第8話
突然、診察室におしかけてきた見知らぬ青年に言われるまでもなく、水島隆也は槙原裕子との結婚を真剣に考えていた。
裕子が女子大に通う学生の時に、知人を通して知り合ってから10年、裕子は29歳、水島は35歳になった。初対面の印象は、可憐な人だなあというものだった。薄化粧の下の肌は頬紅をささなくても赤味を帯び、はつらつとして生命力にあふれていた。それから10年、風に静かにそよぐだけだった花は、今が盛りと咲き誇る。
4年前、結婚をほのめかすような裕子の態度に、当時身を固める覚悟ができていなかった水島は、別れを決意した。だが、はっきりと別れたわけでもなく、2か月ほど疎遠になっただけで、結局また元の鞘に戻り、以来、だらだらとした付き合いが続いていた。
病院の勤めが決まり、自分の行く道が見えてきたところで、ようやく結婚しようかという気になった。その気になってみて、はじめて水島は自分の気持ちに気付いた。初めて会った日から、心のどこかで人生を共にする女性は裕子のような女性がいいとおもっていた。華やかな人に心奪われたことは否定しない。だが、地味な1日を重ねていく生活をともにするのは、平凡な裕子のような女性がいい。
にも関わらず、結婚が遅れたのは順番にこだわったからだった。生活基盤を築いてからでないと結婚してはいけないような思いにとらわれ、そんな男としてのプライドを裕子に打ち明けられるはずもなく、気持ちがすれ違った時期もある。
結婚しようと決めたその日のうちに、水島は指輪を買った。クリスマスに渡そうとしたが、水島の都合で当日のデートはキャンセルになり、指輪は渡しそびれ、当然プロポーズもし損ねてしまった。
7月の裕子の誕生日にでもと思っていた矢先、父親の槙原のF県行き、そして死去という不幸が重なってしまった。次のクリスマスを待つか、と思っていたところに、あの青年が現れた。
年は23、4ぐらいだろうか。水島より年下なのは間違いなく、裕子よりも若いだろう。目鼻立ちの整った好青年で、モデルでもできそうな背の高い男だった。裕子の知り合いらしい口のきき方をして、水島は裕子と青年の関係を疑問に思った。
青年は、裕子をどうするつもりだと迫った。自問してきたことを他人の口から聞かされ、正直腹がたった。と同時に、まるで裕子の父親にでも説教されたかのような気分にもなった。
もし槙原が生きていたら、同じことを言っただろうと水島は思った。槙原は行動力の人だった。10年も付き合っておきながら結婚するのかしないのか、はっきりしない娘の恋人―自分が槙原の立場だったら、職場でもどこへでも怒鳴り込んでいくかもしれない。青年は裕子の身内か、ひょっとしたら裕子に頼まれたのかもしれない。だが、そんなことは水島にはどうでもよかった。気持ちは半年以上前に固まっている。水島はプロポーズを決心した。
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