第3話 京都の秦氏

 JR京都駅から嵯峨野線に乗り換えて、太秦にやってきました。太秦といえば、映画村で有名ですね。太秦の街は、京都市内とは違って道が狭く、住宅がひしめき合っています。また、道が碁盤の目ではなく規則性がありません。迷路のように入り組んでいます。街の真ん中に市電が走っているのですが、途中、路面電車になっていました。車に混ざって電車が赤信号で止まっているのです。なかなか面白い。四条や八坂神社のあたりも京都ですが、そうした下町の風情も京都らしい。異国にやって来た気分にさせられます。太秦にやって来た目的は、秦河勝の史跡をこの目で確認したかったからです。


 太秦という地名は、古代豪族のひとつ、秦氏に由来しています。日本書紀にもその記述があり、応神天皇の御代に百済からやってきた渡来人を始祖とします。当時の日本人は、大きく三つのグループから構成されていました。狩猟や採取をして生活をする縄文人系、稲作を行う弥生人系、それから大陸からやって来た渡来人系です。


 秦氏は、日本に様々な文明をもたらしました。土木技術や酒造技術、鉄を精製する鍛冶の技術など、当時の日本としては最先端の技術です。中でも蚕から絹糸を生み出す養蚕技術が有名で、その絹糸を反物にする機織り(はたおり)の技術は、秦氏の代名詞でもあります。


 太秦の中心地、映画村に隣り合うよにして広隆寺があります。飛鳥時代に活躍した秦河勝が建立したお寺で、京都では一番古い。秦河勝は、聖徳太子の参謀として活躍した人でした。丁未の乱で、蘇我氏と物部氏が争った時も、聖徳太子をサポートしています。広隆寺の建立は、聖徳太子から授かった弥勒菩薩像を祀るためで、何かと聖徳太子と縁が深い。


 今回は、その弥勒菩薩像をじっくりと堪能してきました。広隆寺の境内に入ると、まず上宮王院太子殿が見えます。聖徳太子を祀っています。その太子殿の奥に霊宝殿があり、800円を払うと国宝である弥勒菩薩半跏思惟像を見学することが出来ます。霊宝殿には、弥勒菩薩だけではなく、様々な仏像があります。3メートルもある大きな千手観音とか、リアルに表現された四天王像など、当時の技術にビックリです。どれもこれも凄いのですが、やっぱり弥勒菩薩半跏思惟像がダントツで存在感があります。


 弥勒菩薩半跏思惟像は、学校の教科書にも紹介されているので超有名です。初めて知ったんですが、国宝第一号だったんですね。その芸術性の高さもさることながら、聖徳太子が関わったとという経歴からも、第一号は頷ける話です。沢山の仏像があるなか、霊宝殿のど真ん中に弥勒菩薩像が配置されています。その前には、畳が用意されていました。僕は、その畳に正座します。30分くらい、ただただ眺めていました。


 美しい造形でした。笑っているのか澄ましているのか分からないアルカイックスマイルは勿論のこと、その姿勢が美しい。弥勒菩薩は、少し前屈みになり、考える様な仕草をしています。多くの仏像が、威厳を見せようと胸を張らせ作為的に造形されているのに対して、弥勒菩薩像は自然なのです。人間味があり、物語すら感じます。出来ることなら、この弥勒菩薩像を作成した作者に、その意図を尋ねてみたい。そんな風に思いました。


 正座をしながら、当時の人々がこれほどの仏像を次々と制作した背景について考えていました。造形の技術だけでなく、圧倒するようなその存在感は、現代の量産されるフィギアとは比較できません。一品一品に、魂が込められているような厳かさがあります。


 仏教というのは、仏界すなわち仏の境涯を表現したいのですが、その表現方法がありません。お釈迦さん自身が、仏の境涯は難信難解――信じることが難しく、理解することが出来ない――と言い切っています。様々な比喩を使って説明するのですが、より一層分からなくなります。そうした仏について、仏像で表現しようとした、当時の制作者の想いに頭が下がります。手塚治虫の火の鳥を思い出しました。鳳凰編で、片腕の我王が命を削りながら彫刻をする描写があります。そうした背景が、あったのかもしれません。


 古墳時代から、飛鳥時代、奈良時代、そして平安時代と栄華を極めた秦氏ですが、他の豪族のように政治の舞台には出てきません。一見、地味に見えます。その気になれば、いくらでもやり様があったはずですが、裏方に徹します。天皇家に忠誠を捧げていました。


 京都の町の原型になった、平安京は秦氏が設計に関わっています。というか、土地そのものも献上しています。それ以外にも、法隆寺や四天王寺、それから八坂神社や伏見稲荷、その他の多くの神社仏閣の建設に秦氏が関わっているそうです。


 太秦には、秦氏の史跡が他にもあります。蛇塚古墳、天塚古墳、大酒神社、それらがご近所で点在しています。中でも、蛇塚古墳は、大きな前方後円墳だったそうですが、石室だけがむき出しで残されています。石室がむき出しの古墳といえば、明日香村の石舞台が有名ですが、あの石舞台よりも大きい。大きな石が高く高く積み上げられています。しかも、その石室を普通に民家が囲んでいるのです。不思議な光景でした。


 秦氏を調べていくと、必ずたどり着く秘密があります。秦氏がユダヤ人だった説です。案外、本当かもしれない。そんな内容になります。


 ダビデの王に追放されたユダヤ人は、エルサレムを後にします。太陽が昇る東へ向かって旅を始めました。国を失ったユダヤ人は、生きるために商売を生業にします。シルクロードを使い、中国と中東との懸け橋として、その存在を維持してきたようです。そうしたユダヤ人が中国で弓月君という部族を作り、百済を経由して、日本にやって来た。そのユダヤの末裔が、秦氏だというのです。


 この話はこれ以上展開はしません。ちょっとオカルトチックな内容になります。興味がある方は調べてみてください。祇園祭にユダヤが絡んでくる内容になります。影響はあったと思いますが、ちょっとこじつけ感があります。


 ただ、秦氏の一族がユダヤの血を引いていたことは、本当かもしれません。最近の研究で、アジア人のDNAを調べたものがあります。中国や朝鮮と海を隔てて隣同士の日本ですが、DNAの特徴が違うのです。日本人だけ稀有なD因子が紛れ込んでいるのです。詳しい説明は省きますが、大陸から早い段階で中東からの血が混ざっている証拠になるみたいです。


 そう言えば、古墳から出土される土偶の中に、ユダヤ人の特徴を象ったものがあります。やっぱり、秦氏はユダヤ人だったかもしれませんね。目を瞑って当時の日本を想像してみると、様々な人種が交じり合うエネルギッシュな市場のイメージが浮かんできそうです。

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