第7話

「プロポーズの言葉って何だろな、やっぱ、『味噌汁作ってくれ』とかか?」

「いつの時代の話だよ、それ。そんなこと言おうものなら、『私は家政婦じゃない』って言われて断られるよ」


 スメラギと美月は事務所の近所の焼き鳥屋で一足早い祝杯をあげていた。


美月の体を借りた槙原の霊が、娘、裕子をどうするつもりかと怒鳴り込んでから一週間後の今夜、裕子の恋人である水島は、裕子を食事に誘った。誕生日でも何でもない日に夜景の美しい展望レストランを予約したとあって、水島はいよいよプロポーズをするのだとスメラギたちは浮き足だち、自分たちは焼酎で一杯やることにした。


「じゃあ、お前なら何てプロポーズすんだよ」

「何も。結婚しないつもりだから」

「あー? んだとぉー? ま、オメーはモテるから結婚しねーほうがいいかもな。浮気ばっかで、女も気が楽じゃねえだろーし」


 スメラギは早くも酔いがまわってきたようで、目の周りがほんのり赤らんでいる。酒の強い美月は白い顔で淡々と焼酎を飲み続けている。


「で、おっさんは何て言ったんだ?」


 スメラギはカウンター席の隣に座っている槙原に尋ねた。誰もいないはずの場所にむかって話しかけるスメラギを客が不思議そうな目で見たが、すかさず美月が「酔ってるんで」と言ってごまかした。


「私? 私らは見合いだったから、プロポーズも何も、結婚するのが前提の付き合いでね。お互い気に入ってそれなりに時間が経てば、結婚するのが当然だったからねえ」


「でもさ、なんか言っただろ?」

「何を?」

「だからさ、プロポーズ。結婚してくれとか、しましょうとか」

「言った、かなあ……覚えてないねえ」


 照れ隠しに、槙原は灰色の頭を掻いてみせた。


 娘は今頃どんな顔で、水島のプロポーズを受けているのか。槙原は、結婚の意志を伝えた時の妻、好江を思い出していた。好江は「はい」と語尾が聞き取れないようなか細い声で答え、小さくうなずいたのだった。もう30年も前のことだ。


「何だよ、スギさん。やけにプロポーズにこだわるんだな。結婚したい相手でもいるのかい?」


「“いた”が正しいな。あれだよ、家に帰ったら飯が出てきて、風呂が沸いてて、服は洗濯してあるは、布団は干してあるは、ってサイコーじゃね?」


「だからさ、それじゃ奥さんじゃなくて、家政婦扱いじゃないか」


 スメラギが寝起きするアパートの六畳一間は菌類の天国となっていそうな万年床が占領、冷蔵庫には飲み物ぐらいしかなく、食事はコンビニかインスタント、よくて近くの食堂といった具合で、美月の母親が生きていたころは何かと手料理を持っていかされたものだった。


 スメラギの母親は、スメラギが11歳の時に亡くなった。以来、離婚した父に引き取られての男だけの生活で、二十歳のときに父親はスメラギを置いて家を出て行ってしまった。


今のアパートをみつけるまで、スメラギは一時美月の家に居候していた。その頃には美月の母もまだ生きており、朝昼晩、あたたかいものはあたたかいままで、冷たいものは冷やされた手料理が食卓にのぼったものだった。おもえば、スメラギが家庭らしい場にいたのはあの一時だけだったのかもしれない。


 それにしても、結婚したいと思った相手が“いた”とは何だ。


 美月は、すっかり酔っ払って横にいるのであろう槙原相手にくだを巻いているスメラギの真っ赤な横顔をみつめた。


 中学時代、スメラギが2つ年上の先輩と付き合っていたことは美月も知っている。実は彼女は美月が好きで、美月と仲のいいスメラギを利用していたというお粗末な結末が待っていて、少しの間、スメラギと美月は気まずかったのだが、あれ以来、美月はスメラギが誰かと付き合っているだとかそういう浮いた話を聞かない。


 もともと、その手の話は2人の間であまり交わされず、スメラギは絶対に自分の女性関係については語らないのに、美月の派手な女性関係については、どこからか情報を仕入れては、美月をからかった。


「味噌汁ぐらい、僕が作ってやる。その調子じゃ、スギさん、明日は味噌汁がいるだろうから! 知ってるか、味噌汁は二日酔いに効くんだ。えっと、たしか、シジミの味噌汁だったっけか?」


 自分も酔ってきたと、美月は回らなくなってきた頭で考えていた。




 ― 酔っ払ったスメラギを脇にかかえ、美月がアパート近くのコンビニでシジミのインスタント味噌汁をさがしていたその頃、水島と裕子の間には一波乱がわき起こっていた―

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