第4話

 死神との交渉は簡単にはいかなかった。


 人間は死ぬと生前の行いに応じて、天上界行き、地獄落ち、人間界への生まれ変わりのいずれかが決定する。不満があれば、死後49日の間であれば閻魔王に訴えでることができる。


 死んだばかりの人間の心残りはたいていこの49日の間に解消できる。地獄を逃げ出したり、死神の手を49日以上にわたって逃れ続けているものは、どのみち49日の期限は関係ない。


 死んだばかりの槙原は、49日以内に閻魔王に引き渡さなければならない。ということは49日以内に彼の心残りを解消しなければならないのだが、問題は「娘の花嫁姿をみたい」というその心残りそのものだった。49日以内に、槙原の長女、裕子を結婚させることは不可能だ。スメラギは死神に、槙原を引き渡す時間を延長してもらえないかと話をもちかけた。


 だが、死神は一週間と期限を決めた。


「一週間?! 一週間で花嫁姿をみせられるわけねえだろーが」

「一週間でも多すぎるぐらいだ。花嫁姿なんか、1日もあれば十分みせてやれるだろう」

「あのなあ、『花嫁姿が見たい』ってのは、もののたとえで、実際の意味は、娘が結婚するところを見届けたいってことなんだよ」


「意味がわからない。さっさと娘にドレスでも白無垢でも着せてしまえ」

 黒いスーツ姿に黒いネクタイと、見かけは葬儀屋のような死神だが、豊かな情感をもたない彼はしょせん人を模っただけのものでしかない。言葉を額面どおりにしか受け取れない死神に、「花嫁姿をみたい」という言い方で槙原の心残りを伝えたのはまずかった。


「ああ、もうさぁ……」

 スメラギは天井を見上げた。閻魔王庁、閻魔王室の天井は真紅に塗り込められ、豪勢なシャンデリアが垂れ下がっている。水晶のシャンデリアに映りこんでいる金髪の美女こそが、泣く子も黙る閻魔王こと夜摩だった。


人間の皮をなめして生血で染め抜いたボディースーツに豊満な体を包み、黒革のソファーに深く腰掛け、さっきから手元に気を取られている。真っ赤に染まった長い爪に弄ばれているのは、人間界でもなかなか手に入らない人気のスマートフォンだった。


「ほな、1年でどや」


 ゲームにでも夢中になってスメラギと死神のやりとりなど聞いていないだろうとおもわれた夜摩が口を開いた。口は開いたが、視線は手元にむけられたまま、よほど楽しいのか、滴る血の色の唇にぞっとする微笑を浮かべている。


「まあ、時間かけたとこで、結婚させられるゆうもンでもないやろけどな」

「一週間よりはマシだろ」


 一週間では少なすぎる、かといって、今回の依頼解決にどれだけの時間がかかるのかまったく見当がつかないスメラギだが、1年もあればどうにかなるとほっと胸をなでおろした。それにしても一週間が1年になるとは、さすが地獄の閻魔王の夜摩だけに、時間間隔が人間とは異なりすぎている。死神をみると、特に異論はないようだった。もっとも、表情のない死神の顔から、彼の真意を探るのは不可能ではあったが。


「ほな、1年ってことで。篁にも連絡しとかんとな」

 と、夜摩はスマートフォンで篁に電話をかけた。人間の生前の業や死後の行き先など、ありとあらゆる情報はいまやデータ管理されている。その管理責任者が篁という男だった。


 わざわざ電話しなくてもメールで連絡してくれたらいいじゃないですか、とでも篁に言われたのか、夜摩は「ええやん。せっかく買うたンやし、使こうてみたいンや」と、見事なプロポーションの腰をくねらせて甘えた声を出している。ふるいつきたくなるほどの美女だが、豊かな胸はとある女の罪人から切り取ったもので、女装は夜摩の趣味だった。


 槙原慎太郎の魂回収期限を1年に引き延ばすように告げている夜摩を背に、スメラギは閻魔王執務室を後にしようとした。

 すると、野太い声がスメラギを追いかけた。


「49日以上かかったら、金もらうで」

「はあ? お前、さっき1年延長するって言ったじゃねえかよ」

「タダとは言うてないで。49日の間やったら、規則期限内やさかいタダやけど、49日過ぎたら金払ってもらわンと。地獄の沙汰は金次第や」


「鬼ぃ!」

「鬼違います、閻魔王や。ほな、そういうことで、49日過ぎたら1千万な」

「1千万?! そんな大金払えるわけねーだろ?! 俺のどこにそんな金があるってんだよっ!」


 表家業の探偵とは名ばかりの便利屋の稼ぎでは生活していくのでせいいっぱいだった。知り合いの不動産屋からタダ同然で借りているとはいえ、事務所とアパートの家賃を払ってしまえば、1日わずか1食、それもコンビニのもので食いつないでいくほどの金額しか残らない。電気やガス、めったにとめられないという水道までとめられたこともある。そんなスメラギに貯金などあるわけもなく、1千万という大金はどうやっても払えない。


「49日以内に依頼を片付けたらエエだけの話やン」


 長い舌を出して唇を舐めたかとおもうと、夜摩はニヤリと笑ってみせた。

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