第43話 ④尊敬されるもの――価値の多様性――

 最近、宗教的な事柄について連投してきました。多くの方にとっては関心のない事柄かと思います。また、一部の方にとっては、腹立たしい内容だったかもしれません。僕なりには、宗教を批判するというよりも、宗教の成り立ちとその変遷に関心がありました。前々から宣言していることですが、僕は聖徳太子の物語を綴りたい。その為には、聖徳太子を取り巻く人間関係や当時の政治と経済を理解する必要がありました。でも、それだけでは足りません。現実の社会で形成されたそうした文化的なものを支えていたのは思想であり、その思想を体系化したものが古代においては宗教だったと考えています。僕は、そうした思想形態の構造を理解したい。


 前回、宗教的なものとして「真・善・美」といった価値を尊ぶ行動から宗教的なものが生まれたのであろうという話をご紹介しました。そうした価値を認識するという行為は、原始社会においては大きな革命であったのです。ハラリ著作「サピエンス全史」では、その革命のことを認知革命と表現していました。


 例えばライオンは、ウサギやシマウマといった哺乳類を食べるために狩りをします。ところが、人間が喜ぶお金を見てもなんら価値を感じません。そのお金があれば、たとえライオンであったとしてもお買い物ができるかもしれないのに、ライオンはそこまでイメージすることが出来ないのです。価値とはイメージの産物になります。鉱物であるダイヤモンドに特別な価値を感じたり、語り継がれる英雄譚に心をワクワクさせたり、目には見えないけれど創造神である神様を感じたりするのは、人間がそうしたものに価値を付加して特別感を感じているからです。そのイメージされた価値がコミュニティーの中で共有されていくなかで原始的な宗教が生まれていきました。


 世界には様々な神話があります。全知全能の神「ゼウス」や戦いと知恵の女神「アテナ」それに芸能・芸術の神「アポロン」といった神々が登場するギリシャ神話。太陽神「ラー」や冥界の「イシス」が活躍するエジプト神話等はとても有名です。他にも数えきれないくらいに世界各地に神話があるのですが、もちろんこの日本にもありました。古事記や日本書紀に記されている日本神話です。


 日本神話は「伊邪那岐(イザナギ)」と「伊邪那美(イザナミ)」による国生みの話から始まり、黄泉の国という死後の世界も紹介されています。数えきれないほど多くの神様が登場するのですが、有名なところでは、太陽を司る「天照大御神(アマテラスオオミカミ)」、海を統治する暴れん坊「須佐之男命(スサノオウノミコト)」、因幡の白兎や国譲りに関わった「大国主神(オオクニヌシノカミ」、天岩戸の前で妖艶な踊りを見せる「天宇受売命(アメノウズメ)」、桜のように美しい乙女「木花開耶姫 (コノハナノサクヤヒメ)」がいます。


 他にも変わったところでは「大宜都比売(オオゲツヒメ)」という女神が居ます。腹が減った須佐之男命がこの女神に食事を乞うと、様々な料理を用意してくれました。十分すぎる歓待に、逆に不審に感じた須佐之男命が大宜都比売の様子を覗いてしまいます。すると、大気都比売神は鼻や口、尻から食材を取り出し、それらを調理していました。不浄と感じた須佐之男命はその女神を殺してしまいます。すると、大宜都比売の頭からは蚕が生まれ、目から稲が、耳から粟が、鼻から小豆が、陰部から麦が、尻から大豆が次々と誕生するのです。このような様々な神が、なぜ神話として伝承されてきたのでしょうか。それは、この世界を認識する為だったと考えられます。


 偉大なリーダーが部族を守るために命を賭して戦ったとします。その勇猛果敢な姿に、また自分たちを守ろうとしたその姿に人々は心打たれます。そのリーダーの武勇から、「勇気」「慈愛」「英雄」といった様々な概念を想起したでしょう。そうした概念こそが新しい価値なのです。人々はそのリーダーを尊敬し褒め讃えます。そうした行動が「神」という存在を生み出したと考えます。当時の「神」とは、概念を象徴するものであり、現代的な「神」の概念とは少し違うと考えます。


 先ほど例題として挙げた「勇気」「慈愛」「英雄」といった概念を、コミュニティーの中でまた自分の子供たちと共有する時、物語を伴なった神話が誕生しました。神話とは、この世を知るための教科書なのです。「勇気」という概念を子供に理解させるために、親は英雄譚を語って聞かせました。そうした行為は、教育であるとともに娯楽でもあるのです。


 理解させる概念は英雄譚に留まりせん。例えば、多くの神々には二つ名がありました。その二つ名は具体的に「価値」を示しています。ここで、一般的な神の二つ名をご紹介します。太陽、月、時間、冥界、天上、大地、軍神、豊穣、愛と美、芸術、狩猟、炎、酒、詩、商売――このように人類が生きていく中で必要だと思われる概念が、神話世界に凝縮されているのです。


 ――様々な神が乱立している。


 日本では八百万の神と言ったりしますが、多神教なのは日本だけではありません。世界中に散らばる神話世界は、全て多神教でした。それは、この世界を認識する為に必要だったからです。神々の多さとは、この世界を認識するための解像度の高まり……と考えることも出来ます。このように見ていくと、一神教であるキリスト教・イスラム教が異質に感じます。一柱の神のみを讃える一神教が、どうして世界最大の宗教として成長していったのでしょうか。それは、帝国ローマの誕生と関りがあります。


 当時の「神」は、部族を統べるトーテムとして祭り上げられていました。卑近な例ですが、現代的な阪神ファンや巨人ファンといった感覚と非常に似ていたのではないでしょうか。そうした神々を統べる存在として「創造神」が概念として生み出されます。それが、キリスト教においては「ヤハウェ」でした。


 キリスト教が特殊なのは、原罪を引き受けたイエス・キリストが人身御供として十字架に磔にされるというドラマがあることです。その後、パウロを始めとする弟子たちがイエス・キリストの偉業を人々に語り始めました。更には、小さな一宗教であったキリスト教がローマにおいて国教となり、大きな権威を持つに至ります。王様をトップにしたヒエラルキー構造と、数多の神々を従える一神教の親和性はとても大きかったのでしょう。


 価値の認識が宗教を生み出しましたが、この働きは何も宗教だけに限りません。先程、阪神ファン巨人ファンを例にあげましたが、アップルやソニーだって宗教的な性質を持つアイコンなのです。科学の世界のニュートンやアインシュタインもそうです。人間が価値を認め人が集まる時、そこに宗教的なコミュニティーが生まれるのは、人間の習性と考えても良いのではないでしょうか。


 現代の宗教的なものは、インターネットの世界に誕生しています。爆発的な勢いで広がっています。ただ注意したいのは、宗教的なものが僕たちに与える影響になります。思想や概念は、人間の行動に強く影響を与えます。例えば、古代において子供に英雄譚を聞かせるのは、子供にもそのように育って欲しいからです。影響を受けた子供たちは、勇敢な英雄に憧れて心身ともにそのように成長しようとします。「勇敢」や「武勇」が、その当時で求められる価値だったのです。


 示されるアイドル(偶像)によって、子供の成長は変化しました。当たり前のことですが、宗教には様々なタイプがあります。その性質によって影響力は変わるでしょう。次回で最後にしたいのですが、宗教のタイプについて、もう少し考察していきたいと思います。

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