風景探し
とっくに公開したつもりで、公開しそこねていた話です。
だから、もうこれ公開しなくていいかな、ワンパターンだしなと思ったのですが、この話を公開した前提で書かれた話もいくつかあって、出しておかないと意味わかんないじゃん、ということで、やっぱり公開しておきます。
▽
先に謝っておきます。
何の盛り上がりもオチもない話です。
すでに過去話で何度かお話ししたとおり、ぼくは小さな頃から「あの風景にもう一度出会いたい」という一念で訳のわからんことを繰り返していました。
多分それが原因だと思うのですが、ぼくの放浪癖はわりとおとなになるまで続きました。
小学生時代はまだ行動範囲が狭いですが(それでも平気で他県まで行ってました)、中学になるとそれが一気に広がります。
正直に言うと、勉強がいやで逃げ出していたという要素も多分にありました。
「風景探し」は現実逃避にはうってつけでした。
なんとかまともな高校に入学させたい家族と、勉強する暇があったら一冊でも本を読みたいぼくの戦いは、高校に入って「これじゃ大学は無理だ」と諦められるまで続きました。
▽
さて、風景を探すと言っても、探しているのは現実の風景ではないわけです。
なぜか頭から離れない、見たことのないはずの風景。
どういうわけか、ぼくはその風景が「絶対にどこかにある」と信じて疑いませんでした。
ぼくなりの根拠もありました。
それは、その風景が空想にしてはあまりにリアルすぎることです。
なんならその風景の中に立つ自分が感じるであろう風の温度、匂い、音、光の加減、雰囲気までを、はっきり思い浮かべることができました。
その風景がたとえば
あるいは、映画だか本だかで見たのを中途半端に覚えているだけなのかもしれない、とも思いました。
でも、それならなぜ匂いまで覚えているのでしょうか。
落ち葉を踏んで歩く靴の感触や、たまにフッと感じる古い家の湿気、柔らかそうだなと思って触ってみれば、思ったよりもごわこわひんやりとした苔の感触。
映画なら、こんなにリアルに思い浮かぶわけがない。
きっと忘れているだけで、ぼくはこの風景を見たことがある。
……という感じで、空想があまりにリアルなので、ぼくは「きっとどこかにあるに違いない」と信じていたわけです。
中学生でこれって、考えてみたらかなりやばいレベルのアホです。
▽
いま考えても「すげぇなぁ」と思うのは、友人たちがみんなイヤな顔ひとつせずに付き合ってくれていたことです。
大抵は一人で飛び出していくわけですが、友達が遊びに来たときなど、遊びを断って出かけようとすると「どこにいくのか」と問われるわけです。
ひとの目を気にするという概念がないおバカな少年カイエは、正直に「これこれこういう風景を探しにいくのだ」と説明します。
すると、みな協力してくれるのです。
普通に考えたらこんなわけのわからんヤツと絡むのはイヤだと思うのですが、「それならここに行ってみろ」とか「ここで似た風景を見たことがあるかもしれない」と言って、わざわざ地図まで書いてくれたりもします。
ときには「連れて行ってやる」といって一緒に来るヤツもいて、今考えてもみんな寛大すぎるだろと思います。
友人に言われるがまま行ってみると、なるほどある程度条件にあった風景がそこにあります。
もちろん、探し求める風景はぼくの頭の中にしかないわけで、イメージそのままなわけはありません。
それでもなんだかそれなりに価値のある収穫があったような気分になったのを覚えています。
その頃の友人たちとは、今でもいい友達です。
遠方に住んでる友人も、わからないことがあったときや悩みができたときなど、しょっちゅう電話をかけてきます。
先日は「ローストターキーに火が通ったかどうか調べる方法」を聞かれました。
Amazon のポップアップタイマーのページの URL を返してあげたら、翌日「うまく行った」とお礼を言われましたが、お礼を言いたいのはこちらの方です。
よくこんなのにつきあってくれたものだと感心します。
▽
家から自転車でうんと急いで30分ほどの場所に、かなり大きな緑地公園があります。
そこはかなり自分のイメージに近い場所でした。
もしかするとこの公園の中に自分の求めている風景があるかもしれない、と思ったぼくは、広大な公園を隈なく走り回り、地理をほぼ完全に把握するに至りました。
お気に入りは、緑地公園から近くの駅までまっすぐと伸びた坂道でした。
ところどころにベンチがあるのですが、まぁそういうベンチってあまり意味がなくて、人が座っていることはあまりなく、座っていても歩き疲れたご老人か、ペットの散歩の途中の休憩という感じで、だいたいはいくつか空いているベンチがありました。
ぼくはそのベンチに座って本を読むのが、好きでした。
特に秋から冬にかけては木の葉が舞い散っていますので、ぼくはとても満足しながら読書に勤しみました。
疲れたら好きな場所で休みながら本を読むというのが、風景探しの醍醐味でした。
当時のぼくは、親に内緒で、高校生と偽ってバイトなんかしておりましたので(コラ)、そのお金でお気に入りの喫茶店に入ったりもしました。
(数年前、その喫茶店が閉店した時は泣きました)
そのうちに、なんだか本を読むことが目的みたいになってきて、だんだんと風景探しを目的とした旅は回数を減らしていきました。
結局のところ、ぼくはあの風景たちと一度たりとも出会ったことはありません。
ですが、全く色褪せることなく今もぼくの中にその風景はあり続けています。
▽
大人になってから知ったのですが、ぼくは幼稚園の頃に「空想癖があります」とお医者さまに診断されたことがあるそうです。
絵本などを読んでいると、いきなりピタッと止まったまま動かなくなるときがあって、両親が心配して医者に連れて行ったらしいです。
なんでも、話しかけても何も反応がない、みたいな状態になるらしく、それはそれは心配しただろうと思います。
ただ、幸運なことにお医者さまには「この程度なら普通です。大人になるまでに治ります」と言われたらしいのですが、何とも傍迷惑な話です。
▽
ただ、ぼくは未だに「もしかしてあの風景はどこかにあるのでないか」と夢想することがあります。
空想癖が本当に治ったのかどうか、あまり自信はありません。
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