バレンチノ先生

 ぼくの最終学歴は高校、そして専門学校です。


「大学へは行っといたほうがいいよ」と、両親や姉、高校の先生がたにもさんざん言われました。


 それでも専門学校へ進んだ理由は「一刻も早く独り立ちしたかったから」――ということになっていますが、主な理由は単純にぼくに学力がなかったからです。


 ▽


 ぼくは延々と無駄な知識を蓄え続けるディスポーザーみたいな人間です。

 そのため、異常に詳しいジャンルもあれば、まったくの苦手ジャンルもあります。

「どういう生き方をしてればその知識が手に入るんだ」と言われることもある反面、「どうやったらそれを知らずに生きていけるんだ」みたいなことを言われることも多いです。


 とくに芸能界とスポーツには疎いです。

 むかし自信満々で意気揚々と参加した高校生クイズ大会でも、芸能問題が解けずに予選通過できませんでした。

 今でも「みんはや」などのクイズゲームは得意なほうですが、芸能問題とスポーツ問題が続けて出ると、たいてい負けます。


 そんなぼくは、学校の先生にとって非常に面倒くさい生徒だったことでしょう。

 中にはぼくを蛇蝎のごとく嫌った先生もいました。


 反面、意気投合してものすごく仲良くなった先生もいました。

 特に思い出すのは、ものすごい太っちょの数学の先生で、キラキラした目と濃すぎる髭、安物の吊るしのスーツに「バレンチノ」のベルト(たぶん偽物)がトレードマークのチャーミングなおじさんです。


 ここでは敬意を込めて「バレンチノ先生」とお呼びしましょう。


 ▽


 バレンチノ先生もぼくに似たタイプの人間だったのでしょう。

 放課後、視聴覚室や図書室で落ち合って、お互いの知識の応酬、知識の欠損部分の充填、知識の新規開拓ルート、知識を得るための Tips を教え合うなど、とてもとても充実した楽しい時間を過ごしました。


 いつも自前のインスタントコーヒーを飲ませてくれましたが、あれって実はルール違反らしいですね。



 そんなバレンチノ先生に、ぼくは進路相談をしました。

 高校三年生になった頃だったと思います。


「仏像とか、文化遺産とかの修復の仕事がしたい」――とそんなことを言いました。


 バレンチノ先生はすこし意表を突かれたようですが、一生懸命に調べてくれました。

 他の先生も巻き込んで「どうすれば修復師とやらになれるのか」を必死で探してくれました。


 当時はまだインターネットがそれほど普及していません。

 そもそも調べる方法がない、特殊な仕事でした。



「すまん、俺のつてでは、どうすれば希望の進路に進めるのかが調べられなかった」


 しばらくして、バレンチノ先生は申し訳なさそうに言いました。


「でも、諦める必要はない。お前はまずは大学へ行け。今からでも勉強しろ」


 珍しく随分熱心に説得されたことを覚えています。

 

 でも、ぼくには大学に行く気はさらさらありませんでした。

 そもそも、もし行く気になったとしても、学力が足りません。

 通知表はいつも真っ赤でした。


 ▽


 それから半年以上が経った頃、無事に卒業が決まりました。

 専門学校に行くことが決まったことを、バレンチノ先生に報告しました。

 

 バレンチノ先生はちょっと怒ったふうに(これは大変珍しいことです)、厳しい顔をして言いました。


「たとえ何年浪人しても構わないから、お前は大学へ行くべきだ」


 少し意外でした。なぜならバレンチノ先生は必要以上のことを強制したりは絶対にしないタイプの人間だったからです。

 

 なぜですか、と聞き返しました。

 バレンチノ先生はひどく真面目な顔をして、まっすぐにぼくの目を見て言いました。



「おまえは将来、学者になるか、犯罪者になるか、二つに一つだと思う」



 ガーンとショックを受けました。

 たしかにぼくは悪趣味だし、空気を読まない発言で場を凍らせることが多いです。

 でも、少なくとも悪意や害意といった感情は少ない善良な人間だと自負していたからです。


 バレンチノ先生は続けました。


「できれば旧帝大に行け。東大が一番いいが、それ以外でもいい」

「いくらなんでも無茶なのでは?」

「どうしても無理なら私立でもいい。ちゃんと学問できる大学ならそれでいい」

「ぼくの偏差値知ってます? ナメクジより下ですよ?」

「知ってる。卒業できないはずだったお前を卒業させるよう、上を説得したのは俺だ」

「どういうことです?!」


 どうやらぼくはアホすぎて、高校卒業も危ぶまれていたようです。


 ぼくには学歴に対して特別な関心はありません。

 中卒だろうが小卒だろう幼卒だろうが、本人が幸せならどうでもいいと思います。

 ですが、この発言はぼくにそれなりのショックを与えました。


 きけば、バレンチノ先生と当時の担任の先生、あと数人の仲の良かった先生がたが「あいつに限っては、留年なんかさせるより、卒業させたほうが世の為になる」と上を説得してくれたというのです。


 代わりに大学の卒論みたいな量のレポートを提出する必要があったのですが、「提出させてなるものか」と言わんばかりのレポートをちゃんと提出し、晴れてぼくは高校を無事に卒業できることになりました。

 そのためにたくさんの先生がたが尽力してくださったようです。


 そんなこと、この時まで全然知りませんでした。

 ありがたい話です。

 ちょっとずるいぐらいの依枯贔屓だと思います。


 ですが、当時のぼくは今よりもっとアホでした。

 そのありがたみもよくわからず「何を言ってるんだろうか、このヒゲヅラは」などと考えていました。


「俺は、お前が大学に行ってくれると信じて卒業させることにしたんだ」


 バレンチノ先生は言いました。


「でないと、お前はきっと犯罪者になる」


 ▽


 結果の話をしますとぼくは学者にも、犯罪者にもなりませんでした。

 実際のところ、ぼくはこれまで駐車違反以上の犯罪を犯したことはありませんし、今もそれなりに善良な社会生活を送っています。

 まず間違いなく、これからも人畜無害な人生を送ることでしょう。


 というか、仮にも教育者が生徒に向かって「おまえは犯罪者になる」はどうなんでしょう。

 真意がどうだったのかはさておき、さすがに傷付きます。

 ちょっとひどいんじゃないかと思います。



 ただ、インターネットが普及して、初めて知って驚いたことがあります。

 仏像や文化遺産の修復についてですが、世界で最先端を走っているのが東京大学だったのです。

 奇しくもバレンチノ先生の言ったことは正しかったのです。


 とはいえ、どのみちナメクジ以下の偏差値のぼくがたとえ100年頑張ったところで、東大への入学など不可能だったでしょうし、あの時の自分の選択が間違えていたとは思っていません。


 ぼくは自分の人生に満足していますが、今でもたまに「もしあの時バレンチノ先生の言う通りにしていたらどうなっていたかなぁ」と考えることがあります。

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