第2話 聖徳太子は存在したのか?

 歴史を語るうえで断っておきたいことがあります。それは、


 ――本当かどうかは誰も分からない。


 ということです。新しい歴史の解釈が生まれてはいても、見てきたわけではありません。遺跡を発掘して決定的な証拠が出たとしても、今度はその真偽を疑い始めます。どこまでいっても推論の域をでません。今後、僕が紹介するであろう内容も、真実なんだと解釈されると非常に困ります。考古学は、永遠のミステリーを楽しむものなのです。


 現在の若い人たちは馴染みがありませんが、僕が子供の頃は一万円札と言えば聖徳太子でした。高額紙幣の顔です。


 ――この人は偉い!


 そんな刷り込みが、お札によって成されていました。更には、聖徳太子は十人が一斉に喋っても、同時に理解が出来るとか、そんなおとぎ話も残されています。子供のころに、十七条「拳法」という必殺技がさく裂する漫画がありました。友達同士でそのネタで笑ったことがあります。聖徳太子というのは、小さな頃から身近な存在でした。

 

 ――そんな聖徳太子が、実は存在していなかった。


 そうした解釈を初めて聞いた時、本当にビックリしました。皆さんは聖徳太子の存在を信じますか?


 聖徳太子の痕跡というのは、近畿各地に残されています。奈良県斑鳩にある法隆寺。それから、大阪市天王寺区にある四天王寺あたりは超有名です。僕も足を運んでみました。


 聖徳太子の伝説というものは滑稽なものが多くて、誕生からぶっ飛んでいます。母親である穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのみこ)の夢の中に、救世観音(くせかんのん)が現れて、「お腹をお借りしたい」と言ったそうです。しかも、急に産気づいて近くにあった馬小屋で子供を産みます。その子供は、厩戸皇子と名付けられ、後の聖徳太子になりました。


 ――この話って、何かに似ていませんか?


 そう、キリストの受胎告知です。当時の日本は、多くの大陸文化が既に流れ込んでいたようです。いずれまとめようと考えていますが――イスラエルを追放されたエホバの十支族の末裔が、古墳時代には日本にやって来ていた――みたいな話もあります。聖徳太子の伝説に尾ひれがついて、後からキリストと重ね合わせられたとしても不思議ではありません。


 それ以外にも、馬に乗って空を飛んだとか、神通力で未来を予言したとか、人間離れしています。当時の日本なら、そんな聖徳太子の伝説を信じたかもしれませんが、現代では鼻で笑うしかありません。そんな中で生まれたのが、「聖徳太子は存在していなかった」説です。


 研究者の間では、聖徳太子を怪しむ証拠が次々と提示され論っています。十七条憲法は、後から捏造されたものだという研究者もいます。条文の中に国司という文言が使われているのですが、この役職は、聖徳太子が亡くなった後、701年に制定された大宝律令によって制定された地方役職です。時代にズレがあるのです。


 聖徳太子の偉業は沢山あります。十七条憲法、冠位十二階、遣隋使、丁未の乱、国記・天皇記編纂、法華義疏編纂、法隆寺・四天王寺を始めとする仏閣の建立。摂政として国を取りまとめるだけではなく、外交問題にも果敢に挑む政治家の姿。国記・法華義疏を取りまとめる学者の姿。あまりにも偉業が多すぎて、


 ――これは一人の人間が成しえる事ではないだろう。


 そのように受け止められたみたいです。そこから、聖徳太子捏造説が生まれました。その犯人は、日本書紀の編纂に関わった奈良時代の藤原不比等だというのです。摂政という役職にいた藤原不比等が、自身の地位向上の為に聖徳太子を生み出した。


 僕からすれば、そうした陰謀論の方が無理がある気がします。日本書紀の編纂で、聖徳太子を生み出したくらいで、今日の様な聖徳太子像が生まれるでしょうか。聖徳太子の偉業が凄すぎて、後から尾ひれがついたと言われた方が、まだ納得が出来ます。


 そうした陰謀論はひど過ぎるにしても、もう少しソフトタッチな聖徳太子不在説があります。様々な偉業は、それぞれ違う人の功績で、後から聖徳太子の功績として一本化された……。


 これならまだ納得が出来そうです。かなり現実的な解釈ですが、しかし、僕は違うと考えます。そうした、数々の業績は、やっぱり聖徳太子の業績だと考えます。ただ、一人ではなく、チームで成し遂げたとは思いますが……。


 僕は過去にカフェを開業したことがあります。結構、有名なカフェでした。当時、食べログのサービスが始まったばかりだったのですが、その食べログが集計する大阪のカフェランキングで18位になったことがあります。上位は大手資本のカフェが独占しており、個人店では僕が最高位でした。フルーツを使った特殊なカフェだったんですが、テレビの宣伝もあり人気店になります。ただ、僕の力不足で二年弱で廃業に追い込まれました。打ち上げ花火の様なカフェです。


 ただ、この時に経験したことは、中心者の重要性です。烏合の衆という言葉があります。どんなに力があっても志がなければ、事をなすことは出来ません。どれだけ多くの人が集まってもです。オーケストラに指揮者がいるように、競技に監督がいるように、燃え滾るような熱量を持ち、周りを巻き込んでしまう中心者の存在は重要です。


 日本の礎を作ったあの時代、あれだけの偉業を成し遂げるなら、逆に、強い志を持ったリーダーは不可欠だと考えます。歴史を振り返ると、そうしたヒーロー的な人物は、必ず存在してきました。キリストにしても、釈迦にしても、そうです。多くの人々に影響を与える人物だったからこそ、時代を超えてその業績が語られるのです。聖徳太子不在説を唱える学者は、そうした人間の性を理解できていないと思います。


 ――そうした時代に、なぜ仏教だったのか?


 僕は、その事に関心があります。従来的な、神を奉る信仰の世界に突如として現れた仏教。僕が、書こうとしている物語は、思想の衝突を描きたい。カルチャーショックを表現したい。まだまだ時間が掛かります。


 聖徳太子の物語を書く前に、一本推理小説を書きたいと思っています。折角なので、僕が勉強している、歴史を混ぜるつもりです。祇園祭をベースにした推理小説を生み出せたら良いなと、今は考えています。では、また。

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