耳のミシン

 ぼくの高校の美術科には、卒業制作がありました。

 周りに聞いてみると「そんなのあった?」と言われたので、もしかするとちょっと珍しいことなのかもしれませんが、とにかく卒業制作を提出しないと卒業させてもらえないという、恐ろしい課題でした。


 美術系の学校でも何でもない、ごく普通の公立高校だったので、美術に興味がある人間はさほど多くありません。

 大体は、なんとなくそれっぽい絵を描いたりして場を濁していたと思います。


 そんな中、ぼくは浮かれていました。

 なぜなら、その卒業制作にかかるお金はというのです!


 ▽


 ぼくにはずっとやってみたかったことがありました。

 それは「自分の本を出す」ことです。

 この課題のおかげで、その夢が叶うかもしれない、と考えました。


 本当は小説とか詩集とか和歌集とかがよかったのです。

 ですが、さすがに美術の卒業制作には相応しくありません。


 そこでぼくは一計を案じました。


 そうだ、写真集を作ろう!

 そして、写真に自作のポエムを添えるのだ!


 今から考えたら、明らかに内なる中学二年生を五年ほど引きずったような発想ですが、当時は非常にいいアイディアだと思ったのです。


 これならぼくの文章を本にできる!

 素晴らしい!


 当時、ぼくはオタク文化は未履修で、同人誌即売会などの存在を知らなかったのでした。


 ▽


 こうなると、後先考えずに行動するのが当時のぼくです。

 さっそく学校に「これこれこういうことをしたい」という申請を出し、制作を開始しました。


 写真集を作るには、当たり前ですが写真を撮る必要があります。

 ぼくは何を撮るかでずいぶんと迷いました。


 我が家は、戦前の写真が大量にあるほどのカメラ馬鹿一族なので、ぼくも写真を撮ったことくらいはあります。

 ですが、風景写真や生物写真はピンときません。

 人物にはまるっきり興味がありません。

 雲、空港、雑踏など色々撮ってみましたが、どれもピンときません。


 そこでぼくが思いついたのは、アップライト・ピアノの分解写真集でした。


 分解と言っても、バラバラにするわけじゃなく、家にあったピアノ(家はピアノ教室でした)を調律するために調律師さんが来たときに、横から写真を取らせてもらっただけです。

 ですが、ぼくなりにライティングなんかにも凝りまして、おそらく調律師さんは「何で俺がこんなことに付き合わなきゃいかんのだ」と思ったことでしょう。


 それはともかく、ピアノの内部――本の中では「内臓」と表現していました――の写真が撮れました。

 自分でもなかなか良い出来に思えました。

 一応おまけで、コレクションしていた骨董品の写真なんかも入れまして、一応の写真集の体裁が整うだけの作品が集まりました。


 製本の時には、写真、トレーシングペーパー、写真、トレーシングペーパー……と交互になるようにし、トレーシングペーパーには自作のポエムを印刷しました。

 重ねるとぼんやりと写真が透けて、自作のポエムを彩ってくれます。

 めくると写真をくっきりと見ることができます。


 このアイディアは、自分でもなかなかのものだと思いました。

 ついでに、知り合いの編集者さん(ハガキ職人をしていたので、そのツテです)に後書きなんかも書いてもらいまして、ようやく製本にかかります。


 ここまでで、かなりの金額がかかりました。

 フィルムカメラはとかくお金がかかりますし、カラーコピーではなくちゃんとした印刷をお願いしたりしまして、凝りに凝った結果、十万円以上のお金がかかりました。

 両親には「学校が払ってくれることになってるから」と言って説得し、祖父母などにも頭をさげ、一時的にお金を借りて、とにかく全ての準備を揃えました。


 表紙はシルクスクリーンでした。

 当時手に入る、一番太いゴシック書体で「耳のミシン」というタイトルをアート紙印刷しました。

 

 ハードカバーの本が意外と多くのパーツでできていることを知りました。

 まる二日ほどかけて、頑張って製本しました。


 一冊1万4千円くらいかかった贅沢な本が、10冊だけ完成しました。

 ぼくの、写真集の皮を被った生まれてはじめての詩集は、こうして産声をあげたのです。


 至福の時でした。


 全部で14万円ほどかかりましたが、ぼくは大満足でした。


 ▽


「お金が出るのは、学校を通して購入したものだけだよ」


 と言われたのは、本が全て出来上がってからのことでした。


「学校外で使ったお金まで出るわけないだろ」


 顔が真っ青になりました。

 なにせ、お金は両親や祖父母に借りていたものなので、すぐに返さなければなりません。


 今から無かったことにしたかったですが、もちろん時間は巻き戻りません。

 14万円、何とかして手に入れる必要がありました。


 そこでぼくは一計を案じます(またか)。


 金額を言わずに、仲の良かった先生がたや、お世話になっている大人たち(当時のぼくは、大人たちに混じって色々変なことをしていたのです)に本を売りさばいたのです。


 みんな「カイエ君の卒業制作?」「オリジナルの写真集付きの詩集だって?」「10冊限定?」「製本まで自分でやったんだ!」「買う買う!」などと言って、快く買ってくれました。


 みんなに配ってから、あとから一人1万4千円ずつを徴収しました。

 金額を告げた時のみんなの唖然とした顔は、今でも忘れられません。


 一応、一冊は自分でお金を出して買ったのが、自分なりのけじめでしたが、そういう問題ではないと思います。


 でも、こんなめちゃくちゃなことに付き合って、最終的には笑ってお金を出してくれた大人たちに、ぼくは心から感謝しています。


 ▽


 ちょっと前の話になりますが、ひょんなところからその写真集付き詩集「耳のミシン」が発掘されました。


 実は、ぼくももうすっかり忘れていたのです。


 ぼくは焦りました。

 なぜなら、中にはぼくの下手くそな写真や稚拙極まりないポエムだけでなく、著者近影として、おもいっきり格好をつけた自分の写真が堂々と載っていたからです。


 写真の中のぼくは、燕尾服を着て、古めかしい丸眼鏡をかけ、ビシーっとオールバックにしてピアノの前に座り、ドヤ顔でポーズを決めていました。


 恥ずかしくて死ぬかと思いました。


 です。

 ヘタをすると残りの9冊がのです。


 いや、うまくすれば引っ越しの時にでも「邪魔!」と言って燃えるゴミだか萌えないゴミだかに出されて、この世から消し去ってくれている可能性もないではないでしょう。


 しかし、金額がえげつないわけです。

 一冊1万4千円もする本を、はたして気軽に捨てるでしょうか。

 いかにくだらない本とはいえ、その可能性は五分五分でしょう。

 単純計算で、この世にまだ5冊の「耳のミシン」が存在していることになります。


 だいたい「耳のミシン」ってのは一体なんなんだ。

 当時のぼくが何を考えていたのか、全く理解できません。


 とりあえず、ぼくはこの本がこの世に存在する可能性が残されている限り、心から休まる日は来ないことでしょう。

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