第15話

「何でN町なんかに行ったの?」

「なんでって、トラックの運転ができるからッス。荷物を運ぶ場所があったらどこへでもいくッス」


 川上は、むしろ自分が裕子に、何でトラック運転手として当たり前の行動をとった理由を知りたいのかと聞きたそうな表情を浮かべていた。


 普段なら、裕子も、トラックの運転手をしている人間に「何で物を運ぶのだ?」というバカげた質問はしない。だが、川上がむかった先は、怖ろしい伝染病の発生している地域で、いくら仕事があるとはいえ、普通は行きたがらない場所である。


 医者の父が感染地域へ赴いたのは職業柄そうせざるを得なかったのだが、行かなくてもいい場所に、なぜ川上はわざわざむかったというのか。


「怖いとか思わなかったの?」

「思ったッスよ。でも、テレビで、『若いモンに行かせられない』、『自分は子どもが成人しているくらいの年だから死んでも誰が困るわけじゃない』、ってセンセーが言って医療チームに志願したって聞いてさ。それじゃ、俺も行くかって。俺、ヨメさんもガキもいねーし、センセーとおんなじで、別に俺が死んで困る人間はいねえから。どうせ死ぬなら、人さまの役にたって死にたいって思ったんスよね」


 川上は肩をすくめて笑った。笑うと右頬にえくぼが出来る。二十歳は超えているのだろうが、笑顔は子どものように幼かった。


 川上が不足していた薬などを運びこんだおかげで死なないですんだ人たちがいるとは、裕子も知っている。自分の命を顧みない立派な行動だとおもう一方で、あまりにも軽はずみすぎやしないかと、裕子は腹がたった。と同時に、川上に軽はずみな行動をさせたという父の言動にも腹がたった。


「死んで誰も困らないって、どうして言えるのよ。親とか、友だちとか、悲しむ人がいるって考えなかったの? お父さんもお父さんよ。確かに私も典子も、自分の力で生きていけるけど、お母さんはどうなの? お母さんが悲しむって思わなかったのかしら! お母さんと旅行三昧の老後をおくるんだって言ってたくせに、かっこつけて医療チームに志願したりして、あげくに死んじゃって。ひとり残されるお母さんのことは何も考えないで、ほんと、お父さん、バカっ! お父さんの言うことを間に受けるなんて、どうかしてるわよ!」


 母にたしなめられなかったら、裕子は拭いきれない不満を、いつまででも川上にぶつけ続けていただろう。だが、当の川上はトースト片手に「俺、友だち、いないっスから」と、裕子の“口撃”を相手にしていなかった。


「今日は、お仕事は?」

 その場のまずい空気をとりつくろうと、母がすかさず話題を変えた。


「休みッス。もうずーっと休み」

 川上はケタケタと笑った。

「会社に黙って行ったんで、クビになったッス」


 というのは建前で、本当は感染地帯にいた川上が職場に戻ってくるのが怖くてクビにしたんだろう ― そう推測するだけで、裕子の気分は悪くなった。


「これからどうなさるの?」

「仕事さがします」

「運転手のお仕事?」

「それしかできないッス」

「そんな簡単に仕事なんかみつかんないわよっ!」


 それまで黙って、母と川上のやりとりを聞いていた裕子が突然叫んだ。クビになったのと同じ理由で川上を迎えようという会社などありはしない。楽観的な川上にも、そして世間知らずで能天気な母にも腹がたった。


「そうッスかね」

 裕子の失礼な物の言い方にも、川上は笑顔でいた。


 なんでそんなに明るい未来を信じられるのか ― バカじゃないの。

 腹立たしいのと同時に、裕子は自分もバカになれたらいいのにと、今度は自分に腹がたった。


 球里熱のことも、球里熱をとりまくすべての事柄も何もかも外において、水島と一緒になろうと行動できたなら……


「そうよ!」

 こみ上げてくる涙を見られまいと、裕子は席をたち、自分の部屋へとかけこんだ。

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