第46話 サクラ

 驚きました。昨日、近所の遊歩道を歩くと、桜が見事なまでに咲き誇っていたからです。毎日職場との往復で、桜が咲く時期だということをすっかり忘れていました。天気が良く、青い空とピンク色の花弁のコントラストがとても綺麗でした。見事なまでの満開。散り始める一歩手前。今日からは、花弁が舞い始めるでしょう。最高の桜日和でした。辺りを見回すと、皆さんも同じ思いなのか立ち止まってスマホを片手に写真を撮っていました。僕もスマホを取り出して、パチリ。


 桜の写真を撮っていると、犬の散歩をしている女性に声を掛けられました。僕と同世代くらいの綺麗な女性です。直ぐに誰だか分かりませんでした。曖昧に話を合わせていると、話の流れから近所でお世話になっている老夫婦の娘さんだと分かりました。過去に話をしたことはありましたが、20年以上も前のことです。僕の嫁さんとは同級生になります。桜ついでに可愛いワンちゃんの写真も撮らしてもらいました。確か住んでいるところは、この辺りでは無かったはずです。


「こんなところまで、犬の散歩ですか? 確かお住まいはここでは無かったと思いますが……」


「ええ、父親が花見をすると言い出して、そのお手伝いに」


 ワンちゃんのリードを握ったまま、彼女が振り返ります。その先に彼女のお母さんが見えました。散歩を続ける彼女と別れて、僕は普段からお世話になっている奥さんに挨拶に向かいます。桜の木の下でブルーシートを広げていました。二言三言言葉を交わした後、奥さんからお誘いを受けます。


「折角だから、一緒にお花見をしましょうよ」


 お言葉に甘えてお誘いを受けることにしました。嬉しかったです。昨日は昼間っからお酒を飲みました。


 日本における花見の風習は古いようです。奈良時代には、花見の様子が短歌に残されているようですが、その頃は桜ではなく梅でした。本格的に桜が愛でられ花見の記述が残されるのは平安時代になってからだそうです。ところで、桜について調べてみると、意外なことが分かりました。「サクラ」の語源は、米に関係していたのです。


 桜の開花は、古来から寒い冬が終わり暖かい春の到来を知らせました。しかも、一斉に咲き乱れ散っていくのです。このタイミングは、稲作の始まりでもありました。「サクラ」の「サ」は、田の神様のことで、「クラ」は神様の座る場所という意味があるそうです。日本における古来の神様の概念は、天界から下りてくるイメージがありました。人間界で神様が留まるためには依代(よりしろ)が必要だと考えられていたのです。依り代は何でも良いわけではありません。大きな木や美しい山が選ばれました。桜は、その時期になると申し合わせたように一斉に咲き乱れ、そして散っていきます。そのドラマチックな様子が、田の神様の到来に感じられたのでしょう。そうした桜と米の関係は、弥生時代まで遡ると考えられています。聖徳太子の物語では、是非とも桜を挿入したい。そのように思いました。

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