イマジナリー・フレンド

 イマジナリー・フレンドという存在を知ったとき、ぼくはわりとショックを受けました。

 

 あー、あの子はイマジナリー・フレンドだったのか……と、宝物みたいに謎めいて大切だった思い出が、無遠慮に種明かしされてしまったような気持ちになったからです。

 

 ▽

 

 ぼくにはイマジナリー・フレンドがいました。

 女の子です。

 その子とよく遊んでいたのは、小学生低学年ごろまででしょうか。

 いまではもう名前も顔も声も思い出せないのですが、しょっちゅう一緒に遊んでいた記憶があります。

 

 当時住んでいたぼくの家の裏には、ぼろぼろの木造の倉庫がありました。

 ぼろぼろといっても白いペンキが塗ってあって、中にはおひなさまや、夏につかうゴムボートなんかが入っていました。

 ぼくはその倉庫を「宝箱」のようにおもっていました。


 倉庫と家の間には隙間があって、そこを通って裏へ回ると、ちょっと広い空間が現れます。


 そこでは必ずひとりの女の子が待っていました。

 

 そこは年中落ち葉にまみれた場所で、ちいさな丘や池なんかもあり、ぼくたちはいつもそこで一緒に遊んでいました。

 

 その女の子は無口で、おしゃべりはあまりしなかったように思います。

 古い話なのであまり詳しく覚えていないのが残念ですが、一緒に手を繋いで散歩したり、本当は入っちゃいけない場所にこっそり忍び込んだりしたような記憶があります。

 

 ぼくはその子のことが好きでした。

 いわゆる初恋でした。

 

 とはいえ、なかなかに恋多き少年だったため、話の都度、初恋の女の子が変わったりします。

 

 でも、その子のことが好きだったのは間違いない事実なのでした。

 

 ▽

 

 自分が「その子のことが好きだ」と理解した途端、ぼくの心に、なんだかものすごい歓喜のようなものが溢れました。

 

 当時は幼稚園を上がったばかりのママっ子だったので、好きな女の子のことを母親に話して聞かせました。

 すると、なぜか怪訝そうな顔をされました。


 曰く、物置の横の隙間はそんなに大きくない、と。

 

 そんなはずはありません。

 なにせ、しょっちゅうそこを通って裏の落ち葉の丘に遊びに行っているわけです。

 ちょっとジメジメしてて、腐った木材を踏む感触なんかもはっきり覚えています。

 倉庫にナメクジがはりついていて通るのに躊躇したことや、通り道に蛇を見かけて遊びに行くのを諦めたこともありました。

 

 だからぼくは、母親にその子を紹介しようとしました。

 それが話が早いと思いました。

「一緒に行こう」と言うと、母親は素直に着いてきてくれました。

 

 ですが、母親の言う通りでした。

 隙間はぼくの体より狭かったのです。

 

 ぼくはそんなはずはないとベソをかきながら、必死になんとか通ろうとしたのですが、とうてい通れるような隙間ではなく、しまいに母親に引っ張られて家に戻ることになりました。

 

 ▽

 

 それからしばらくの間、ぼくは裏の倉庫を訪れては拒絶され、戻っては泣くという日々をくり返しました。

 

 きっと、あそこは二人の秘密の場所だったんだ。

 母親なんて連れて行こうとしたから、もう来ないでと言われたんだ、と思いました。

 

 

 ちなみに、家の窓からも裏の空き地を見ることができます。

 窓を開ければ、間違いなく木の葉が敷き詰められた丘です。

 ですが、女の子はいませんし、なぜか、あんなにもキラキラ輝いて見えたあの場所とは違うような気がしました。

 

 少年カイエに突然訪れた失恋の傷は、半年ほどは引きずっていたように思います。

 

 随分たったある日、物置の前で「あ、もう向こうに行ける日は来ないんだ」と気づくまで、それは続きました。

 

 ▽

 

 と、これはわりとしょっちゅう話をする十八番のエピソードトークなのですが、この時のことを思い出すと一気に心が少年時代まで巻き戻ります。

 

 ものすごくキラキラした思い出だったのです。

 

 ですが、イマジナリー・フレンドという言葉を知った時、謎めいた魅力が一気に陳腐化して、色褪せて感じました。

 

 いえ、正確にはその言葉も、その意味も知ってはいたのです。

 ただ、大好きだったあの子と紐づけて考えていなかったのです。


 

「幼少期にはよくあること」――などと書かれていると、あの特別な時間がとても陳腐に思えてきます。

 

 ああ、なんだ。

 特別な出来事だと思っていたけれど、よくあることだったんだ。

 

 それに気づいた時、なんだか不貞腐れたような気分になったのをよく覚えています。

 


 なんでも正体がわかれば良いというものではないと思います。

 わからないことを、わからないまま置いておくほうが美しいということもあると思うのです。

 

 ▽

 

 ぼくは秋が好きです。

 庭に落ち葉が積もったとき、掃除なんてせずにそのまま積もっていてほしいと思います。

 今も敷き詰められた落ち葉を見ると、あの顔も名前も声すらも忘れてしまった女の子のことを思い出します。


 エッセイの第一話を飾るにはふさわしいと(個人的に)思われたこの話にちなみ、タイトルを「庭にはいつも、ちよろずの落ち葉」としました。

 

 この話にはちょっとした続編があるのですが、それはまた次の機会に。

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