第29話 人生は近くで見れば悲劇だが、遠くから見れば喜劇だ

 インターネット上に文章を書き残すようになって3年が経ちました。長編の小説を実験的に幾つも書いてみましたが、現在は小説を書いておりません。僕が日々感じている思いをエッセイとして書き連ねているだけです。ですが、小説は必ず書き上げます。常々自分を鼓舞するように「聖徳太子の小説を書く」と自分に言い聞かせていますが。これは僕のライフワークになります。ただ、当時の世界をイメージするには資料があまりにも少ない。現在のところは、学生のように当時の世界を勉強することに集中しています。勉強をしながら考えます。


 ――どのような物語にしたら面白いのか?


 勉強と並行して色々と思いを巡らしています。主人公は聖徳太子になりますが、他にも魅力的なキャラクターは沢山います。聖徳太子の叔父にあたる蘇我馬子とライバルである物部守屋は、物語の大きな柱になります。二人とも非常に魅力的で、彼らが衝突したからこそドラマが始まりました。二人は結果として衝突しましたが、少し深堀すると意外な事実が見えてくるのです。馬子も当然結婚をしているのですが、その妻がなんと守屋の妹なのです。豪族同士が関係性を深めるために政略的に結婚したという側面はあるかもしれません。しかし、当時の恋愛観は現代よりも激しくて熱い。それこそ、恋愛こそが生きる目的だったりします。そんなことを加味すると、馬子と守屋の関係性に深いドラマを想像してしまいます。


 聖徳太子のお母さんである穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)も面白い。悲劇のヒロインとして申し分ない。推古天皇とは腹違いの姉妹になります。旦那である用明天皇には死なれてしまうし、同じ母親の弟である穴穂部皇子と泊瀬部皇子――後の崇峻天皇――は、馬子によって殺されてしまいます。丁未の乱の折には丹後半島に逃げており、蘇我の血を引いている割には苦難の連続です。馬子と穴穂部皇女の間に、どのような因縁があったのでしょうか。


 他にも飛鳥時代は、面白いエピソードがてんこ盛りです。聖徳太子のひいお爺さんは継体天皇になります。継体天皇からは三人の天皇が誕生しました。日本書紀によれば、第27代安閑天皇(あんかんてんのう)、第28代宣化天皇(せんかてんのう)、第29代欽明天皇(きんめいてんのう)と順番に継承されます。ところが、史実を探っていくと色々と不都合な事柄が浮かび上がってくるのです。詳細は割愛しますが、安閑・宣化vs欽明天皇で対立していたのではという考察があるのです。これを二朝並立といいます。この皇位継承争いに、欽明天皇が勝利しました。この立役者こそが蘇我稲目かもしれません。出自が曖昧な蘇我稲目ですが、その後の歴史では大王家の姻戚関係として権威を振るうことになります。


 天皇が政務を行った場所を「宮」と言いますが、天皇は代が変わるごとに遷都を行っていました。例えば、雄略天皇なら泊瀬朝倉宮(はつせのあさくらのみや)、推古天皇なら小墾田宮(おはりだのみや)という具合です。欽明天皇は、三輪山の麓に磯城島金刺宮(しきしまかなさしのみや)を置きました。この宮ですが、古事記では師木嶋大宮(しきしまのたいぐう)と記されています。この違いが分かりますか。「宮」ではなく「大宮」という位置づけなのです。神社でもそうなのですが、「大」という字が付くと格が上がります。神社であれば「大社」「神宮」「宮」という序列です。並立していた朝廷を一つにまとめたから「大宮」と表記された……かは分かりません。しかし、「大宮」と表記される宮はここだけなのです。欽明朝は、後世に大きな存在感を持って受け止められていました。


 神社の話が出てきたので、もう一つ。この欽明朝以降では、女犯事件が何件か起きています。それも巫女の中の巫女、斎宮が皇子によって強姦されるのです。被害者は堅塩媛の娘である磐隈皇女。犯人は小姉君の息子である茨城皇子です。磐隈皇女は、推古天皇の姉であり処女のまま神の妻として伊勢神宮の斎宮になりました。その磐隈皇女を、腹違いの兄である茨城皇子が強姦するのです。同じように、敏達天皇の娘である菟道磯津貝皇女(うじのしつかいのひめみこ)が次の斎宮になるのですが、聖徳太子のお父さんである池辺皇子に強姦されました。


 そうした流れの中、穴穂部皇子による推古天皇強姦未遂事件が起こります。この事件は後の丁未の乱の遠因にもなりました。どうなっているんでしょうか。物語の布石のように、皇室関係者による女犯事件が繰り返されました。しかも、被害者と犯人の関係性が腹違いの姉弟だったりします。この辺りの因果関係はまだ整理が出来ていないのですが、神社の巫女というポジションの特殊性や、現代とは違う恋愛観に対する考え方をもっと理解する必要があります。


 これらの出来事を、まるで俯瞰するようにご紹介しました。このような描き方を小説の世界では三人称視点といいます。もともと物語の源流は、この三人称視点でした。古事記は、歴史書ですが物語でもあります。カメラのポジションは俯瞰です。世界最古の小説である源氏物語も同じになります。


 ところが、小説が発達していくにしたがって、一人称視点という描き方が開発されました。主人公の視点にカメラが置かれて、主人公の目線で物語が展開されていくのです。僕は、この一人称の描き方にこだわってきました。この描き方の特徴は没入感になります。まるで迷宮を彷徨うように、自分が見ているものしか描けない。仮に、通路の先の角でゴブリンが待ち伏せしていても、作者はその様子を前もって描いてはいけません。その角に差し掛かった時に、ゴブリンがこん棒を持って襲い掛かって来たら、初めてその様子を表現することが出来るのです。これが、一人称視点で描く場合のルールになります。頭を殴られて血が流れ痛ければ、そのように表現します。苦しい様子を、読者と共有するのです。この一人称と三人称の違いについて、チャップリンは面白い言葉を残しました。


「人生は近くで見れば悲劇だが、遠くから見れば喜劇だ」


 歴史小説というのは、多くは三人称視点で描かれます。人間の悲喜こもごもを書き表し、人間の愚かさや聡明さを訓示しました。自分が経験しているわけではないので、どこか他人事です。つまり、遠くから見ているので喜劇になるのです。この描き方の長所は、別々で起きている事象を同列で扱えます。例えば、蘇我馬子と物部守屋が戦争している様子を、俯瞰しながら解説や説明することが出来るのです。そうすることで、壮大な世界観も合わせて表現できます。ただ、難点として感情移入がし難いのです。


 対して、一人称はそうした広げた説明が出来ません。仮に、戦争に参戦している聖徳太子を主人公とした場合、自分が置かれた立場は説明できますが、守屋の陣がどこにありどのような作戦で攻めてくるのかが表現できない。もし、物理的に無理な説明を書き加えると、読者に違和感を与えてしまいます。ただ、三人称には出来ない長所があります。それは、主人公の思いや感情をそのまま表現できることです。仲間が目の前で死んでいく有様を目にして、辛い心境をそのまま吐露させることが出来ます。読者は、主人公に寄り添いその苦しさを味わうのです。


 小説を書く場合、この視点をどちらに選ぶかによって趣が全く変わってしまいます。歴史的な流れを表現したいのであれば、三人称視点を選ぶべきです。ただ僕が描きたいのは、仏教思想が流入したことで、当時の価値観と衝突したカルチャーショックです。そうであれば、一人称視点の方が表現しやすい。そんなことを考えつつ、もう一つの方法があることを知りました。ワトソン視点です。


 ワトソンは、シャーロックホームズの助手になります。小説は、ワトソン視点でシャーロックホームズを観察することで語られていきます。仮に一人称視点でシャーロックホームズを主人公にしてしまったら、シャーロックホームズが推理する思考が駄々洩れです。これでは推理小説にならない。シャーロックホームズを推理小説たらしめているのはワトソン君のお陰だったのです。


 聖徳太子の物語を描くうえで、この手法は有効利用が出来そうです。聖徳太子を含めた、複数の一人称視点を用意するのです。つまり、物語全体を通しての主人公は聖徳太子ですが、語り部が沢山いるのです。群像劇というジャンルです。大変難しい手法でしょう。扱い方を間違えると、物語として成立しません。ただ、この手法を使った名作は色々とあります。参考にしてみたいと思います。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る