霧のむこうのふしぎな町
このエッセイの2話目に公開した「イマジナリー・フレンド」というエピソードを覚えておられますでしょうか。
万一まだお読み出ない方は、そちらを先にお読みください。
でないと、それでなくともワケのわからん話が、ますますワケがわからなくなります。
▽
小学生低学年のぼくにとって、あの失恋はかなりの痛手でした。
でもそこは小学生、物置に日参するのも限界がありますし、自身の無力さを噛み締めながらも、なんとなく楽しく日々を過ごしていました。
そんなある日、衝撃的な本に出逢います。
柏葉幸子先生の「霧のむこうのふしぎな町」です。
それを見つけたのは、近所の図書館の児童文学コーナーで、実際のタイトルは「気ちがい通りのリナ」で……たぶんハードカバー本だったような気がします。
その本は、どこか怖く、寂しく、そして弾けるような魅力に溢れていました。
夢中になって読みました。
小学生低学年時代では、間違いなく一番影響を受けた本だと思います。
その話の中で、ナータの店という本屋が登場します。
そして、この本屋を必要とする人がいると、時空を飛び越えて買いに来るのです。
「これだ」とぼくは思いました。
倉庫横の通路が通れなくたって、本当に必要ならもう一度あの場所へ行けるはず。
きっとまたあの子と遊べる。
どうやら少年時代のぼくはよっぽどのあんぽんたんだったらしく、童話のワンシーンを天啓のように感じ、それからというもの、あの場所を探す旅が始まります。
▽
まず、最初にやったのは家の窓から外に出ることでした。
なぜそんな発想に至ったかとんと検討はつかないのですが、窓から出て、勝手口から入り、玄関から出る――といった普通なら絶対にしない非日常的な手順が、もしかしたら異世界へのキーになるかもしれない、と思ったらしいです。
自分が見てないところでは、世界はこっそり本当の姿を晒しているかもしれない。
だから世界をうまくだましてやれば、倉庫の横の通路が口を開けているかもしれない……と、そんなふうに思ったわけです。
当然うまくいくわけもありませんが、恋する少年はめげません。
きっと手順が悪いからダメなんだと考えました。
およそ思いつく限りの方法――トイレの窓から家の裏に出たり、靴を左右逆に履いてみたり、後ろ向きに歩いて出てみたりと色々試しました。
それでもあの場所へは到達できません。
当たり前です。
しかし、お馬鹿な少年は「そういえば」と思い出します。
ボーイスカウトで集まった時の隣町の学校の近くには、たくさん落ち葉が落ちていた。あそこならもしかするとあの場所に繋がっているかもしれない――と。
これはいい思いつきのような気がしました。
ぼくは、とりあえず念のために窓から外に出て、買ってもらったばかりの自転車に飛び乗って、隣町まで走ります。
途中、いつもの子どもの社交場(駄菓子屋)がありましたが、当然のようにスルーして、目的地へ一直線です。
すると、そこに踏み切りが現れました。
――おかしいな、こんなところに線路があっただろうか?
不思議に思いましたが、地面を見るとアスファルトと石畳の上にパラパラと金色の銀杏の葉が落ちてます。
――おっ、もしかしてこれは、うまくいきかけてるのでは?!
アホな少年はうれしくなって、その辺をぐるぐる回りました。
周りの大人から見れば 明らかにちょっと頭の弱い子供ですが、もちろんそんなことは気になりません。
結局この日は、小一時間(この年の子供にとっては長い時間です)走り回ってもダメだったので、ぼくは一旦家に戻りました。
次の日ももちろん試します。
今度は裏口から出て窓から入り、玄関から出る……といった感じで(もちろん手順は覚えていません)、自分なりにうまく世界をだまし、それから自転車に飛び乗ります。
駄菓子屋の横を通り過ぎて、昨日の踏み切りへ――しかし、今度は踏切は見つかりません。
普通に考えればショックを受けそうなものですが、ちょっとお馬鹿な少年は歓喜しました。
――どうやら間違いなく、手順によって世界は改変されている!
――もっといろんな手順を試せば、いつかはあの場所へ行けるにちがいない!
要するに、頭のかわいそうな少年は、世界の改変に手応えを感じてしまったのでした。
もしも自分の子供がこんなことを始めたら、すごく心配するでしょう。
あるいは、もしかするともっと違うアイディア――帽子を裏返すなど――をアドバイスして、弁当の一つももこさえるかもしれませんが、なんにせよ当時のぼくは本気の本気でした。
世界を騙す方法を教えてくれた(注 : そのような事実はありません)「気ちがい通りのリナ」はとっくに図書館に返却していましたが、両親にねだって青い鳥文庫版の「霧のむこうのふしぎな町」を買ってもらい、お守りのように持ち歩きました。
きっとこの本が世界を変えてくれる、と本気で信じていたわけです。
なお、ポケットにお気に入りの本を入れて出歩くという癖は、スマートフォンが登場する近年になるまでずっと続きました。
▽
この話にはオチも何もありません。
けっきょく二度とあの場所へは行けなかったし、あんなに好きだったはずの女の子のことも、次第に思い出すことが減っていきました。
不思議なのは、ぼくがウロウロしていたあたりに、石畳の踏み切りなんてないことです。
というか、そもそもそのあたりには電車など通っていません。
踏み切りなどあるはずはなかったのです。
途中からは、もはや踏み切りを探すことが目的みたいになって、ずいぶん長い間ウロウロし続けたことを覚えています。
……と、ここまで気を持たせておいて申しわけないのですが、すでに踏切の謎は解けていて、とてもつまらない種明かしがあります。
でも、せっかくの不思議で懐かしい空気がもったいないような気がして、ぼくは普段忘れたふりをして生きることにしています。
▽
ところで、この「窓から出て世界を騙す」という発想ですが、ちょっと異世界ファンタジーっぽくありませんか?
タイトルは忘れましたが、やはり青い鳥文庫(両親に頼んで集めてもらっていました)のファンタジーで似たようなエピソードが出てきて、「やっぱりぼくの考えは正しかったんだ!」と興奮したことを覚えています。
そして、いまでも「たいせつな人を探し回る」というエピソードに弱い筆者です。
▽
「気ちがい通りのリナ」あらため「霧のむこうのふしぎな町」ですが、いまでは舞台となる町の通り名が変更されているようです。
もともとは「気ちがい通り」だった町の名が、いまでは「めちゃくちゃ通り」になっているんだそうです。
ちょっとだけショックです。
あんなに好きだった「不思議な町」が違う場所になってしまったようで、なんだか寂しいです。
それでも、あの物語は、今でもたくさんの子供たちを魅了しているはずです。
人生を変えた一冊として、自信を持って紹介できます。
こんど神保町に行ったら、ハードカバー版の「気ちがい通りのリナ」を探して石畳の上を歩いてみたいと思います。
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追記 :
「霧のむこうのふしぎな町」について調べていたら、アニメ「千と千尋の神隠し」の物語の下敷きになっていることを知りました。
全然知りませんでした。びっくりです。
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