第31話 崇神天皇の宗教改革

 前回、神武東征の話を紹介させて頂きました。現代までに126代の天皇が日本の柱として立たれているのですが、それぞれに薨去後に〇〇天皇という具合に諡号が送られています。一般的に天皇には苗字がないことが知られていますが、名前はあります。ただ、当時は名前を隠す風習があり、一般には知らされておりません。それでは不便なので、当時の大王を呼ぶときは称号や宮号を使いました。


 初代天皇である神武天皇は「ハツクニシラススメラミコト」と呼ばれていました。初めて国を治めた天皇という意味になります。ところが、10代崇神天皇も「ハツクニシラススメラミコト」と呼ばれているのです。このことから、神武天皇と崇神天皇は同一人物だという説がありますし、このことから2代から9代までの天皇は存在しなかったとの説もあります。これを欠史八代と言います。なにぶん文献が古事記と日本書紀しかないので、そのように推論することは出来ても断定することは誰にもできません。僕なりには、神武東征以後の大王による主たる事業は、米の水田技術の展開だったと考えているので、そうした事業にシングルナンバーの天皇たちが尽力してきたと考えた方が自然な気がします。


 農業改革であった水田技術は、川上から段々畑を作っていく話を前回に紹介しました。神武天皇は、大和川の上流にある畝山の麓に宮を築きました。その息子綏靖天皇(すいぜいてんのう)は、同じように葛城の山の麓に宮を築きます。その後、代々の天皇たちは奈良盆地の南側を中心にして宮を築いていくのですが、その立地が水田事業に直結しているように見えるのです。弥生時代から飛鳥時代に移行する過程で近畿の人口が20倍に増加したことを考えると、欠史八代の天皇たちが仮に存在していなかったとしても、それに代わる大王が存在しないことには辻褄が合わないことになります。


 そうした中、第9代開化天皇の御代から変化が起こります。奈良盆地の南ではなく北にある現在の奈良市に春日率川宮を築くのです。また、后にも変化が現れました。神武天皇が飛鳥にやって来た時、その領土は磯城一族が治めていました。磯城一族は初期の段階から大王家の側近として活躍しつつ、且つ代々の大王に后を送り込んでいました。外戚一族としての権威をかなり強めていたようです。しかし、開化天皇はその磯城一族ではなく、別系統の天孫族である饒速日(にぎはやひ)系列から后を迎えました。他にも妃がいましたが磯城一族ではありません。つまり、磯城一族と手を切ったのです。因みに、饒速日を始祖とする豪族は物部氏になります。


 開化天皇の息子である第10代崇神天皇(すじんてんのう)は、神武天皇と同じように「神」の字を冠した天皇になります。神武天皇は、武功によってその地位を築きました。では、崇神天皇はどうだったのでしょうか。崇神の「崇」は、「たたり」もしくは「あがめる」と読みます。同じ漢字でも全く意味が異なります。実際に崇神天皇は、「たたり」と「あがめる」を併せ持った天皇だったのです。


 崇神天皇が即位して5年目に疫病が流行しました。人口の半分が亡くなったとされます。国力が落ちていき民が疲弊する中、大王は神である神威を見せる必要がありました。ところが記紀によれば、三種の神器の一つである八咫鏡(やたのかがみ)が皇居にあることを畏怖した崇神天皇は、その鏡を娘である豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)に持たせて離宮させます。その後、転々として伊勢神宮が出来るのですが、少し不思議な話に感じます。

 天変地異や疫病が収まらない中、崇神7年、巫女であった倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)に、大物主という神が憑依しました。


「我を敬い祀れば、必ず国中に平穏が訪れるであろう」


 お告げに従い祭祀を行いましたが霊験が現れない。そこで崇神天皇が沐浴をすると、崇神の夢の中に大物主が現れるのです。


「こは我が心ぞ。大田田根子をもちて、我が御魂を祭らしむれば、神の気起こらず、国安らかに平らぎなむ」


 崇神は、大田田根子を探し出し三輪山をご神体とした大神神社を創建しました。このことによって、国が平穏になるのです。因みに、この大物主という神は大国主と同一だと解釈されています。大国主は出雲の神になります。アマテラスを追い出して、出雲の神を祀る。どういうことでしょうか。この一連の出来事に幾つかの注目すべきポイントがあります。


 そもそも「疫病の原因は俺だ」と大物主は告げています。つまり「祟り神」です。何とも迷惑な神様でして、自ら国を乱しておいて、それを収めるために自分を祀ることを強要しているのです。当時の感覚では、災害や疫病は神の御業で、人間の力ではどうすることも出来ない。人間に出来ることは、神を敬い奉ることだけなのです。なだめすかして、怒らさない。そのように考えられていたのでしょう。ただそれだけなら、アマテラスでも良かったはずです。ではなぜ、大物主なのでしょうか。


 臣下や民を納得させるために、崇神天皇は何かしらの解決策を提示する必要がありました。当時の時代を鑑みるに、アマテラスの神威は地に落ちていたようです。責任転換できる、何かしらの対象を他に求めました。それが大物主だったと思うのです。また結果的に、この逆境を崇神天皇は利用することになりました。大和系の巫女である倭迹迹日百襲姫命の行動では問題が解決できませんでした。ところが、崇神天皇が巫女のように振舞い具体的な解決策を提示するのです。これでは巫女である倭迹迹日百襲姫命の顔が立ちません。その後、倭迹迹日百襲姫命は大物主の妻となるのですが、大物主を怒らせてしまい、箸を陰部に突き刺して死んでしまうという伝承が残されています。因みに、この伝承から倭迹迹日百襲姫命の陵墓は箸墓古墳と呼ばれるようになりました。


 崇神天皇が選んだ行動は、倭迹迹日百襲姫命を犠牲にして、出雲系の神である大物主を祀ることでした。これでは人身御供と変わりません。結果的に疫病の災害から解放されたので、大物主を祀ることに意味が持たされます。それまでのアミニズム的原始宗教は先祖供養でした。それが、崇神天皇によって新しい神が生み出され、新しい力が誕生するのです。それは「神が祟(たた)る」という宗教的な新しい概念でした。


 ――神を祀らなければ、祟りが起きる。


 恐怖を根底にしたこのロジックは、国を統治するのにとても有効でした。崇神天皇は、大田田根子を大神神社の祭主に据えて祭政一致の政策を強く推し進めます。更には王族である、大彦命(おおびこのみこと)、武渟川別命(たけぬなかわわけのみこと)、吉備津彦命(きびつひこのみこと)、丹波道主命(たんばみちぬしのみこと)たちを将軍に任命します。それぞれの将軍に、北陸、東海、山陽、山陰に向かわせました。将軍たちは崇神より「教えを受けない者があれば兵を挙げて伐つように」と厳命されています。新しい宗教による、日本の平定を行いました。因みに、吉備津彦命は桃太郎のモデルだとされています。


 ずっと以前に、前方後円墳の分布が大和王権の勢力図であるとの話を紹介したことがあります。奈良盆地の南東にある纏向の地に、日本で初めての前方後円墳が築かれました。それが箸墓古墳です。この前方後円墳の建築が日本全国に爆発的に広がっていきました。実際に、四道将軍の平定ルートにそって前方後円墳は築かれていくのです。神武東征は「ハツクニシラススメラミコト」の名に相応しい業績でしたが、崇神天皇の偉業も「ハツクニシラススメラミコト」の名に相応しい偉業です。宗教に権威を持たせた祭政一致という新しい統治スタイルは、爆発的な推進力で日本の国力を押し上げていきました。当然そこには、米の水耕栽培の伝播という文化的な側面もあったはずです。日本初の宗教改革といってもよいのではないでしょうか。


 ところで、崇神天皇には日子坐王(ひこいますのみこ)という弟がいました。日子坐王の詳細な記録はないのですが、現在の滋賀県である淡海に大和王権とは独立した形で王国を形成していたようです。大和王権は日本各地に国造(くにのみやつこ)を置いていくのですが、淡海にはなかなか設置されません。淡海には、大和王権に対抗できるだけの国力があったようです。後に大和王権は、滋賀県高島を出身地とする継体天皇を迎え入れることで、大和と淡海が融合していきます。


 他にも、日子坐王の子供たちに、狭穂毘売(さほひめ)と狭穂毘古(さほひこ)がいました。詳細は割愛しますが、彼らの兄妹の悲恋物語「狭穂彦王の叛乱」が面白い。聖徳太子の母親である穴穂部間人皇女と穴穂部間人皇子の関係に重ねてしまいます。ここは深堀したくなるエピソードでした。


 僕は聖徳太子の物語を描きたいと考えています。とても面白いものにしたい。ただ、メインテーマは、思想の衝突によるカルチャーショックです。古墳時代から続く精神文化に対して、仏教的思想がどのような化学反応を引き起こしたのかが知りたい。そうした意味では、崇神天皇が展開したこの世界観はとても参考になりました。

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