第10話 選抜試験会場
土曜日の渋谷は人で溢れていた。
選抜試験会場は、松濤のスタジオ。バレエ団のスタジオではない。木藤リオンが個人的に借りているのかもしれない。
ネットでは、木藤リオンがGバレエ団から独立し、そのために借りているスタジオなのではないかと噂されている。
それがほんとうなら、Gバレエ団にとってはかなりの痛手だろう。
木藤リオンは、今、日本で最も期待されているダンサーなのだから。
人にぶつからないよう注意しながら、花はスクランブル交差点を渡り、センター街を通り抜けた。
人の流れが落ち着いて、気づいてみると、まわりは閑静な住宅街になっていた。スマホを開いて、スタジオの住所を確かめる。
だいじょうぶ。近くまで来ている。
そう思ったとき、横を通り過ぎた少女がいた。お団子にひっつめた髪型の、多分、花と同い年くらいの少女。肩から大きなバッグを下げ、足早に進んでいく。
彼女も受けるんだ。
髪型も、歩き方も、バレエダンサーそのものだ。
瞬く間に通り過ぎる少女の後ろ姿を見つめながら、花はくじけそうになる気持ちを抑えた。
今日は受けられないけれど、いつかきっと。
少女は迷いなく進み、緑に覆われた邸宅の隣を曲がった。
花も続けて曲がる。
四階立てのレンガ造りの高級そうなマンションが見えてきた。マンションの前の、何人もの少女が集まっている。
あそこだ。
花は少女たちの人数に足がすくんだ。
こんなにたくさんの応募者……。
玲奈が意地悪をして、応募用紙を捨ててくれたことを、感謝したくなった。応募していたら、玲奈たちが言うように恥をかいていたかもしれない。
「えー? フロリナにしたの?」
「子どもっぽくない?」
応募者の誰かの話が耳に入る。今日の選抜試験は、何を踊ってもいい。声の主は、
フロリナのバリエーションを躍るつもりなのだろう。
花の頬が火照った。
花も、フロリナのバリエーションを練習してきたのだ。
子どもっぽいと指摘した声が、耳に響く。
ほんとうに、玲奈が応募用紙を捨ててくれてよかった。
建物の中に入ると、スタジオはすぐにわかった。二階の廊下の突き当たりの部屋のようだ。ドアが開け放され、人が何人も行き来している。
さりげないふうを装って、花はドアの前を通り過ぎてみた。
スタジオが見えた。
大きな空間が広がっていた。想像していたよりもずっと広い。
ネットの噂はほんとうかもしれない。そう思った。ここなら、新しくバレエスタジオを開けるだろう。
全面鏡張りだった。
その前には、スタンド式のバーが数本並べられ、すでにストレッチをしれいるダンサーもいる。
ーーあ、あの人。
花は息をのんだ。
鏡越しにスタッフらしき女性たちと話をしている男性が見えたのだ。
ーーあの人は、コンクールの舞台袖で声をかけてくれた人だ。
そのとき、
「木藤さん、ピアニストの方に入ってもらっていいですか」
と、男性の声がした。
「お願いします」
返事をしたのは、花がコンクールの舞台袖で話をした人だった。
ということは、あの人が木藤リオン?
「三十分後に始めます!」
呆然と立ちすくむ花の横で、スタッフらしき女性が、声を上げた。
「応募者の方には、あらかじめ番号の振られた札が送られていると思います。その番号の順番に審査をします」
どよめきが起こった。
自分の番号を口にする者、バッグから出して確かめる者。一気にスタジオ前の廊下は緊張に包まれる。
花はそっと廊下を後ずさった。
ここは自分のいるところじゃない。
そう思った。
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