第34話 認知革命

 僕の現在の目標は聖徳太子の物語を書くことなので、飛鳥時代に関連した書籍を色々と読んでいます。蘇我氏や物部氏といった豪族が、どのような経緯で誕生したのか、どのような活躍をしたのかを知りたい。でもそれだけでは小説は書けません。人間が生きていく上で必要な要素として、衣・食・住があります。当時の人々がどのような服を着て、何を食べて、どのような住居に住んでいたのかを知らないと正確なディティールを表現することが出来ません。また、一日の生活リズムや家族のありかた、恋愛の感情や性生活、宗教的儀式や宗教的概念。生きることに関するそれら全てを理解することは出来ませんが、出来る限り情報を集めて頭の中でイメージしようとしています。そうしたイメージ化で最も難しい分野が思想概念だと思っています。これは、神道と仏教というカテゴリで分けることで理解できるという単純なものではありません。そもそも、そうした宗教がなぜ発生したのかという根本的な命題があります。今回、その命題に答えてくれそうな書籍を読み始めました。ユヴァル・ノア・ハラリ著「サピエンス全史」です。


 大ベストセラーですし、もう既に読んだ方もおられるでしょう。人類の誕生から現代までの長い歴史を、三つの大きなブレイクスルーを柱にして紹介した本になります。その柱とは目次を見るかぎり、認知革命、農業革命、科学革命になるそうです。まだ読み始めたばかりですが心を動かされたので、序盤で感じた事柄を僕なりに言語化してみたい。


 さて、ここで問題です。宗教、お金、法律、株式会社、ネイティブアメリカンのトーテムポール、それからソーシャルゲームのガチャから排出されるレアアイテム。これらに共通する事柄は何でしょうか?


 認知革命を理解する為に、ハラリはフランスの会社プジョーを例に挙げました。フランスの老舗自動車メーカーであるプジョーは、世界中で20万人の従業員を雇っており、2008年は150万台以上の自動車を生産し、おおよそ550億ユーロの収益を挙げています。では、プジョーの実体は何でしょうか。自動車を製造していますが、もちろん自動車ではありません。自動車を作るのは従業員ですが、彼らは契約により雇用されています。流動的ですから実体とは言えない。では、雇用者が実体かというとそれも怪しい。責任者であるCEOは替えがきくリーダーだからです。CEOは利益を上げることが出来なければ、株主から突き上げを食らうことになります。自動車も従業員もCEOも株主も、プジョーを構成する要素の一つではありますが、どれか一つを実体と認めることは出来ません。では、プジョーという実体はないのでしょうか。法律的には、プジョーは法人として認められています。プジョーの名前で、お金を集めることが出来ますし、会社そのものを売買することだって出来ます。そのような法人のことを、ハラリは法的虚構と表現しました。


 250万年前にアフリカで最初のヒト族が誕生しました。アウストラロピテクスと命名されます。彼らは、多くの動物と違い火や石器を扱うことが出来ました。ここから分派して多くのヒト族が誕生します。ホモ・ルドルフェンシス、ホモ・エレクトス、、ホモ・ソロエンシス、ホモ・ネアンデルタール、ホモ・フローレシエンシス、それから我らがホモ・サピエンス。


 そうしたヒト族は、順番に進化していったのではなく、世界各地に同時期に存在していました。それは同じ猫族でも、トラやヒョウそれにライオンがいるようなものです。ところが、3万年前にヨーロッパにいたネアンデルタールが絶滅し、1万3000年前にインドネシアのホモ・フローレシエンシスが絶滅しました。これ以後、ヒト族はホモ・サピエンスだけになります。何故、絶滅したのでしょうか。どうやら、ホモ・サピエンスが他のヒト族を根絶やしにしてしまったようなのです。ホモ・サピエンスが特別に強かったわけではありません。強さだけでいうと、ホモ・ネアンデルタールの方が体格は大きいし、脳も大きかったようです。だから、一対一の戦いならホモ・サピエンスはホモ・ネアンデルタール人に勝つことが出来ません。しかし、集団の戦いなら話が変わってくるのです。


 人を含めた動物たちは、コミュニケーションによって絆を深めます。言葉が話せない動物であっても、言語にかわる方法を使っています。渡り鳥が編隊を組んで長旅が出来るのも、蟻が巣穴を作り一つの王国を運営できているのも、独自のコミュニケーションが成立しているからです。猿から進化したヒト族も、強いオスを中心にしてハーレムを形成していました。集団をまとめるために、強いオスは自身の強さを誇示します。マウント行為も、交尾も、子育てもコミュニケーションですし、ボスを賭けた戦いも広義ではコミュニケーションになります。集団の中でお互いに絆を深め、強いオスはより大きなハーレムを形成していきます。


 ただ、その集団の成員には上限があり、その限界値をダンバー数といいます。一般的には、150人を超えると集団は分裂を始めるそうです。ホモ・サピエンスよりも身体的に優秀だったホモ・ネアンデルタールは、このダンバー数を超えることが出来ませんでした。しかし、ホモ・サピエンスは超えていくのです。圧倒的な数の集団の力で、ホモ・ネアンデルタールだけでなく、その他のヒト族をも駆逐していきました。このダンバー数を超えていく力のことを、ハラリは認知革命と呼びます。この認知とは、何を認知することなのでしょうか。


 ヒト族の多くは言語を獲得していきました。

「ライオンがいるから気をつけろ!」

「この木の実は美味しいぞ」

「あの山の中に泉がある」

 言語の効能は、自分ではない第三者に様々な情報を伝えることです。しかし、これくらいの情報なら言語を使わなくても、伝達は可能です。先程、渡り鳥や蟻の王国の例をあげましたが、多くの動物がそうした情報を集団の中で共有しているからです。言語が持つ真の効能は、見えない対象を集団の中で共有する力です。この力は、現代においても有効です。紙で作られたお札に買い物ができる価値を持たせ、約束でしかない法律に人を拘束する力を持たせ、この世に降臨しない神を人々に信じさせる力があります。これら目に見えない対象を虚構と呼び、その虚構を皆で信じることによってホモ・サピエンスは団結する力を得たのでした。


 先ほどプジョーの話をしました。世界中で20万人の従業員を雇用して、自動車を作らせることが出来たのは、従業員がプジョーという虚構を信じていたからです。1810年に創業したプジョーの歴史や成功物語を、従業員は誇りに思っています。また、労働をすることで賃金が支払われることを信じています。プジョーが生み出した、スタイリッシュなデザインの自動車が大好きです。虚構を信じているのは従業員だけではありません。CEOは、プジョーの神話を守ることにその身を捧げていますし、株主はプジョーが新たな価値を生み出すことを信じています。プジョーという実体が伴わない虚構が、20万人という膨大な人々を一つの集団としてまとめあげているのです。


 世界中の多くの宗教は、アミニズム的な先祖供養が源流だと思われます。同じ血を分け合った同族意識や、先祖を神格化することによって、ホモ・サピエンスは団結するという大きな力を手にすることが出来ました。この団結の力が、農耕革命と相まって歴史を作っていくのです。


 大和王権は、様々な豪族が集まった連合政権でした。それぞれの豪族は、神格化された先祖をトーテムにして団結しています。ところで、10月のことを神無月と言いますが、出雲では神々が集まったという意味で10月のことを神在月と呼んだという逸話があります。これは平安時代以降の欲説らしいので、そのまま信じることは出来ませんが、神々が集まるという行動が気になりました。大和王権は、各地の豪族を集めて饗宴を開いています。この饗宴によって、大和王権は各豪族との絆を深めていったわけですが、豪族の集まりは神々の子孫の集まりでもあるわけです。神々の饗宴に比肩する大切な行事でしょう。この饗宴については、もう少し深堀が必要だと感じています。


 「サピエンス全史」を読むことで、宗教というものが人類に及ぼした影響力を感じることが出来ました。古代において宗教は人々が団結するためのツールであったわけですが、これは現代でも変わりません。共産主義もナショナリズムも株式会社も法律も、すべて宗教と同類項だと感じています。良い悪いではなくて、人々を団結させるためのトーテムなのです。


 そうした全体主義のアンチテーゼとして、仏教が誕生しました。個人の幸せに特化した「悟り」という一つの方向性を提示したのです。しかし、その仏教も、奈良時代においては鎮護国家の道具として変質していきます。国家全体の平和と一個人の幸せ、そのバランスを取ることは非常に難しい命題になります。ここで結論が出せる話ではありません。しかし、聖徳太子はそうした問題に真剣に取り組んだ人物だと、僕は認識しています。


 別の記事で、僕は「進撃の巨人」について述べたことがあります。非常に感銘を受けた作品でした。主人公であるエレンが最終的に取った行動は、地球で生活する人類と、自分の仲間を天秤にかける行為でした。現代の数字で置き換えると、80億人と10万人を天秤にかけて、10万人を選んだということになります。ホモ・サピエンスがホモ・ネアンデルタール人を駆逐した行為に等しい。これはある意味、人間らしい行為なのかもしれません。


 丁未の乱においても、大和王権の忠臣であった物部守屋の一族を、蘇我馬子は滅ぼしました。大和連合を組織して、圧倒的な数の力で殺戮したのです。その戦争に聖徳太子も参戦しました。四天王という虚構を旗頭にして、組織をまとめ上げたのです。これはエレンと全く同じ行為です。進撃の巨人はエレンが死んだことで幕が引かれましたが、僕はその先の話を聖徳太子に語らせたい。仏教を信奉した聖徳太子は、そうした事柄を、現代の僕たちよりもきっと深く理解していたはずです。悩み苦しみ、それでもなお未来に目を向けたと思うのです。


「サピエンス全史」


 面白い本でした。

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