第11話 選抜試験会場 2

 スタジオから音楽が流れ始めた。くるみのワルツ。

 優しい旋律を背中で聞きながら、花は廊下を戻り始めた。


 選抜試験の様子を見てみたかったが、入口のドアはきっちり閉められてしまった。ドアには、関係者以外立ち入り禁止と札がかけられている。


 ばっかみたい。


 そのとき、花を呼ぶ声がした。


「花ちゃん!」


 萌だった。

 花の唯一のバレエ仲間。コンクールの楽屋で話した以来だ。


「花ちゃんも受けるの?」

「ううん」

 花は頭を振る。

「萌ちゃんは?」

「あたしは様子を見に来ただけ。木藤リオンの舞台にはまだまだ無理」

「あたしもそうよ。でも、見られないみたいね」

「そんなことないよ」


 そう言って、萌は花の腕を取った。

「こっち、こっち」

「どこへ行くの?」

 萌は廊下を戻っていく。

「あのね、受けなくても見学者はたくさんいるの。そういう人のために、あそこが開放されてるんだよ」

 

 萌の示した先には、建物の外側へ出るドアがあった。

 萌は勢いよくドアを開けた。

 瞬間、もわっとする外の熱気に包まれる。


「ベランダ?」

 花は目を丸くした。

「そう。ここから中を見学できるの」

 萌の言ったとおり、選抜試験が行われるスタジオのベランダが開放されていた。すでに数人が場所を陣取って、スタジオを覗いている。


「ごめんね、ちょっと通して」

 強引に、萌はベランダを進んでいった。広いスタジオだけあって。ベランダも広い。


 いちばん前の列に陣取った萌は、目を輝かせる。

「ここならよく見えるよ」

 萌の言うとおり、スタジオ内がくまなく見渡せた。踊り手だけではなく、スタジオの端に置かれたピアノも、そして、木藤リオンやほかのスタッフの動向もわかる。


「なんか、こっちまで緊張してくるぅ」

「うん」

 花も同感だった。出番を待つダンサーたちが、スタジオの隅で待っているのが見える。どの顔も緊張しているのがわかる。


「よし!」

 木藤リオンが手を叩くと、流れていた音楽が止められ、ピアノ奏者が奥のドアからスタジオに入ってきた。 

 スタップの女性が番号と名前を告げる。

 背の高い、ピンク色のレオタードの少女が立ち上がった。


 ピアノが鳴り始める。

 最初の応募者の踊りが始まった。


「うまいね、見て、あの脚」

 萌が声を上ずらせて言った。

 たしかに、かなりのテクニシャンだ。ステップが軽やかなのだ。

 次に出てきたダンサーは、目を見張るターンを披露した。身体の芯がしっかりしていて、ブレがない。

 次々と、応募者たちの踊りが続いていく。

 どのダンサーもすてきだ。

 

 やっぱり、あたしなんか無理だった。


 花はそう思わずにはいられなかったが。

「ねえ、花ちゃん、見て」

 萌の声に、花は顔を上げた。


「木藤リオンの表情。なんだか厳しい気がする」

 萌の言うとおり、木藤リオンは口をまっすぐに結んで、硬い表情をしている。

「気に入らないのかな」

「まさか。こんなうまい人ばっかりだもん。きっと迷ってるのよ」


「三十分の休憩を取ります」

 スタッフの声が響いた。

 前半戦が終わったのだ。


 なんか飲もうよ。そう萌に誘われて、花はベランダを後にした。ほかの見学者たちも、ぞろぞろとベランダを出て行く。

 廊下に戻ると、萌は自動販売機にジュースを買いに行った。花は水筒にお茶を持ってきたため、待つことにする。

 

 一階まで萌といっしょに階段を下り、花は階段で萌を待った。大抵の人はエレベーターを使うせいで、階段には人気(ひとけ)がない。

 ちょうどよかった。ここなら美佐子さんや双子にも、来ていることがバレないだろう。


 階段に腰掛けて、花はさっきまでの試験を思い返した。

 思い返すと、自然に身体が動き出す。

 アラベスク、アチチュード。

 ジゼルのバリエーションを踊ったダンサーよりも、自分のほうが高く足が上がるのが意外だった。

 音楽が耳に流れてくる。


 あたしなら、こんなふうに指先を使う。

 思い返したダンサーとは違う動きをした。そのほうが、次のパ(次の動き)につながりやすい気がする。


「そうよ、そのほうがいいわ」


 ふいに聞こえた声に、花は思わず動きを止めた。


「そのほうが村娘の嬉しい感じが出るわね」


 階段の踊り場に、人が立っている。小さなおばあさんだ。


「雅子先生?」


 花は足を下ろし、立ちすくんだ。

 








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