チョコレート

「ちよろず」は、週一くらいの更新の予定なのですが、なんだかそこらじゅうでバレンタイン関連のコラムやエッセイ、小説なんかが公開されていますので、ぼくも一つ書いてみようと思います。


 ▽


 ちょっと昔の話ですが、ぼくは製菓製パンの勉強のためにフランスに留学していました。


 フランスでの学校生活はかなりルーティーンが決まっておりまして、あまりイベントのようなものはありません。純粋に「知識を身につけ、技術を手に入れろ」といった感じです。


 それでも、たまに有名なお店の厨房にお邪魔するような課外学習もありました。

 その日向かったのは、フランスで「チョコレートの神さま」とも言われるショコラティエのお店でした。

 ガトー・プレジデントというチョコレートのフリルが乗ったケーキを見たことがある人もいるかもしれません。あれを発明したショコラティエの店です。


 当時、ぼくはちまちました細工物を作るのが好きで、飴細工なんかを得意としていました。

 でも、日本に帰っても飴細工に需要がないこともわかっていたので、それじゃあ、ということでぼくが目をつけていたのがチョコレート細工です。

 まだ日本でチョコレート細工はさほど知られていませんでしたが、ちょうどフランスでは急激に進化し始めていた頃で、ぼくは「これは数年以内に日本でも人気になるだろう」と考えていました。

 ちょっと打算的な考えもあって、ぼくはショコラティエになろうと決めました。


 だから卒業制作は、チョコレートをふんだんに使った「Gâteau Temple」というギリシャ神殿風の創作ケーキと、黒い薔薇の飴細工でした。


 それはともかく、チョコレートの神さまの厨房が見られるということで、ぼくはとてもワクワクしていました。

 煌びやかな店内を通って、厨房に入ると、童話で出てくるような「お菓子工場」がそこにありました。


 感動していろいろ見て回ったのですが、急に当たりがざわつきました。


 マエストロがそこにいました。


 書籍でなんども見た、チョコレートの神さまです。

 みんな興奮しまして、次々に握手をねだりました。


 ぼくの番がきて、「お会いできて光栄です。カイエといいます。将来はチョコレート職人になりたいと思っています」と自己紹介しました。

 マエストロはニコッと笑って、ぼくと握手してくれました。


 すると、マエストロがちょっと考え込むような顔を見せて言いました。


「体温が高い。キミにショコラティエに向いてないね」


 ドカーンとショックを受けました。

 ほかのパティシエに言われたならともかく、相手はチョコレートの神さまです。

 一瞬でぼくの(割と打算的な)夢が打ち砕かれました。


 学友は慰めてくれましたが、数日は暗い気分で過ごすことになりました。


 ▽


 結局のところ、今のぼくはショコラティエどころか飲食業界ですらない世界で生きています。

 結果的には、マエストロに言われて夢を諦めたのは正解だったのだと思います。

 もしあの時「キミには才能がある! ぜひ頑張りなさい」などと言われていたら、夢を諦めきれず、温かい手指を呪いながら生きることになっていたかもしれません。

 当時は「なんでや」と八つ当たりしたい気分でしたが、今では感謝しています。


 そのマエストロもだいぶ前に亡くなられました。

「お前には向いていない」という一言以外、何かを教わったわけではありませんが、今でも心の師匠です。


 ▽


 そんなショコラティエに向いていない手指を持つぼくでも、その時の経験が役に立つことがあります。


 一つは、姉の引き出物のオマケに200対の紅白トリュフを作った時です。

 当時のぼくは、くだらない喧嘩が原因で、姉と冷戦状態だったのですが、あまりの数に音を上げていた姉をこっそり手伝い、おかげで和解することができたのです。

 あのとき姉が引き出物のオマケにチョコレートを選んでなければ、結婚して出ていく姉を、仲違いした状態で送り出すことになったやもしれません。


 もう一つは、娘のチョコレート作りを手伝えたことです。

 クラスメイトに大量のチョコレートを持っていくことを計画していた娘から「うまくいかないから助けてほしい」と要請を受けて、ジャスミンティ風味のデコレーション・トリュフを大量生産しました。

 なんでも、ものすごい評判だったらしく、次の年も、その次の年も手伝うハメになりましたが、娘とお菓子作りをする大義名分などあまりありませんから、これはとても嬉しい話です。


 そのわりに姉からも娘からもチョコレートをもらうことがないんですが、まぁもらう側も嬉しいけど、気持ちがこもってさえいれば、あげる側はもっと嬉しいよな、と思ったりします。

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