第3話

 4階建てのおんぼろビルの最上階が、スメラギが所長兼事務員兼調査員兼…要するにひとりでやっているスメラギ探偵事務所のオフィスだ。


 仕事は、迷い猫探し、浮気調査、その他何でも引き受けるというのがスタンスで、探偵というよりは便利な何でも屋といったところだ。


 というのは表向きの顔で、スメラギの本業は、この世にとどまり続ける霊の心残りを本人(霊)にかわって解消、霊にあの世へ気持ちよく逝ってもらおうというものである。


 依頼人、槙原慎太郎は、事務所のテレビをくいいるように見つめていた。

 時代がかった箱型テレビのうつりは悪く、ときどき画面中央を稲妻のような光が横に走っていく。画面はちょうど、槙原が勤務していた富士見台総合病院の院長と、槙原の家族らしい喪服姿の3人の女性が記者会見を行っているところだった。


「いまどきは薄型テレビだろうに」


 うつりの悪いテレビに槙原は文句を言い、テレビの横っ面を叩いた。だが、槙原の手はテレビ本体を触れるだけで、するはずのパチンと乾いた音はしない。実体のない霊にたたかれてもテレビはびくともせず、スメラギの目にはサイレント映画の一場面のような光景がうつっていた。


「薄いと叩きにくいだろ」

 スメラギが二、三度叩くと、箱型テレビは息を吹き返した。


「これ、うちの奥さんと娘2人。上が29で、下が24。親がいうのも何だが、美人だろう」

「あんたに似なくてよかったな」


 3人並んだ女性はそれぞれの年代での美しさをたたえていた。槙原の妻、好江は皺すらも美しい紋様をおもわせる60代の落ち着きが、長女の裕子は29歳というわりには老けて見えるのはしっかりものの長女らしい。妹の典子は、髪を明るい色に染め、甘ったるい印象で、年より若くみえる。年こそちがうものの、彼女たちの表情は、夫や父親を喪った悲しみに曇っていた。


「私はヒーローなんかではないのだが……」


 テレビの向こうでは、記者の質問にこたえる形で、院長が、槙原が志願したときの様子を語り、その人柄をたたえていた。


「私は医者としての務めをまっとうしただけなのだ。タッチャンのような人物を、本当のヒーローというのだよ」

「タッチャン?」

「トラックの運転手だ。封鎖されたN町へ、悪路、トラックを運転して薬を運んでくれたんだ。彼のおかげで助かった人間が何人いることか。マスコミはきちんとその事実を伝えてほしいものだよ。球里熱は確かに感染率が高く、致死率も高い。だが、高いというだけで、必ず死ぬとは限らないのだ。タッチャンのおかげで死なないですんだ人間がいる。彼こそがヒーローなのだ」


 記者の質問は、槙原の妻、そして2人の娘にむけられた。槙原の妻にかわって長女の裕子が、父親を誇りに思うという優等生な回答をしていた。


「で、あんたの心残りってのは何だい?」

「心残り?」

「あんた、この世に未練があるから成仏できないでいるんだろ?」

「…やっぱり、死んだのか…。医者として死がどういうのものか知りたかったが、実際死んでみると何てことはない、生きているのと変わらないんだが。何より、君とこうやって話をしているんだし」

「俺は霊が見える特異体質だからな」


 霊視防止用にかけている紫水晶のメガネをはずしたスメラギには、灰色の髪を豊かにたたえた槙原の姿が見えている。眉間と額には深い皺が刻まれ、きりっと結ばれたへの字の口元だが、小さな瞳は柔らかく微笑んでいる。その目元が少し長女に似ていた。次女はどうやら少しあぐらをかき気味の鼻を父親から受け渡されたようだ。


「医療チームの参加を決めたときから、もしかしたらと覚悟していたつもりだったんだがねえ。やりたいことは全部やったつもりだったし、やり残したこともない。そうおもっていたんだが……」


 槙原の視線は、画面に映った長女、裕子に向けられていた。


「裕子の花嫁姿を見損なったなあ……」

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