第14話

 上下ジャージ姿の若者は、川上達矢と名乗った。生前父に世話になったとかで、線香のひとつでもあげさせてもらおうと立ち寄ったもので、まさか裕子がいるとはおもわず、突然障子を開けてしまってすいませんでしたと謝った。


 川上は、線香をあげにきたついでに、ちゃっかり裕子と遅い朝食をともにしていた。線香をあげている最中に川上の腹が鳴ったので、母が何か食べていきますかと誘ったら、川上は満面の笑みでいたのだった。


 ひとり言を聞かれたかしら、そう思い、自分もトーストをかじりながら裕子は川上をそれとなくさぐったが、川上の裕子に対する態度に特に変わったところはなかった。


「うわっ苦っ」

「あら、マーマレードはちょっと苦味があるくらいがおいしいのよ」

「俺はこっちがいいです」

 川上はイチゴジャムをたっぷりとトーストに乗せ、大きな一口でかぶりついた。


「ん、うまいっす」

「そう? お父さんもマーマレードは苦手で、イチゴジャム一辺倒だったわ」

 イチゴジャムもマーマレードも、母の手作りだ。父はマーマレードには決して手をつけず、消費するのはもっぱら母と裕子、妹の典子だけだった。


「N町にいたとき、お父さん、何を食べていたのかしら」

 母は川上に、父のF県滞在時の様子を聞いていた。


 天候不順のため、救援物資などが空輸できず、かわりに陸路で薬を運んだドラックの運転手がいるとは、裕子も知っていた。テレビや新聞でも報道され、一部ワイドショーでは顔も紹介されていた。それが川上達矢だった。金髪で、腕には花をあしらったかのようなカラフルなタトゥーがほどこされている。見た目はとっつきにくそうな川上だったが、母の用意した朝食にかぶりつく姿は、小学生の男の子が母親に甘やかされているようにもみえた。


 父の日記に登場する“タッチャン”こと川上達矢に、母は自分が知らない父の最後の様子をたずねていた。


「コンビニのパンとか、インスタントとかかな。センセー、毎日患者さんに付きっ切りで、ろくに食事なんかしてなかったです」


「いやね、だから男の人はひとりにできないのよ。ついていけばよかったかしら」

「お母さんが一緒にいったって、何の役にもたたなかったわよ」


 と裕子は吐き捨てた。看護師でもない母がついていったって病人の面倒がみれるわけでもないし、父の足手まといになっただけだとおもったが、さすがにそうは言わずにおいた。


「そんなことないっスよ。奥さんには奥さんにできたことがあったとおもうっス」

 それまで無邪気な顔でトーストをほおばっていた川上が、神妙な顔つきで言った。


「槙原のセンセーみたいに直接病人の世話ができたわけじゃねえ。けど、俺、あそこにいって、すっげえ感謝された。俺はただのトラック運転手で、トラックの運転しかできねえけど、トラック運転して、薬運んだってだけで、人の役にたてたっス」


 球里熱の発生地域であるF県へ足を踏み入れるのを、誰もが二の足を踏んだ。父は自らそこへ赴き、川上も飛び込んでいった。


 父や川上を英雄視する一方で世間は非情だ。父は英雄のまま死んでいったが、感染しなかった川上だというのに、感染地域にいたというだけで彼は今、ウイルスをF県外に撒き散らしている人間のように扱われている。その証拠に、テレビのインタビューはすべて電話で行われていた。直接彼と対面しようという人間はいないのである。

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