第5話 もののけ姫と古代日本

 今日は、ジブリの世界から日本を見ていきたいと思います。宮崎駿は、日本を代表する作家ですね。「風の谷のナウシカ」「天空の城ラピュタ」「となりのトトロ」「もののけ姫」「千と千尋の神隠し」等、彼の作品は名作ばかりです。多くの方が、幼いころからまた大人になってからでも、ジブリの世界に触れたことがあるのではないでしょうか。「ルパン三世のカリオストロの城」は、僕の小説のネタとして使わせていただいたことがあります。宮崎駿が表現するルパン三世が、特に大好きでした。


 彼のアニメの素晴らしさを、一口に説明することは出来ませんが、この現代にあって忘れていた何かを思い出させてくれるような懐かしさがあります。特に日本人であれば、尚更そのように感じるのではないでしょうか――僕だけの思い込みかもしれませんが。懐かしさを感じる理由の一つに、物語のバックボーンに神話や歴史といった普遍的な要素を忍び込ませているからだと、僕は考えています。


 例えば、名前に関する扱い方は有名です。「千と千尋の神隠し」では、湯婆婆が千尋の名前を奪います。奪うことによって相手を自分の思うがままに操ろうとしました。また、他の作品では風の谷のナウシカがあります。アニメにはありませんが、漫画版の「風の谷のナウシカ」では、名前を使った重要なシーンがあります。


 物語の後半、ナウシカが巨神兵に名前を付けるシーンがあります。その事で、巨神兵はナウシカのことを母親として慕うようになりました。また、蟲を兵器として使用する土鬼軍の長が謎の人物ナウシカに対して、名前を尋ねるシーンがあります。この時、ナウシカは名前を名乗りません。名前を教えると、相手に操られてしまうからです。


 日本や中国は古来から、本当の名前を隠す風習がありました。本当の名前のことを「忌み名」といいます。ナウシカの例のように、本当の名前を知られると霊的に操られると考えられてきたからです。普段は、本当の名前を隠すために「字」と呼ばれるもう一つの名前を使用しました。他には、住んでいる土地や官職等でその人物を呼ぶこともあります。忌み名を呼んで良いのは、親か主君に限られました。ですから、天皇陛下に対しても、名前を呼ぶことはしません。失礼に当たります。宮崎駿は、そうした文化や風習を丁寧に作品に織り込みます。そうした宮崎駿の作品の中から、今回は「もののけ姫」を題材にして、古代日本を見ていきたいと思います。


 まず、「もののけ姫」という題名から、姫が主人公の物語と勘違いされそうですが、この物語はアシタカという男の子が主人公です。岡田斗司夫によると、宮崎駿は「アシタカせっ記」という題名にしたかったそうです。ところが、それでは客が呼べないということで、鈴木プロデューサーが「もののけ姫」にしてしまいました。その所為で、物語の真意が伝わりにくくなりましたが、忌み名は「アシタカせっ記」です。「せっき」とは伝記という意味になります。


 ――「もののけ姫」って、どこの国で、いつの時代か分かりますか?


 禍々しい祟り神が出てきたり、アシタカが「ヤックル」という鹿なのかカモシカなのか良く分からない動物に乗り移動します。また、カラフルな民族衣装を着ているので勘違いしそうですが、舞台は日本です。時代は、室町時代になります。


 アニメを観ていると、セリフの中に「帝」とか「大和」とか出てきます。「明国の鉄砲」というセリフもあったように思います。具体的な説明はありませんが、それとなしに古代日本を感じさせています。


 ――じゃあ、アシタカは日本人なのか?


 その事に答える前に、少し回り道をします。日本を表す文献として古事記と日本書紀があります。二つを合わせて記紀と呼んだりするのですが、これらは古代日本を語るうえでは外せない文献です。イザナギとイザナミが日本を生んだ神話から始まり、推古天皇や聖徳太子も登場します。


 そうした記紀ですが、日本を象徴するアレが出てきません。海外から観光に訪れた人なら一度は目にして欲しいアレです。デカくて、美しくて、日本画のモチーフとしても度々登場するアレです。分かりますか?


 ――そう、富士山です。


 記紀は、古代日本とは言っても西日本のことが中心に描かれています。奈良は勿論のこと、出雲や九州で起こった出来事を時代を追って記しています。ヤマトタケルが東方に遠征に出かける内容もありますが、それでも富士山は出てきません。何故だと思いますか?


 当時、富士山から東は蝦夷(えみし)と呼ばれていました。西日本とは大きく文化が異なっていたのです。大和王朝は弥生文化を経て稲作を主体とした文化が定着していました。対して、東日本の蝦夷は、縄文時代の生活が色濃く、狩猟採取の生活を続けています。生活する住居も竪穴式でした。一説には、日高見国(ひたかみのくに)が富士の裾野から東北に向かって広がっていたという伝承もありますが、今回はその考察はしません。要は、当時は、西日本と東日本で大きく文化が異なっていたということです。


 「もののけ姫」では、アシタカが住む村が描写されています。縄文の文化が色濃く表現されていました。住居も身に着けている服も、縄文テイストです。だから、「もののけ姫」は日本的な雰囲気が感じられなかったのです。


 物語の冒頭、禍々しい祟り神が現れます。ナウシカでいうと、オームが登場するシーンを思い出させます。祟り神が、村の女の子たちを襲います。しかし、祟り神とは戦ってはいけません。その祟り神の呪いが自分の身に移るからです。しかし、アシタカは、村の女の子達を助けるために矢を射ました。しかし、祟り神の勢いは止まらない。そのままでは、村が壊滅します。アシタカは決意して、第二矢をつがえました。祟り神を仕留めます。その代償として、呪われた体になりました。


 そうしたアシタカのことを、年老いた巫女が占います。結果は、アシタカを村から追放することを決めました。アシタカは、村を守った英雄です。しかし、呪いを身に移したアシタカを村に置くことは出来ません。酷い仕打ちだと思いますが、アシタカは掟に従います。髷を切り取り、巫女が示す西へと旅立つことを決意しました。ここで、西に行くということが明確に示されます。向かう先は、帝がいる大和王朝です。


 古代の日本を考えるうえで、東日本である蝦夷をどのように捉えるのかは、非常に難しい問題です。日高見国(ひたかみのくに)という言葉は、記紀にも出てくるそうですが、詳しい情報がありません。東日本に点在する神社の由来を紐解くことで、その姿が朧気ながらも見えてくるようなのですが、それぞれの伝承をどこまで信じて良いのか難しい。現在の所、正式な日本の歴史としては認知されておりません


 日本という国は、中国から漢字がやって来るまで文字が無かったとされています。一部、神代文字の使用があったとされる伝承もあるのですが、現在のところはこれも封印されたままです。文字のない日本においては、神話や昔話、それに言い伝えや民謡、そうしたものが口伝によって伝えられてきました。記紀の編纂にしても、当時の各地の記憶を吸い上げて編纂されています。ですから、古代日本というのは、現在明らかになっている情報だけで、推測するしかないのです。


 「もののけ姫」は、そうした曖昧な古代日本を表現したという意味において、素晴らしい仕事だと思います。イメージし難い縄文の生活が、分かりやすく表現されていました。他にも、たたら場とか、当時の神に対する捉え方とか、参考になるものが沢山あります。今後、僕が描くであろう物語も、リアルな日本を感じる様な作品にしたい。そのように自分を鼓舞しています。

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