第6話 ダンサーたちの祭典
結果からいえば、玲奈と真央の双子は、両方とも優勝には届かなかった。
玲奈も真央も、よく踊れていた。だが、ライバルが強力だったのだ。
伊集院さやか。
フランス留学から戻ってきたばかりの、十五歳。しなやかな体型と抜群のバレエセンスで、審査員たちの賞賛を一人占めしたのだ。
「あの伊集院さやか。あいつさえいなかったら優勝できたのに!」
帰りの電車の中で、真央は半泣きになり、玲奈は、
「審査員に見る目がないのよ」
と、悔しがった。
ううん、技術もセンスも、伊集院さやかさんは、すごい。
もっともっと練習しなきゃ、双子は彼女を追い抜けない。
花はそう思ったが、もちろん、口には出さなかった。そんなことを言ったら、二人は烈火の如く怒るだろうし、横で聞いている美佐子さんも黙ってはいない。
美佐子さんも、双子と同意見だからだ。
「ほんと、どうかしているわ、今日の審査員。多分、Gバレエの息がかかっているのね」
Gバレエというのは、ここ十年ほど前から、めきめきと団員を増やしているバレエ団だ。イギリスの有名バレエ団でプリンシバル(主役)をつとめたダンサーが開いた。今では日本を代表するバレエ団となっている。
伊集院さやかは、フランスから日本に戻ると、すぐにGバレエに入団した。留学するまでは、仙台で小さなバレエ教室で踊っていたらしいが、フランスでのジュニア公演に出演したさやかを、Gバレエの代表が目に留めた。
「次は絶対、負けないわ!」
玲奈が言うと、真央も、
「わたしだって!」
と、返す。双子は揃って負けず嫌い。
美佐子さんが、二人をなだめた。
「しばらくコンクールはないから、二人共少し休んだほうがいいわ。その間に基礎練習を積んで、来年にそなえましょう」
途端に、二人から悲鳴が上がった。
「基礎練習なんか、嫌よ!」
と真央。
「そうよ。わたしたち、もっとテクニックを磨くべきなんだから!」
「そうよ。そのためには、基礎練習が大切なの」
美佐子さんは意地悪でほんとうに嫌な継母だが、バレエに関しては、嘘は言わないと花は思う。
バレエこそ、基礎練習が大切。
これは、花の父親も常々口にしていたことだ。
バーレッスンがすべて。
父はそうも言っていた。
思わず横でうなずいてしまった花を、真央がすかさず目に留めた。
「なに? あんたなんかにバレエがわかるっての?」
「そ、そういうわけじゃ」
花はしどろもどろになって、うつむいた。
「ただ、基礎練習は大切だって、父が」
「パパの話なんか、しないで!」
玲奈が叫んだ。
「死んじゃってさびしいのは、あんただけだと思ってるんでしょ? ほんとの娘は自分だけだと、心の中でわたしたちのことを笑ってるのね」
「ち、ちがうわ」
「生意気!」
死んだ父親のほんとうの娘であるのは花だけだということが、双子は気に入らないのだ。
二人の憎しみの底には、いつもその感情があるらしい。
花は言葉を継ごうとして、やめた。
何を言っても事実は変わらない。父親からたっぷりと愛情を注がれたのは、花だけなのだ。
「さあ、降りましょう」
美佐子さんの声に、花は顔を上げた。
電車はいつもの駅に着いていた。
コンクールが終わると、普段の生活が戻ってきた。双子たちには学校と毎日のレッスン。花には、学校と家事。
玲奈と真央は、レッスンをさぼりがちになった。優勝できなかったせいで、やる気を削がれてしまったようだ。
花は相変わらず、家の家事とスタジオの雑用に明け暮れていた。学校の宿題を終え、家事を済ませ、美佐子さんが教えているクラスのためのスタジオの準備と清掃。
毎日、目の回るような忙しさだった。
それでも、ほんの少しの時間を見つけて、花は自主練をかかさなかった。
バーがなくたって、練習はできる。
スタジオの床がなくたって、躍る場所はある。
花はそう思っている。
学校帰りの公園の、鉄棒が花のバーだ。
ショッピングモールの駐車場の空きスペースが、花の舞台だ。
今、花は、グランフェッテの練習を繰り返している。
いつかまた、雅子先生に会ったら。
そのとき、最高のグランフェッテを見てもらうために、花は練習を繰り返す。
花は、雅子先生がくれた赤いトウシューズを大切に保管している。美佐子さんや双子に見つからない場所に隠している。
もう一度雅子先生に会えたら、片方を失くしてしまったことを、謝らなくてはと思う。そのお詫びに、すばらしいグランフェッテを披露したい。
半月が過ぎた。
双子は目に見えて、技術が落ちている。バレエというのは、ほんの一日でも休むと体に変化が訪れるのだ。
だが、美佐子さんは、何も言わなかった。美佐子さんは、コンクールでの双子の評価を本気で疑っているようだ。
だが、そんな親子を奮い立たせるニュースが入った。
「バレエの祭典?」
双子は叫んで喜んだ。
「そうなの。Gバレエのプリンシバルの、木藤リオン。あの人が新しいダンサーを発掘するために、新人ダンサーを集めて公演を開くことになったのよ」
夕食時、美佐子さんが双子に話すのを、三人の給仕をしながら、花も聞いた。
「Gバレエ以外のダンサーも出演できるの?」
サラダを頬張る手を置いて、玲奈がきいた。
「そうよ。選抜試験があるらしいんだけど」
「出る、出るわ!」
真央が叫んだ。
「二人なら選抜試験には悠々合格よ。ただ、応募資格は、ないの。だから、バレエ団に属してないダンサーも応募してくるわ」
ガシャン。
思わず花は、手にしていた汚れた皿を落としてしまった。
「何、ぼやっとしてるの?」
美佐子さんの厳しい声が飛んできた。
「ご、ごめんなさい」
「まったく、ドジなんだから」
玲奈が言ったが、それ以上は悪態をついてこなかった。バレエの祭典のニュースに、今は花をあざけるる余裕がないようだ。
花は陶器の破片を拾いながら、高鳴る鼓動を抑えるるのに必死だった。
美佐子さんは、言った。『バレエ団に属していないダンサーにも資格がある』と。
それなら。
「応募してきたダンサーの中から、木藤リオンの相手役を決めるらしいわ」
キャーッと、双子は嬉しそうに叫んだ。
「わたし、わたしがなる」
「ううん、わたしよ!」
双子は食べるのも忘れて喜んでいる。Gバレエの木藤リオンというダンサーは、よほど有名なのだろう。花は名前しか知らなかった。だが、もし、応募できれば、木藤リオンに踊りを見せられるのだ。
花は集めた皿の破片をゴミ箱に入れながら、
「今から二週間後ね」
そう言う美佐子さんの声を耳に刻みつけた。
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