かんの虫

 子どもの目は、妙なものをたくさん目撃します。


 その多くは常識が醸成されていないことに起因する、子どもの想像力によるものだと思いますが、なかには外的要因によるものもあるのかもしれません。

 

 これもぼく的には十八番のエピソードトークです。

 ただの体験談なので、盛り上がりもオチもありませんが、よろしければおつきあいください。

 

 ▽

 

 ぼくがまだ10歳にもならないころの話です。

 

 その日、祖父母の家の近くでものすごい鳴き声が響いていました。

 何事かと思い、ぼくを含む近所の子どもたちがワラワラと集まってきます。

 友人たちと見に行くと、ベビーカーの中で赤ちゃんが火がついたように泣いていました。

 

 この日は驚くほど天気がよく、世界がものすごく眩しかったことを覚えています。

 だからぼくたちは「赤ちゃんはたぶん、直射日光がまぶしくて泣いているんだろう」などと考えていました。


 ベビーカーを押していたのは、まだ若いお母さんです。

 ヒステリーを起こしたかのように泣く赤ちゃんを前に、オロオロとどうしていいかわからない様子でした。

 日傘で赤ちゃんに影を作ってあげながら、困り果てているように見えました。

 

 ぼくたちはみんなで赤ちゃんのまわりを囲んで、いないいないばぁをしたり、ほっぺたを突っついたりしました。

 泣いていても赤ちゃんは可愛いです。

 みんなも「かわいいねぇ」などと言いながら、泣いている赤ちゃんをどうにか泣き止まそうとしていました。

 

 そこに、近所に住むおばあさんがやってきました。

 腰が90度に曲がったおばあさんで、出歩くときはいつも手押し車を押してよちよちと歩いているようなひとです。

 

 おばあさんはニコニコと優しく笑いながら「どうしたのぉ」と赤ちゃんを覗き込みました。

 悲鳴をあげ続ける赤ちゃんを見て、おばあさんは、


「ああ、こりゃかんの虫がついとるんやね」


 と言って、赤ちゃんの首の後ろにすっと手を入れると、何かをつまみ出しました。


 とたんに、赤ちゃんがピタッ! と泣き止みました。

 

「ほら、これがかんの虫やよ」


 おばあさんは、かんの虫を手に乗せてぼくたちに見せてくれました。


 手のひらの上には、間違いなく蠢く何かがありました。

 おばあさんはぼくたちがよく見えるように、指でコロコロとつついで、転がして見せてくれました。

 

 おばあさんはかんの虫をつまんで、額のところに持っていくと、なにごとか「むにゃむにゃ」と唱え、「ぽぅい」という掛け声とともに、近所の生垣にそれを放り投げました。

 

 そのときのお母さんの顔は、はっきりとは覚えていませんが、とにかくひどく驚いていた様子でした。

 

 おばあさんはちょっと挨拶すると、そのまま立ち去っていきました。

  

 当時、子どもたちにしてみれば、とくに不思議な体験をしたという認識ではありませんでした。


「そういうものだ」としかおもっていなかったのです。


「なるほど、赤ちゃんがああして泣くのは、かんの虫っていう生き物のせいなんだな」となどと納得していました。

 

 ▽

 

 そのときのことは、なんとなく強い印象となっていて、いまだに忘れられません。

 

 ですが、肝心のかんの虫の見た目は、思い出そうとしても、どうしても霞がかかったようで思い出せないのです。

 

 そのとき一緒にいた友人のうちの数人とは今でも仲がいいのですが、あの時の話をするとみんな一様に「でも、肝心のかんの虫を思い出せない」と言います。

 

 当時は不思議でも何でもなかったのですが、今から考えると不思議な話です。



 やっぱりこの世界には、どこかに綻びがあって、おもて側だけでなく、ちゃんとうら側も存在しているのかもしれない、とぼくはおもっています。

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