第8話 妻問婚

 古代に関する記事を久々に綴ります。当時のことについて調べているのですが、色々な事柄に広げ過ぎていて、頭の中がとても漠然としています。当時の人々の生活について、僕はリアルにイメージをしたい。その為には、具体的な情報が必要です。新しい情報を頭の中に詰め込んでは、子供がブロックで遊ぶようにボーっと頭の中で組み立ています。


 ――「妻問婚」という言葉をご存じでしょうか?


 現代における家庭の基本的な形態は、男と女が結婚して子供を産み共同で育てます。不倫は許されず、家庭を大切にすることが美徳とされます。ところが、この形態は比較的新しい概念で、昔は違いました。平安中期ごろまでの男と女の結婚の形態は「妻問婚」でした。男は妻の家に通いますが、生活は共にしません。子供が誕生すると、その子供は妻の家で育てられます。父親は養育に参加しないのです。


 見目形が美しいと評判の女性の噂を聞くと、男はその相手に和歌を送ります。和歌を受け取った女は、その和歌の内容から男の姿を想像します。気に入れば和歌を返します。わざわざ和歌を送り合うなんて、何だか面倒に感じます。直接口説けばよいようなものです。しかし、当時の女性は家の中に籠っていました。箱入り娘なのです。直接に会うことが難しいから、和歌というツールが重要でした。和歌のセンスや出来具合は、その人となりや教養を表します。和歌が上手い男は、出来る男なのです。


 女から和歌の返信があると、男は「よばひ」を行いました。日が沈むと、男はその女の部屋に忍び込むのです。当時は現代の様な明かりがありません。暗い闇夜の中、男と女が結ばれます。男は事が済むと、夜が明ける前に女の家を出ます。そして、その日のうちに「あなたのことが忘れられない」といった和歌を送ります。また、「よばひ」を行います。三日連続で「よばひ」が行わられると、結婚の運びになるそうです。


 男によっては、妻が何人も存在する場合があります。それが可能な社会でした。それぞれの妻の家を順番に回り、関係を深めます。源氏物語の主人公もそうでした。様々な女性と関係を持ちプレイボーイな姿を見せます。現代の感覚ではあまり理解ができない行動に見えます――いや、理解できないというか、羨ましかったりとか……(笑)


 平安時代に、竹取物語が生まれました。あの物語では、美しいと評判のかぐや姫の元に公達が詰めかけ求婚します。帝までもが求婚に現れます。仲介するのはお爺さんです。しかし、かぐや姫は姿を現しません。無理難題を述べて断り続けます。あの感覚が、当時の男と女の関係性だったようです。


 「垣間見る」という言葉がありますが、この言葉は源氏物語や竹取物語から生まれました。男が家の中にいる女の美しさを確認する為に「覗き見る」様子を表現しています。ちょっとストーカーチックで、スケベな男を想像してしまいそうです。しかし、真に見定めるべきは家の格式だったりします。当時、一族の財産は娘が受け継ぎました。男からすればその女の親の財産にはもっと関心があったのです。帝の外戚でこの世を謳歌した藤原道長が言いました。


 ――「男は妻がらなり」


 結婚する女性の家の格式や財産が、男の地位向上に大きな影響を与えたことを、素直に述べています。余談になりますが、先程、生まれた子供は女の家で育てられる話をしました。子供にとってお爺ちゃんは、非常に大きな存在になることが分かります。その関係性を利用して藤原一族は大きくまりました。その手口には先輩がいます。飛鳥時代の蘇我氏です。「妻問婚」の副作用が、そんな所に現れていることが分かります。


 この男が女の家に通う結婚スタイルは、非常に古い習わしでした。その源流は縄文時代にまで遡ります。縄文時代は狩猟採取の時代でした。狩猟採取の生活は、その日暮らしです。食料を貯えるにしても限界があるので、多くの人を養うことが出来ません。10人程度のコミュニティーが、日本各地に点在していたようです。小さなコミュニティーの中で性交を繰り返すと、血が濃くなってしまいます。それを回避するためには、違う血が必要になります。外からやって来た男を迎え入れ、娘と結ばせる。その風習が、「妻問婚」のベースになったようです。


 古事記によると、日本の創生はイザナギとイザナミから始まります。二人は兄弟であり夫婦でもあります。結婚するために、一つの儀式を行いました。二人が大きな柱を別々に回り込み、反対側で出会うのです。最初に妻であるイザナミが言いました。「なんて素敵な方なんでしょう」それに対してイザナギが返します。「なんて美しい乙女だろうか」


 二人は結ばれて子を宿すのですが、初めの子供は蛭のように醜い子供でした。驚いた二人は、結婚の儀式を最初からやり直すことにします。同じように柱を回り込み、また二人が出会います。今度は、男であるイザナギから声を掛けました。「なんて美しい乙女だろうか」イザナミもそれに応え、二人は再度結ばれます。そうして生まれたのが淡路島だそうです。有名な「国生み」の話しですね。


 この逸話のポイントは、男から女に声を掛けることです。古代の人々が、どうしてその事にこだわったのか。それは、血が濃くなると元気な子供が生まれないことが分かっていたからだと思うのです。


 ――男が女に求婚する。


 表面的にはスケベな男の話に聞こえます。しかし、一万年という長い縄文の歴史から培われた人類存続の智慧だと解釈したら、「妻問婚」にも頷けるものがあります。そうした歴史的な背景を鑑みながら、現在の僕は「聖徳太子」の姿をイメージしようとしています。一体どんな人だったんでしょうね?

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