第2話⁂戦国三英傑⁂



 学業優秀にしてスポ-ツ万能の超イケメン碧君が、部活のサッカー部に行こうと校舎を横切り急いでいると、誰かが”ボ~ン”とぶつかって来た。それは、ド近眼の冴えない女の子莉子が、ぶつかって来たのだった。


「アッ大丈夫?」


「大丈夫です。あっ!ごめんなさい。私、ド近眼なもので……うっかりメガネがズレて周りが……分からなかったのです。すみません。失礼します」


 つれなくされた莉子に対して……何かしら……不思議な……興味が湧いてきた。


(この俺様があんなブスに袖にされるとは?プライドが許さない)その理由を解き明かしたい? 

 そんなある日、とうとう莉子を発見することが出来た。青信号に変わったので莉子が信号を渡っていると、車が勢いよく右折して来た。


「あっ!アブナイ!」

 碧君は、咄嗟に目の前の莉子を助けようと駆け込んだ。



キキキ————————ッ❕ボッカン///〷グッシャン//〷バリバリバリ〷∥ド—————ン


 もわん もわん もわん もわん もわん  もわん 


「こっこれは一体?」



 ⁂

 気が付くとそこは、何と……戦国時代の安土桃山時代。


 世にも有名な天下人「豊臣秀吉」の時代に転生してしまった。


 あっ!すんませ~ん🙇🙇🙇厳密には、安土桃山時代は、日本の歴史において、織田信長と豊臣秀吉が中央政権を握っていた時代で始期と終期に分けられる。

 


 この時期とっくに織田信長は本能寺の変であの世に召されていた。アーメン👼

 二人の名前を取って、織豊時代(しょくほうじだい)ともいう。


 そして…豊臣秀吉も命の危機に瀕していた。




「エエエエエエ————ッ!一体どういう事?それから……あの冴えない瓶底メガネの女子はどこ?」



◆▽◆

 アア……それでも…題名の『碧と莉子⚔戦国三英傑』とあるように、この戦国三英傑を紐解いていかねばならない。


 それではこの戦国三英傑とは一体何?


 簡単に言えば戦国時代に、天下統一を目指した戦国武将「織田信長」、「豊臣秀吉」、「徳川家康」のことだ。


 この戦国三英傑「織田信長」、「豊臣秀吉」、「徳川家康」どういう訳か?そろいにそろって愛知県出身である。


 世界が誇る「トヨタ」でも分かるように、愛知県は何かしら……?人を動かす能力が備わっているのかも知れない。


 てか?それと同時に、とんだ大うつけだ!サルだ!お調子者だ!腹黒だ?と、散々揶揄されがちだが……実際のところは?



 それでは誰もが知る戦国三英傑の人物像を簡単に復習しよう。

 

 ※織田信長「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」信長は短気ではげしい気性と言われ戦国時代を駆け抜けた風雲児。後に天下人となった信長は、その卓越したカリスマ性と行動力で、まさに、戦国時代のヒーロー。

 

 不思議と人を惹きつける魅力がある信長だが、実は「尾張の大うつけ」と言われていた事は有名だ。また…その突拍子も無い言動から、注意欠陥多動性障がい(ADHD)だったのではとも言われている。

 

 そして…がまん強い努力家の一面もあり、信長がまだ一〇代の頃ふつうよりも長い槍をつくり、新しい戦法を発明した天才だと言われている。

 

 大うつけの一面もあった信長だが、寝る時間や食べる時間をおしんで研究し、この長い槍の戦法を完成させている。だから…信長はとてもまじめで、研究熱心な一面も併せ持っていた。


 

 ※豊臣秀吉「鳴かぬなら鳴かせてみようホトトギス」秀吉は工夫をこらすタイプ。すべて計算!? 秀吉は「人たらし」と言われて久しい。

 ホトトギスが鳴かないのであれば、ホトトギスが鳴くまで粘り強くあれこれ手を尽くし、鳴いてもらえるように試行錯誤を行うのが秀吉。

 

 こんな逸話が残されている。織田家につかえていた秀吉は、敵の武将を味方につけることに成功したのだが、信長は、その武将を殺してしまえと命じた。だが、秀吉は武将に「すぐに逃げられよ」といい、刀を捨てて「いざという時は自分を人質にするよう」申し出た。

「武将は感激してわしの評判を広めるだろう」と考えて、逃がしたのだ。

 このように全てにおいて深い計算ずくで動いている人物なのだ。だから、秀吉の人の良さは、深い「計算」にもとづいていた。



 ※徳川家康「鳴かぬなら鳴くまでまとうホトトギス」家康はがまん強い性格だったと言われているが、実は…家康は「短気」だった?本当にそうだろうか?

 

 家康は不利な状況になったときには戦おうとせず、停戦を行ない、人質を差し出す形で戦いを止めて、逆に、千載一遇のチャンスの時には果敢に攻め入っていた。


 家康は六歳の時に人質として今川家へ送られた。それなのに家康は、人質とはいえ取り立ててもらった今川氏を裏切り、織田氏についている。それは「強き者に逆らわない」ということである。家康は戦国時代を生き残るにあたり、「強き者に逆らわない」そのことを徹底した。

 家康は信長との同盟を実に二十年以上も守り、信長が死ぬまで逆らうことはなかったのである。

 今川氏で長く人質生活を送っていた家康だったが、桶狭間の戦いで今川義元が敗れたことを機に、今川氏を見限って岡崎城で独立。織田氏に接近して、その勢力を伸ばしていく。

 そんななか、家康は信長との同盟を守り続けた。それも当初こそは対等な同盟だったが、家康は過酷な役割を背負わされて、次々と信長から難題を課せられたが信長が死ぬまで逆わず辛抱した。こんな布石が有ったからこそ盤石な徳川幕府を約二六〇年間も築くことが出来たのだった。



 ◆▽◆

 それでは安土桃山時代に転生した碧はどうなったのか?


 天下統一を果たした秀吉。しかし、秀吉は「新たな戦い」海の向こうの朝鮮半島へと。

 

 私たちが「文禄・慶長の役」と呼ぶこの戦いは(1598年)の太閤豊臣秀吉の死をもって日本軍の撤退で「慶長の役」は終結していた。


 

 その、数年前「文禄の役」実は…碧はどういう訳か、朝鮮半島に転生していた

 その時に、朝鮮から撤退を余儀なくされていた豊臣の家臣たちは驚愕の光景を目にする。


 それは…な~んか見たこともない、へんちくりんな格好をした若造が、流暢な朝鮮語をペラペラ操り、更には英語にポルトガル語にスペイン語にとびっくり仰天?


「一体誰~?あの天才坊主?」


 碧は学業優秀にして母国語、英語、スペイン語、韓国語を自由に操ることが出来る天才男子だった。

 朝鮮にいる宣教師とポルトガル語でペラペラ、朝鮮人と韓国語でペラペラ、更には豊臣の家臣たちと日本語でペラペラ。


 これを見た戦争の残党のボスでかなりの地位の武将が、陰に隠れてこっそり聞き耳を立てている。


「文禄の役」で朝鮮語を話せる兵士が全滅していた。

 そこで……帰還する為にも何とか近付いて、帰還の準備に備えようと話しかけた。


「チョット通訳を頼む!みんな死んでしまって帰れない。敵国の朝鮮人には聞けないので、宣教師にこっそり朝鮮人に見つからないように、帰還できる道順を教えてくれるように頼んでくれ!」


 すると…宣教師にペラペラポルトガル語で話しかけ、やっとのこと帰還することが出来た。


 こうしてケッタイな日本人碧は、時の「関白」豊臣秀吉に取りたてられ、結構な地位に祭り上げられ研究者となり、秀吉の策略でとんでもないクロ―ン作りに着手する事になる。


 そして…とんでもない事態が勃発する事になる。


 さあ~!とんでもない異世界転生の始まり~!始まり~!















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