墓守りの腕時計

尾八原ジュージ

墓守の腕時計

 欧州で貧乏旅行をしたとき、Mという小国を訪れた。精密機器の生産で知られ、特に時計のメーカーが多い。

「俺のも国内産さ。じいさんからもらったんだ」

 パブで仲良くなった中年の男は、英語と現地語のちゃんぽんで僕にそう教えてくれた。彼はシンプルな文字盤の、年季の入った腕時計をつけていた。

「俺の家は代々墓守でな。墓守にはいい時計が必要だ」

「どうして?」

 僕が尋ねると、墓守の男はニッと笑った。「知りたきゃ一晩泊まりにおいで、日本のあんちゃん」

 不用心と思われるだろうが、当時は度々こういうことをやった。ホイホイついていった墓守の家は歴史のありそうな一軒家で、裏手には墓地が広がっていた。時刻は夜九時過ぎ、墓石が建ち並ぶさまはなかなか壮観だった。見惚れていると、墓守は「早く入れ」と僕を促した。

 広い家だが、一人暮らしなのだという。

「嫁が出てったからな。俺が死んだら、教会がよそから別の墓守を連れてくるのさ」

 そこまでしても墓守というものは必要らしい。

 墓守は気さくで話好きだった。ビールを飲みながら話し込んでいると、そのうち彼が腕時計をちらりと見た。

「おっと零時だ。しばらく静かにな」

 そのとき、玄関の扉がコツコツとノックされた。

 こんな時間に来客だろうか。墓守は応答せず、棚から台帳のようなものを取り出した。またノックの音がして、しゃがれた男の声が続いた。

「エンリ・ホージャンはいるかい」

 その途端、全身に鳥肌が立った。わけもなく恐怖を覚えた。

 墓守は台帳をめくると、「まだだよぉ」と大声で返した。ドアの外は静かになった。

 それからほぼ五分おきにドアがノックされた。墓守は「絶対に返事するなよ」と僕に忠告し、淡々と応答した。「まだだよぉ」というときもあれば「三区を入ってすぐ」などと答えることもあった。

 来客は一時を過ぎるとはたと途切れた。

「これが墓守の仕事さ」

 墓守は腕時計を見ながら言った。

「何が表に来てたんだ?」

「さぁ、見たことないから知らんな」

 彼はテレビを点け、深夜放送を見て腕時計が合っているか確かめる。

「夜中の零時から一時までの客には、必ずこうやって答えるんだ。うっかり外に出て応対しないために、墓守はいい時計をつけるのさ。その昔時計をつけなかった上、『お前のお袋さんが危篤だ』と言われて、零時五十九分に外に出た男がいた。彼は翌朝、墓の中の井戸に浮いていたよ」

 まぁ俺の親父だがねと付け加えて、墓守は寂しそうに酒瓶を傾けた。

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墓守りの腕時計 尾八原ジュージ @zi-yon

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