第35話 疫病と大和王権

 コロナの流行が落ち着き、4年ぶりに地域の自治会と子供会が主催する餅つき大会がありました。僕は自治会の役員なので参加するわけですが、他にも参加しなければいけない理由がありました。50代を超えたおっさんですが、これでも自治会では若手になります。つまり、重要な餅つき要員なわけです。


 ――餅つきをしたことがありますか?


 現代では自動で餅が製造できる家庭用機械があったりしますが、本来は杵と臼を使って人力で餅を作りました。前日からのもち米の浸漬にはじまり、もち米を蒸す、杵で突く、餅を丸める、ここまでの工程を経てやっと食べることが出来ます。そもそも餅つきは、新年のお祝い、桃の節句、端午の節句、そうした節目を祝う為のハレの行事でした。餅つきは一人では出来ません。地域の協力が必要でした。


 餅つきのメインイベントは、杵で突く工程です。蒸したもち米を石臼に広げて杵で突くのですが、この杵で突くという動作が現代人には大変だったりします。息子たちが幼い頃、この行事が切っ掛けで初めて餅つきを体験しました。力任せに杵を突き下ろすのですが、10回20回なら大したことはありません。でも、100回を超えはじめると大変です。肩で息をしていたら、地域の先輩からアドバイスを受けました。


「杵の重さを利用して下ろしたら楽だよ。左手はしっかりと握って、右手は添えるだけでいい」


 餅を突く動作は、鍬を持って畑を耕す動作と同じです。古代の稲作においては、広大な大地を人力で耕していました。餅つきの比ではない重労働だったでしょう。杵を持ち上げて、下ろす。このシンプルな動作であっても、そこには工夫があったわけです。


 今回は石臼にして9回分の分量があります。交代で餅を突きましたが2時間を超える労作業になりました。僕だけで、400回は突いたでしょう。冬なのにしっかりと汗をかきました。餅つきには子供たちも参加するわけですが、その姿がとても可愛い。子供用の小さめの杵を用意していたのですが、その杵を持ち上げる事すら出来ない幼子もいました。でも、どの子供も初めての体験で目が輝いています。もち米が突かれるたびに、原型が崩れ滑らかなもち肌に変わっていく様子を、また自分たちで突いた餅を丸める体験を楽しんでいました。きなこ餅やアンコ餅それからおぜんざい、とても美味しかったです。裏方で支えて頂いたご婦人の皆様、ありがとうございました。


 ところで、今回の餅つき大会は4年ぶりの開催になりました。開催が出来なかったのは、もちろんコロナの為です。コロナの影響で世界中で多くの人々が亡くなりました。コロナを恐れた僕たちは、感染を恐れて人と接触することを警戒します。手を消毒する、握手をしない、マスクをする、狭い部屋には集まらない。色々と賛否はあったとしてもコロナワクチンを打つことで、感染の拡大を防ごうとしました。コロナとの戦いは、人類史の大きな転換点です。その現れた変化について、今後は未来の歴史家が様々に批評するでしょう。とても大きな災厄でしたが、こうした疫病の発生は人類の歴史では度々発生していました。


 第一次世界大戦期のスペイン風邪や、中世ヨーロッパのペストはとても有名です。世界的に大きな傷跡を残しました。日本においても、疫病との戦いの歴史が文献に残されています。史実に残っている最初の流行は、第10代崇神天皇の御代でした。以前にも紹介しましたが、半数の人々が亡くなったと記されています。崇神天皇は、この疫病の原因が大物主だと断定しました。この神を祀ることで災厄を鎮めたとされています。


 次の疫病の流行は、第29代欽明天皇の御代でした。物部氏をはじめとする廃仏派は、今回の流行は仏教を取り入れたことにより国津神が怒ってしまったからだと認識します。そもそもこの概念を作ったのは、崇神天皇でした。人々は神の祟りを恐れます。ここから仏教への弾圧が始まりました。文献によれば、百済から送られてきた仏像を難波の堀江に捨てて、寺を焼いたとされます。


 ――疫病の流行は、神の祟りによるもの。


 このような概念が一般化された社会の中で、第30代敏達天皇の御代でも疫病が流行しました。瘡(もがさ)との記述があり、どうも天然痘だったようです。蘇我馬子自身も天然痘に罹るのですが、それでも仏教を信じることをやめませんでした。物部守屋に対して、仏教を弾圧したから疫病が流行したのだとやり返すのです。ただ、ここで少し疑問です。当時の常識に反して、どうして馬子は外来の仏教を信じることが出来たのでしょうか。現代と比較して少し整理してみたいと思います。


 コロナが明けた2023年は、まるでパンドラの箱を開けたように不祥事が噴出しました。ジャニーズの問題や日大の問題。宝塚の問題やビックモーターの問題。最近では、自民党内で派閥による裏金問題が取り沙汰されています。これらの事件は、組織が抱える諸問題を隠蔽できなくなったという点で共通点がありました。諸問題そのものは、昔から存在しています。問題視されていなかったのは、組織内の常識として皆が受け止めていたからです。問題を起こした組織はどれも社会的に有名であり、権威がありました。権威は、組織内に宗教的な結束力を生み出します。コロナ以前であれば、組織の構成員の忠誠心が高いために、そうした諸問題が表面化することはなかった。


 前回の記事「認知革命」で、組織を強く団結させるためには、「虚構」を皆で信じることが有効であることを紹介しました。コロナは、人と人との物理的な距離だけでなく、精神的な繋がりも断ち切ってしまいました。つまり、「虚構」を信じる力が弱まったといえます。組織が持つカリスマ的な引力が弱くなれば、組織は内部から崩壊していくしかない。


 古墳時代に6000基も建造された前方後円墳は、前期と後期で埋葬品に違いがありました。前方後円墳の建造そのものは、崇神天皇が起こした宗教革命が切っ掛けで始まったと考えられます。前期の埋葬品は、銅鏡が代表するように呪術的なものが多かった。ところが後期になっていくと、人物や動物それに建物といった形象埴輪や、剣や盾それから馬具といった武力の象徴が埋葬されていきます。そうした埋葬品の変化は、大王の権威が祭祀的なものから武力的なものに変化していったと推察することが出来ます。事実、第21代雄略天皇は、武力によって豪族である葛城氏を滅ぼしましたし、その後も武力による制圧が行われていきました。


 そうした武力によって権威を強めていった豪族が物部氏になります。蘇我氏と並び、大連として大和王権の中枢で権威を振るっていました。しかし、その武力も天然痘の流行には成す術もありません。平民臣民だけでなく大王までが疫病で倒れていく中、大和王権の組織力はかなり低下していったと考えられます。そのような混乱期の中で、どうにかして組織を立て直す必要がありました。物部氏は、このタイミングで日本にやって来た仏教を攻撃します。


 虚構を信じるという行為は、引力に似ています。力のベクトルは内向きで、組織の団結を促します。しかし、疫病によりその力が弱まったことで国家が崩壊に向かっていきました。この崩壊を、一時的に緩和する方法があります。それは、他者へ攻撃です。独裁的な国家で内政に問題があると、それから目を背けさせるために戦争を起こす場合があります。他国の非を責めることで、独裁者は国家を守ろうとするのです。学校内のイジメは、誰かをイジメることが目的ではありません。誰かを人身御供にすることによって、恐怖でグループ内を結束させることが目的なのです。つまり踏み絵です。


 物部氏にとって、ライバルである蘇我氏が仏教を信奉する姿は恰好の的でした。崇神天皇から続く「疫病の流行は神の祟りによるもの」という常識にぴったりと合致します。多くの人々にとってこれは分かりやすいロジックでした。ところが、このロジックには科学的な根拠がありません。当時の仏教は、仏典だけが伝播してきたのではありません。建築学や占星術、医学や薬学といった学問全般の知識が大陸から持たされたのです。丁未の乱以降、聖徳太子は四天王寺を建立しますが、その中の施設に施薬院があります。つまり、薬を使って治療するという概念があったという証左です。天然痘に対する、何かしらの知識もあったと考えられます。


 大陸の新しい知識で武装した蘇我氏にとって、物部氏の言い分は聞き入れることが出来ません。しかし、そうした知識や概念を皆に理解させるのは至難の業です。そもそも漢字すら読める人は少なかったでしょう。物部氏に対抗するためには、何かしらの旗印のもと組織を立て直す必要がありました。その旗印が、仏教という新しい虚構を生みだすことだったのです。その虚構をより強固なものにするために、蘇我馬子は反対に物部氏を人身御供にしました。


 疫病による壊滅的な混乱は、それまでの常識や組織を破壊します。破壊しますが、そこから新しい概念なり文化が生まれることも、歴史的には自明の理です。これまでに構築された社会システムの多くが耐用年数を超えています。資本主義も共産主義も、問題をはらんだまま運用されています。日本という国も、なんだか疲弊しているように感じます。


 ――次の新しいスタンダードは何なんだろう?


 「虚構を作り出して組織をまとめる」という手法は未来社会でも有用でしょう。しかし、虚構の旗印にされた仏教は、そもそもその虚構を信じる姿を否定しています。その象徴的な言葉が「諸行無常」になりますが、これはまた別の話になります。

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