第19話 最終回

「さあ、履いてみて」


 真っ赤なトウシューズを、木藤リオンが花にかざす。


「わ、わたしが?」

「そうだよ。君のトウシューズだろ?」

「で、でも」

 それを知っていたなら、なぜ、選抜試験のときに渡してくれなかったの?

 訴えるような目を、木藤リオンに向けてしまう。


「君の踊りをもう一度見たいと、ずっと思っていたんだよ」

 おだやかな声で、木藤リオンは続けた。

「だけど、君は真っ赤なトウシューズを忘れたまま、どこかへ行ってしまった。選抜試験でーー」

 遠い目になる。

「君を見たときはびっくりしたよ。そして、片足だけのトウシューズで躍るのを見て、さらに驚かされた」


 やっぱり、片足だけのトウシューズで踊ったのは不合格だと、木藤リオンも思い直したのかもしれない。

 選抜試験では選ばれたが、伊集院さやかの訴えで、取り消されたのだろう。

 だから、両足に履いて踊れるかどうか、こうやって試しに来たのだ。


「すみません、片方だけの靴で踊ってしまって」

 すると、木藤リオンははっきりと首を振った。

「僕はそうは思わないよ。踊りは一瞬一瞬がすべてなんだ。あのときのすばらしさは、あのときだけのものだと思う。それは、もしかしたら、片方だけの靴で踊ったからかもしれないし」

「ほかの応募者の方からの意見も、聞き流すわけには」

 横から、スタッフの一人が言った。

「わかってる。だから、ここに来たんだ」


 選抜試験で、花は、番号で呼ばれた。雅子先生がくれた番号だ。だから、名前も住所も木藤リオン側は知らないはず。

 それなのに、どうしてここがわかったんだろう。


 木藤リオンがおだやかな笑顔になって、答えてくれた。

「いくつもバレエ団を尋ねたんだ。片方の真っ赤なトウシューズを持っているダンサーを探してね。それで、ようやくここにたどり着いたってわけだ」


 わたしを探してくれた……。


 胸がいっぱいで、花は何も言えない。

 黙ったまま、背中のリュックサックから、赤いトウシューズを取り出した。


「踊ってくれるね。君が両足にトウシューズを履いて完璧に踊ってみせてくれたら、君の優勝は揺るがない」

 そして、木藤リオンは、厳しい口調になった。

「もう、誰にも意義を挟ませない」

 

 花は深くうなずいた。


 スタッフが、もう片方のトウシューズを真央のところに取りに行く。

 呆然と、双子はスタッフに靴を渡している。


「何を躍る?」

 木藤リオンが花に尋ねた。

「キトリ、三幕のバリエーションを」


 スタッフが美佐子さんに、音楽の用意を頼んだ。

 美佐子さんが、渋々といった表情で音楽の準備を始めた。


 花はトウシューズを履いた。


 ぴったりくる。吸い付くように、まるで、何も履いていないかのように。


 花は、スタジオの端に立った。


 スっと、扇が花の前に投げ出された。

 このバリエーションを躍るためには欠かせない小道具だ。


 誰が投げてくれたんだろう。


 雅子先生かもしれない。


 花は思った。そして、心の中で呟く。

「ありがとうございます」



 花は、しっかりと顔を上げた。


 わたしの最高の舞台にしてみせる。

 何百人もの観客はいないけれど、床も鏡も申し分ない。なぜなら、花が、バレエのために、毎日磨いた場所なのだから。


 音楽が鳴り始めた。ハープの軽やかな音。


 花はスタジオの中央に走り、そして決めた。


 完璧なアチチュード。


 花は存分に踊った。 


  ー終わりー


 長い間、つたない作品を読んでいただきありがとうございました。

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バレリーナ・花 popurinn @popurinn

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