていました。
みなさまはどうでしょうか。
似たようなことを思っていた方は、けっこう多いんじゃないかと想像しています。
▽
実際、好きだった作品はだいたいが大人向けに書かれたきらいがありました。
キャロルで言えば「スナーク狩り」や、本名であるチャールズ・ラトウィッジ・ドジソン名義で書かれた「ユークリッドの現代の対抗者たち」などは完全に大人向けというか、大人が読んでも意味がわからないというか、そんな感じの作品です(大好きです)。
オズシリーズは早い段階で作者が二次創作を認めていたため、数えきれないほどの物語が生まれましたが、そのほとんどは大人向けです。
ミュージカルにもなっている「Wicked」なんかは、めちゃめちゃいいロマンシスものですね。
ぼくは舞台を生で見まして、しばらくオズの世界から帰ってこれませんでした。
これを知ってから「オズの魔法使い」を最初から読むと、世界が一気にロマンチックになります。
ムーミンシリーズもそうです。
絵も文章も、どこまでも静謐で美しいです。
一説によると、トーベ・ヤンソンが生涯をともにした恋人(同性だったそうです)のために書いたとも言われる作品群。
寒く厳しい閉ざされた冬の世界にぽつんと灯る愛情というテーマは、拙作「魔物の森のハイジ」に強く影響しました。
「モモ」や「はてしない物語」がバイブルという大人はかなり多いでしょう。
実は、子供の頃はあまり好きでなかった「モモ」ですが、なぜか大人になってから好きになりました。
リンドグレーンは「長くつ下のピッピ」ばかりが有名ですが、子供の体罰を禁止する法案が作られたきっかけを作った方でもあります。
「やかまし村」シリーズや「ロッタちゃん」などは、スウェーデンの風景が美しい、読むというより鑑賞するような作品だと思います。
マーク・トウェインは「トム・ソーヤー」しか読んだことのない方には、短編集をぜひおすすめしたいです。
「ハックルベリー・フィンの冒険」は賛否両論ですが(個人的にはあれはあれでいいと思います)、マーク・トウェインの真骨頂は短編だと思っています。
キラキラしていて、文学的で、大人特有の不安感や、こども独特の残酷さ、天真爛漫さ、あっけらかんとした無神経さがリアルに表現されていて、どこか闇を感じる作品が多いのも特徴です。
……と、そんな作品を追いかけていれば、当然「メルヘンチックですね」などと言われます。
ぼくはそれがすごく嫌でした。
子供っぽいと言われること自体は別に全然構わないのですが(自分がこどもであることなど、重々承知していました)、何よりも自分の愛する世界が「子供騙し」と言われているような気がして不愉快だったのです。
▽
そもそも、ぼくにとって「メルヘン」という言葉は、あまりいい印象の言葉ではありませんでした。
小学校の先生に絵本作家の方がおられて、その先生になぜかひどく嫌われていたのも原因だったでしょう。
その先生が口癖のように「メルヘン」という言葉を使うのです。
なんとなく馬鹿にされているような気分になりました。
だからぼくは、その先生の作品を全部読んで、嫌いになり返そうとしました。
ところが、残念なことに先生の作品は悪いものではありませんでした。
有り体に言えば、結構面白かったのです。
どうやって子供を楽しませようかを一所懸命考え、心を込めて書かれた作品は、間違いなく素晴らしいものでした。
とはいえ、ぼくには合わない作品でもありました。
ぼくが読みたいのは、書いている人の心の風景であり、そこに「子供」である「ぼく」という「読者」の「好み」など、介在してはいけないように思えました。
それに何か教訓めいたことが含まれているのも嫌でした。
つまり「子供を楽しませよう」という意図が見える作品よりも、作者が書きたいように書いた作品が好きだったのです。
明らかにヒネた子供です。
ぼくが親だったらぶん殴ってます。
リンドグレーンに叱られるでしょうが。
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とはいえ、ご存じの方も多いとおもいますが、そもそもメルヘン(Märchen)とはドイツ語で神秘的な短い話を指す言葉です。
つまり、ぼくが好んで読んでいたのは間違いなくメルヘンであり、そこに「子供騙し」といったニュアンスはありません。
でも、前述した理由により、なんとなくメルヘンという言葉は「おばさんが子供騙しに考えた作品」のイメージが強かったのです。
だいたい、ぼくは寓話的なものは好きじゃないのです。
お説教なんかいらないから、もっと美しいものを見せろ、とずっと思っていました。
本当にどうしようもなくヒネたガキです。
そんなだから先生に嫌われたんだと思います。
▽
それがひっくり返ったのは、画家であり、版画家であり、絵本の挿絵画家でもあった、佐々木麻こさんと友達になったことがきっかけでした。
佐々木麻こさんは、めちゃくちゃ歳が離れていたぼくをずいぶん気に入ってくれて、個人的に良くしていただきました。
ぼくが大人になってからも、ずっと仲良くしてくれました。
結婚したときや、子供が生まれたときにも絵を贈ってくれました。
そして、どこまでも透明で純粋な作品群を見るにつけ、「子供の世界を愛せることこそ、大人の証なのだ」と気付きました。
子供騙しなんてとんでもない。
むしろ、子供の世界にどっぷり浸かってしまえ。
そんなわけで、ぼくはメルヘンという言葉に対するアレルギーを克服しました。
▽
佐々木麻こさんが亡くなってから、もうずいぶん経ちます。
いまでも我が家のリビングの一等席には、佐々木麻こさんの描かれたロバの絵が飾られています。
とってもメルヘンで素敵な絵で、ぼくはこの絵が大好きです。
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