第5話
降りしきる細かい雨に、美月が禰宜を務める富士野宮神社の境内の紫陽花は、ほんのりと色づきはじめていた。
「よく降るなあ」とひとりごち、美月は社務所の窓を閉めた。
*
「あーなんも浮かばねー」
働かない脳みそを活性化させるかのように、スメラギは白髪頭を両手で掻いたかとおもうと、畳の上に体を投げ出して見せた。
槙原慎太郎の依頼は、娘、裕子の花嫁姿をみること。期限は、槙原の死後から数えて49日以内。槙原はすでに死後1週間以上を霊として過ごしているので、スメラギに与えられた時間は1か月あまり。1か月で、どうやって裕子を結婚させるのか、スメラギは頭を悩ませていた。1か月以内に裕子を結婚させ、槙原のこの世での心残りである「娘の花嫁姿をひとめ見る」を解消、槙原をあの世へ送り届けないと、スメラギは1千万を閻魔王こと夜摩に支払わなければならないはめになる。
1千万払って1年期限を延長するか……。
裕子には恋人がいる。1年何もせず、黙ってふたりを見守り、結婚するのを待つか……。
だが、金を払って時間を買ったところで、裕子が必ず1年以内に結婚するとは限らない。時間を買うにしろ買わないにしろ、スメラギが動いて、裕子を結婚させなければならない。
すっかり頭を抱えてしまったスメラギは美月に相談を持ちかけた。
「要は花嫁姿を見せればいいんだよね?」
と、美月までが死神と同じようなことを言い出した。
「娘さんと彼氏に頼んで、結婚式の真似事をしてもらったら?」
「何て言って、ふたりに結婚式の真似事をしてもらうんだよ? 死んだあんたの親父がひとめあんたの花嫁姿をみたいと言ってるから、ってか」
「ブライダルフェアとか、模擬結婚式ですとか何とか、ごまかしてさ」
「うーん……」
スメラギは黙り込んでしまった。
花嫁衣裳を着せてしまえと言った死神を笑えない。あの手この手で、裕子と恋人に結婚式の真似事をしてもらったとしても、結局は真似事でしかなく、それで果たして槙原の依頼を解決したことになるのか。槙原が本当にみたいと望んでいるのは、幸せな娘の笑顔なのではないのか。
「やっぱり、裕子さんには正直に打ち明けて、協力してもらうしかないんじゃないのかなあ……」
「信じるとおもうか?」
「お父さんに、僕にのってもらって、直接話してもらえば?」
スメラギの幼なじみ、美月龍之介は霊媒体質に生まれついた。左手首の水晶の数珠をはずせば、たちまち霊たちにその体をのっとられる。肉体をもたない霊たちの現実的な心残り、たとえば人と話をしたいといった願いを叶えるときには、スメラギは美月の霊媒体質を利用させてもらうことがあった。
「俺が直接話すにしろ、親父さんがのっかったお前が話すにしろ、本人が霊の存在を信じていなかったら、『なんだ、こいつ』で終わる話だろ。まあ、お前は女受けがいいから、話に付き合ってくれるだろうけど」
白髪に目つきの鋭いスメラギよりは、仏の美月と言われるほど微笑みのたえない美月の方が、あやしげな話でも聞いてもらえる確率は高いだろう。
(そうか、そういう手も、あるか……)
美月の顔をしげしげとみつめるスメラギにはある考えが浮かんだ。
美月は女にもてる。中学以来、スメラギが知る限り、女が絶えていなかったことがない。長身で、優しげなまなざしはどちらかといえば女顔なのだが、ほどよい肉付きのおかげでひ弱な印象がない。神社の跡取り息子ながら、その笑顔から仏の美月と言われるほど、性格は穏やかで、感情を荒げたところをみたことがない。これで女にもてないはずがない。
美月に裕子を誘惑してもらい、彼女の恋人に危機感をもたせ、一気に結婚に結びつける。スメラギの頭には、安っぽい恋愛ストーリーのシナリオが浮かんでいた。
スメラギはあらためて幼なじみの顔をみつめた。
顔立ちのよさはいうまでもなく、人当たりもいい美月なら、その気になれば女のひとりふたりを誘惑するのは簡単そうだ。
だが、裕子が本気で美月を好きになってしまったら、どうしようか……。スメラギが思いついた妙案を口に出せない理由はそこにあった。
まさか、依頼人のために、好きでもない人間と結婚してくれとまでは、さすがにスメラギも言い出せない。考えすぎだともおもうが、美月のもてっぷりを知っているだけに、ありえない話でもない。
(ナシだな)
スメラギは美月をおとりとする作戦をそっと自分の胸のうちにしまった。
「この人に乗りうつれば、生きている人間と話ができるのか?」
それまでおとなしく2人の話を聞いているだけだった槙原が口をきいた。スメラギは美月の霊媒体質について簡単に説明した。ひとりでしゃべり始めたスメラギに、美月は不思議そうな顔をした。
「おっさんが、お前にのれば人と話ができるのかってきくから説明してやってんだ」
「娘さんと直接話したいって?」
「おい、おっさん」
と、スメラギが口をひらきかけたのを、槙原がさえぎった。
「娘の恋人と話がしたい」
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